第39話
「わかるか頼子。今この島で起きている凄惨極まる事態は、どう足掻いても隠しようもない事だ。先の連続襲撃事件で、島民達の不信感は最高潮に高まっている。やがて芋づる式に全てが明るみになるだろう。そして我々の積み重ねてきた罪は紛れも無い事実であり、言い逃れ様も無い事だ」
「罪? 罪など、そんなものある筈がありません……っ」
振り返った頼子さんは織部の胸に縋りつくように倒れ込んだ。それを支えた織部が頼子さんの肩に手を置くと、彼女はその場にくず折れる様にして膝を着いていった。
そして織部は、私ともなく頼子さんともなく、ただこの空間全体を震わせる様に言ったのだった。
「我らの信じたマガツ教とは、団十郎の欲望の為にあった信仰に過ぎなかったのだ。神などいないのだ、団十郎の言うマガツコの正体とは繭子の産んだ赤子の遺体だ。私達の信仰していたマガツ教とは、死者を甦らせるという妄執に取り憑かれた邪教なのだ!」
まるで誰かに殴りつけられたかの様な衝撃に、私は息の仕方さえも忘れて、その場で絶句している事しか出来なくなっていた。
――天海繭子の産んだ……赤子の遺体? 確かに織部はこの島に一つしかない診療所で、母のお産に立ち会っている筈だ。しかし一体何の事を言っている? 母の産んだ赤子の遺体――しかし、私は今ここに居るではないか。
織部は誰にともなく続けていく。
「我々は儀式を理由に一人の少女の生涯を弄び、亡き者にした。間も無く訪れる国家権力の前に、これからこの島の罪が明るみになる。もっとも罪に問われるのは、私と団十郎、そして菊織くらいのものだ。この島の民は何も知らなかったのだからな……だから今ここで罪を犯すなと言っているのだ、頼子」
ハッと息を呑む音が聞こえた。見ると頼子さんは、目を剥きながら頭に手をやり肩を震わせている。そして正気を失いかけた様な目で、今度は懇願する様に織部の腕に縋りついていた。
「なんば言いよっと……アナタはマガツ教の信仰ば邪教やと吐き捨てると? あがんマガツ様を信仰しとったアナタが!」
まるで悪い夢にうなされているかの様な風貌になっていった頼子さんは、狂った様に滔々と信仰を説き始める。
「神様の子が……マガツコが産まれるのです。私達は正しい事をしています。この島は俗世と切り離された楽園であるのです。この島では神様が産まれるのです。ひいてはそれが崇高なる神の御意志で――」
「黙れ頼子! 貴様は知っていたのだろう! 繭子がここに連れ去られ尊厳も無くこの地下牢に幽閉されていた事を! これが邪教でなくてなんだ!」
織部が腕を払うと、頼子さんはそこに崩れ落ちた。今や錯乱する様に頭を振って、静かに泣いている。
織部の叱責は、まるで過去の自分に向けられているかの様に私には聞こえた。
それでも金切り声で頼子さんは食い下がり始めた。この人は父の信仰に髄まで取り憑かれているのだ。
「教主様は……団十郎さんは何処におるとです! あの方がこがん事ばお許しになる筈が無かとです!」
「団十郎の消息はわからない」
織部の冷徹な返答に、頼子さんは沈痛するかの様な面差しで閉口してしまった。そして蛇の冷たい視線は私へと差し向いて来る。
「私はつい今し方、令状を持った警察が島に踏み込んで来た事を団十郎に知らせようと急ぎ教主殿を尋ねた。しかし何処にも奴の姿は無かった。教主の護衛として周囲を監視していた者もその消息を知らないという」
「父は監視の目を掻い潜って自ら外に出たという事ですか?」
腕を組んだ織部が、眉根を垂れ下げながら険悪な表情になっていくのが電球の下に見えていた。
「本日の昼中、教主の寝室の窓が何者かの投石により打ち破られた。団十郎に怪我は無かったが、思えばその時から奴の様子がおかしかった様に思う。おそらくその時に菊織から何らかの形でメッセージを受け取ったのだ」
「そんな事をしたらっ」
「そう……火を見るよりも明らかな事だ。団十郎は菊織に誘い出されたのだ。奴は菊織の持ち去ったマガツコに執心していた。私の目から見ても、その執念は既に常軌を逸していた」
行方を眩ませた父はいま、御神体であるマガツコを引き合いに菊織ちゃんに誘い出されている? それは父の首に菊織ちゃんの復讐の爪がかかっているという事ではないのか?
「しかし団十郎もまた、教主殿に備えていた猟銃を持ち出していった」
――猟銃……?
私の背に冷たいものが伝い始める感覚があった。
菊織ちゃんは姉の復讐の為に父を殺そうとしているに違いない。しかし父もマガツコを取り戻す為に、恐ろしい凶器を持ち出している。
――このままでは、また惨劇が繰り返される。
私はそう思った。
「私がここに来たのは、他でもない――」
意外にも、その後に織部の口が紡ぎ出した言葉は、私の意思との共鳴を見せていた。
後ろで縛った白い長髪を背に揺らめかしながら、織部は居住まいを正し、しかし高圧的なまま私を見下ろしながら言った。
「菊織がこれ以上罪を重ねない様に、罪の無い島民がこれ以上傷付けられない為に――累の祟りを終わらせて欲しい」
織部は頭を下げながら、格子越しの私に向かって目を細めた。
「助手である貴様を通じて、怪奇探偵にこれを依頼したい」
白沢に――?
すなわちそれは、白沢が今も何処かで……?
私がそう考え始めた――その時であった。
「……ぅ、っ」
織部が口元から血を吐き出し、忌々しそうな目で背後を窺っていた。
その背に頼子さんが縋り付いている。
――彼女の手には先程落とした槍が、穂先に近い部分を掴んで短く握られていた。
「マガツ様を信じる者は救われる。マガツ様を信じる者は報われる。マガツ様を信じる者は楽園に行ける」
「おのれ、わからぬか!」
「全部お前達が来たからだ……穢れが……忌々しい穢れがこん島に――」
織部の背から刃を引き抜いた頼子さんが、牢に座り込んだままの私へと振り返って、その黒い目で私を睨んだ。そして血濡れの槍を携えたまま、格子の入り口に飛び込む様にして跳ねて来る――。
しかし、織部が身を挺して私と頼子さんとの間に滑り込んでいた。
牢の中へと飛び込みながらもつれ合う両者――鋭利な刃物が白衣の脇腹に何度も繰り返されている。頭上の電球に照らされた刃が、無慈悲に振り上げられる度にその朱色を濃くしていた。
「苦しい時こそ信仰です。迷いそうな時程マガツ様を信じるのです。苦しいです。本当に苦しいのです!!」
「織部さん――!? どうして!」
「早くここを出て……っ、鍵をかけろ」
「でも、織部さんが!」
「いいのだ、当然の報いだ……!」
組んず解れずの惨劇が足元で繰り返されている。私は目をつむりそうになったが、同時に白沢の言葉を思い出した。恐ろしい物事ほど、その目でしかと観測して冷静に対応をしなければならない。
思い切った私は織部に覆い被さった格好の頼子さんの体を蹴飛ばし、血みどろになった白衣を掴んで牢の外へと引きずり出していった。
私は即座に牢に鍵を掛けて狂乱する頼子さんを閉じ込める事に成功した。しかし手にはまだ槍を持っていて、格子の合間から突き出して来るので、織部を引き摺り、壁際まで後退する事を余儀なくさせられる。
息も絶え絶えになった織部の白衣はすっかりと血に染まっていた。蛇は蒼白となった表情で呻くようにして、呼吸を繰り返す度に夥しい出血を足元に広げている。
――助からない。そう思った。
「織部さん……っどうして私なんかを……どうして助けてくれたのですか」
私を目の敵にしていたとしか思えなかった男に、どういう訳か私は、言葉の通りに命懸けで救われたのだった。
格子の奥で叫ぶ獣の様な声に入り混じりながら、織部は尚も蛇の様な目をして私を見上げ、瞼を痙攣させながら口を開き始めた。
「なんで……だろうな……ぁ」
その朧げな瞳に何を見ているのだろう……織部は何処ともない方角を見つめ、私の腕の中で血を吐いた。血が失われ、みるみると唇が紫色に変わり、顔が白くなっていく。
「おい……」
織部は瀕死の様相で、懐から、見覚えのある銀縁フレームの眼鏡を私に手渡して来た。
「これ、先生の……」
「恐らく団十郎と菊織は……虫喰崖に……私の読みが正しければ、奴もそこに……」
その場にしばし留まろうとした私を、織部は強引に押しやっていた。そして私の背を押して階上へと向かわせようとする。
「織部さんっ」
階段を上って行く途中、一度だけ振り返ったが、織部はもう口を開かなかった。脱力された腕が血溜まりに落ちて、弛緩した口元をゆっくりと開かせながら、前のめりに倒れていく白衣の姿を私は見ている事しか出来なかった。
この男は冷酷な様でいて、最後には友の為に、島の子供の為に、その命を燃やして贖罪としたのかも知れないと思った。
「ァーーハーハーーハー」
牢の中から野蛮な声が起こった。
私は彼女をひと睨みしてから地下を後にした。
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