第38話
「団十郎さんが言われました。唯ちゃんの事……」
頼子さんは上気した顔を臆面も無く見せながら、笑いを噛み殺すかの様な珍妙な顔をして吐息を荒ぶっていた。その手には何か、穂先に布を被せた長い棒切れの様な物を握っている。
ふらりふらりと不安な足取りで階段を下りて来る彼女の只事では無い様相に、監視役の男は壁際にまで後退しながら萎縮していた。頼子さんの目が放つ妖しい輝きに気付いた私もまた、立ち上がって壁を背にするまで後退するしかなかった。
そして、怯える私と格子越しに視線を突き合わせた頼子さんの表情が――ストンと真顔になった。
「消して良かとです」
次の瞬間にはケラケラと甲高い声で笑い出す。
地下に反響する騒音――爛々と光るその瞳は、加虐の愉悦に歪んでいる様に私には見えた。
そして頼子さんは、長い棒の穂先に掛けられた布を取り払った――
「ひ――」
声を上げたのは私ではなく、顔を引きつらせた監視役の男だった。彼はそこに現れた刃物の鈍い輝きに声を上げ、腰を抜かして階上へと逃げ去って行ってしまった。
頼子さんの手に握られている禍々しいもの――それは手製の槍だった。長い棒の先端に出刃包丁が括り付けられた簡易な物だったが、それが余計に私の恐怖を煽り立てる。
そんな玩具の様な武器では私の命を奪うのに何突きも要すのではないか?
目の前に控えた死には尊厳さえもない様な気がした。
鈍い輝きを放つ刃先を見つめ、私はただ戦慄するしかない。
格子の隙間に鋭利な刃先が構えられるのを見た。そして私が次に聞いたのは、ひどく興奮した猿の様な声だった――。
「待て頼子」
頭に手をやり、固く目を瞑ったままでいた私は、どうしてかこの塞ぎ込んだ耳に男の声を聞いていた。
父ではない、白沢でもない――だが聞き覚えのあるその声は、階下に降りて来ていた
状況の意図が掴めず放心した私は、槍を構えた頼子さんの背後で、嫌な目をする蛇の顔を見つめていた。
「何を止めるのです、これは教主がお決めになった事ですよ」
狼狽する頼子さんの前へと回った織部は、格子の向こうに立ち尽くした私をその冷酷な目で見下ろす様にした。
「出任せを言うな、団十郎は唯の処分など申し付けてはいない……それに、もう神も教主もありはしないのだ」
織部は懐から取り出した鍵を錠に差し込み、座敷牢の扉を開け放った。
「織部さん、なんばしよっと!?」
激情する頼子さんに振り返らぬまま、やはり織部は慈愛の欠片もない様な面差しで私を見続けていた。しかしその声は背後に居る頼子さんへと向けられていた。
「私達の詰みだ頼子。これ以上無駄な罪を重ねるな」
「なんば……言いよると?」
そこでようやく織部は振り返る。彼に視線で諭された頼子さんは渋々得物を収めていくしか無い様子で、だらりと下げた掌に手製の槍を握り締めていた。
「あの男は、この島に至る以前から周到に準備していたのだ」
――思えば端から詰まれていたのだろう。私達の様な文明に取り残された化石人など。
そう織部は口にして、やるせない様に頼子を見下ろしていった。その鼻筋に深く刻まれたほうれい線が、彼の疲弊した心情を表しているかの様だった。
……あの男とはもしや、白沢の事を言っているのだろうか?
そう思った私は織部に彼の無事を確認しようとしたのだが、それよりも早く静寂を破ったのは、興奮した女の甲高い声だった。
「こん島ん事は外部には漏れん筈やなかと?! どがん事か説明をッ――!」
幾分取り乱しているのか方言を剥き出しにし始めた頼子さんを頭から押さえ付ける様にして、織部の怒号が彼女を遮っていた。
「GPSだ! お前は知らぬだろうが衛星からの電波をキャッチする技術が本土にはあり、その技術を介すればこの未開島であろうと居所が筒抜けになるのだ」
その後に続いた織部の一言に、頼子さんは凍り付いた様子だった。
「先程港に水上警察が来た」
「は――?」
脱力された頼子さんの手から槍がこぼれ落ちて、足元でカランと音を立てた。
GPSとは何の事だろうと思ったが、私はすぐに思い至った。そして、この緊縛した空気の最中に言葉を囁き始めた。
「私達が乗って来たレンタルボートは二日間の契約で借りていたものです。つまり既に契約が切れてから四日間が経過している。電波の無いこの島では契約者である白沢への通話も繋がらなかった。音信不通になった訳です」
「やけんどがん事と! なしてこん島ん警察が! ボートは既に沖に漂流してある筈でしょう!」
私に飛び掛かるかの如き勢いで頼子さんは格子に飛び付いて来た。面食らった私は少し動揺したが、その背後で織部が鼻を鳴らすのを見上げながら、背にした壁に手を着きながら立ち上がっていった。
「すごく……拍子抜けする位に単純な話です。私達の乗って来たボートは最新式の、購入しようとすればおそらくは数千万円は下らないものです。なんの用途があってこんな高級品を選ぶのかと思っていたのですが……まさか」
白沢はこうなる事も見越してとっくに手を打っていたのだ。だから私を救いには来なかった。けれど時間差で発動するこの保険と白沢本人の現在の生死には因果関係が無い。つまり彼の無事は未だわからないという事でもあった。
「勿体ぶらずんと早う言いんさい!」
「つまり……盗難届が出されたんです」
「は? やけんそれでどがんしてすぐにこん島に辿り着く!? 船はもう、遥か遠くば漂流しとる筈」
私は彼女の揺れる瞳に向かって、毅然と声を返していった。
「順を追って説明しますと、昨今ではレンタカーやレンタルボートというものにはGPSが積載されている事があります。高級なものなら尚更です。GPSを駆使すれば今どこにあってどこで何時間過ごしたかなんて事はデータ上のログを追っていけば簡単にわかる事なんです。通信機器の圏外だとかそんな事は関係がない、GPSは衛星から一方的に出される電波を受信しているんです。そこが地下や洞窟でもない限り二十四時間いつだって居所を捕捉出来る。つまり被害届を出されてから、水上警察は速やかに沖を漂うボートを発見し、そこに私達の姿がないのを見ると、GPSログの記録上長く滞在していたこの鈍島に捜査の手を伸ばして来たという訳です」
――その通りだ、と私の言葉を継いだのは意外な事に織部だった。頼子さんは格子越しの私の面前で小鼻をピクつかせている。思えば彼女が文明を捨てたのは昭和の時代であるから、現代の科学技術を説明した所で釈然としない所があるのかも知れなかった。
織部は不服そうに顔をしかめながら、彼女に説明を続けた。
「この鈍島は噂に名高い未開島だ。そこで起きた事件の事だ。何やらきな臭く思ったらしい水上警察は気合の入った事に、本日未明に端から捜査令状を手に港を訪れた。個人の所有する数奇な島には令状が無いと踏み入れないからな。現在島民は大変なパニックに陥っている。しかし彼らの名目は、いま現在は単なる盗難事件。捜査員の数も知れたものだが、この島で起きている事が徐々にと明らかになるにつれ、すぐに増員が掛かるだろう。この場に捜査の手が及ぶのも時間の問題という事だ」
私の目の前で頼子さんが下顎を落とした。わなわなとその唇が震えている。
私にしても同じ様なもので、開いた口が塞がらない状態だった。織部の言う通り、白沢は端から詰んでいたのだ。
父は目敏く私達から通信機器を取り上げた。スマホにもGPSが搭載されているが、自分から共有アプリを他者との間に設定していない以上、個人の捜索において他者(警察)がGPS信号を利用するのには、裁判所からの命令書を発行してもらう必要があるなど、それなりの権限が必要となる為、特異な例を除いては現実的ではない。さらにこの島には基地局からの電波も届いておらず、電話線も現在では遮断されている。以上の事柄から、この島と外部との関係は完全に断たれていた様に思われたのだが――白沢は父も知り得ぬ最新式のシステムと昨今の世情を駆使し、いとも容易くこの閉鎖空間を打ち破る保険を打っていたのだ。
肩透かしを食う様な、なんとも単純な方法で――である。
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