報復

           1


警察に全ての情報提供を済ませたあと、若者は更生施設に収監された。

ギャングのボス・伊賀屋と一緒に撮った写真は警察の内部にも決して顔を晒さないと約束された。

それでも彼に不安が無いわけでは無かった。

 あの執念深く残忍な男が、このまま自分を放

 って置くだろうか。

だが、施設も含めこちら側に居れば大丈夫だとも思える。

収容された施設にあの男と関わりを持つ人間が居ないとも限らないので、彼には独居房が充てがわれた。

自分がイメージしていたのとは違い、ここにはテレビも設置されているしコンクリートで囲まれた壁の割には思ったほどヒンヤリしない。

本当に重い罪を犯した人間が入るのは別の様相の部屋なのだが、彼は警察に重要な情報と証言をもたらしたため温情が与えられていた。

刑務所とは違い、喫煙所もある程度素行の良い者は使えるのだが、もう自分はやめようと思った。

そんなにところでボスと顔見知りの人物に出くわしたりする事を考えて恐れたからだ。

それでなくても、今は一人になって自分自身と向き合い、人生を見つめ直したかった。


幼少期から悪さをしていた。

自分に関心を持たない親の気を惹くためだったと今は思う。

だが素行は悪くなる一方で、母親が泣いてもザマァ見ろぐらいにしか思わなくなっていた。

そして町で恐れられるグループが解散してからは怖いもの知らずになっていた。

だが、知らない町からやってきたあいつは質が違った。

人に対する感情が無いのだ。

トラブルになった相手が血だらけになって謝っても笑いながら車道に蹴り出した。


あの時気づくべきだった。

このままでは取り返しのつかない事になると。

散々コケにして逃げ回っていた警察に今は世話になっている。

 結局のところ自分は、人は一人では生きてい

 けない。誰かを蔑ろにすればいつか必ず自分

 の元に還ってくる。

 自分が恐れ、望まない形で。

若者は警務員にノートと鉛筆を所望し机に向かった。

自分がこれまでしてきた事。それについて今思う事。これからの人生をもし望めるのであればやりたい事。

色んな感情が渦巻いて涙が出た。


ちょうど鉛筆を置いたとき、

「面会者が来ている」

と知らされた。

名前を尋ねたが全く聞いたことのない人間だった。

警務員にその事を伝えると

「こちらで対応する」

と伝えられた。

若者は背筋が寒くなった。

 もしかしたら、アイツの手下か何かが来たの

 かも知れない。

 自分がここに収監された事が知られたに違い

 ない。

その日から彼に対する施設の保護は更に段階を上げられたが、しばらくの間若者は眠れない日々が続いた。



          2


ギャングを名乗るグループのボス、伊賀屋の元には他の町からやって来た悪い連中が寄り集まっている。

その中の一人に伊賀屋は静かに言った。

「会えなかったのか」

少年はビクッと体を震わせて

「はい」

と小さく答えた。

「散々時間かけてあちこち探し回ってよ。それでようやく見つけ出したと思ったら結果会えませんでした、だ?自分の立場わかってんのか?俺は善意で金出してんじゃねぇんだよ。バイクにしたってそうだ。どんな事してもいい。あいつに面会しろ。そしてガラスの穴から紙を差し込め。読めば自分の身がどういう立場か、これ以上サツに肩入れすればどうなるのか。出て来たら完全に俺の奴隷にならざるを得ないことを思い知るだろ」

伊賀屋は少年にくっつきそうなほど顔を近づけて囁いた。

「出来ねぇってんならバイクの金の倍の額を納めろ。もうテメェは俺の支配下にあるって事を忘れるな。いいな」

「はい…」


震えながらその場をあとにして少年は報われることのない後悔の念にかられていた。


(欲しいモンがあるなら何でも買ってやる)

そう言われた時は、自分は仲間内でも相当気に入られているんだと思った。カン違いして有頂天になっていた。

 関わってはならない人間に近づいた。

今更後悔しても、もう遅い。

自分はこれから一生アイツの下で使われて生きていくしかないんだ。

失意のまま、どうやったら面会出来るのか、または接触する方法はないか必死に考えた。


綺麗な車体のカスタムバイクが、今は底しれず悲しく見えた。




          3


警察による極秘捜査は進展の無いまま時間だけを費やしていた。

数を武器に活動出来ない捜査は難航を極めた。

せめてもう少し捜査員の数が揃えられたらと、現場の人間は誰もが思っていた。

次の会議でまた陰鬱な空気に包まれるのかと考えると士気も上げらなかった。



啓太はいつも以上に憔悴していた。

普段ならビールを飲みながら兄に愚痴を聞いてもらったりもしているが、今回携わっているのは欠片たりとも他言は厳禁だ。もちろん常日頃から捜査に関する事を口にしたりしないが、今すごく大変なんだという言葉さえ慎んでいる。

そのせいか一緒に暮らしているのに何だかお互いに疎遠だ。兄の龍也も自分には話せない何かをやろうとしているみたいに見えて、仕事でも家でもストレスが溜まっている。


トボトボ歩きながらアパートの階段を上がると、ちょうど玄関のドアが開いて龍也が出るところだった。

「おっ!おかえり。ちょうど良かった、ちょっと出掛けてくる」

こんな時間に龍也が出かけるなど、かなり珍しい。

「どこ行くんだよ」

溜まったストレスと不安から、啓太は思わず声が大きくなった。

「なんだ、どうした?やけに機嫌悪いじゃねぇか。何かあったか?」

半分は兄貴のせいだと思いながら、啓太の口から思わず本音が出る。

「なぁ兄貴。危ない事はしないよな」

龍也は怪訝な顔で啓太を見た。

「危ない事って?なんだ」

その目は睨みを利かせてるようにも見える。

啓太は怯まずに自分の思いを告げた。

「兄貴は昔と違う。優しくて弟想いで。俺が世界一信じられる、頼りになる大事な家族だ」

龍也は啓太を静かに真っ直ぐ見つめる。

そしてフッと優しい顔をして

「こっ恥ずかしい事言うなよ。それに、言わなくても分かってるって」

と言った。

啓太は泣きそうになりながら兄の両腕を掴んだ。

「なぁ。もしも兄貴が…、兄ちゃんが危ない目に遭ったりヤバいことになったら、俺はそんなの絶対に嫌だ。だから…、そうなりそうな時は俺は何を捨てても兄ちゃんを守る」

自分の腕を力いっぱい掴んだ啓太の手にそっと手を添えて龍也が言った。

「サンキュ。心配しなくてもそんな事になりはしねえよ。それに…」

龍也は子供の頃のように頭をガシガシ撫でながら

「それは俺だって同じだ。お前がヤバい時は、俺が全力で守る。何を失ってもな」

と力強く言った。

「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」

ずっと背中を見つめる弟を振り返らずに龍也は歩き出した。

 (行ってくる。大事な弟と、大事なこの町を守

 るために。そして、必ず帰ってくるから)

声に出すと泣きそうになってしまうため、龍也は心の中で誓った。




          4


何とかしなきゃなんねぇ。

龍也はある時からそう考え始めていた。


例えたった一人でも、今の状況をこのまま見過ごす訳にはいかねぇ。

大事な大好きな俺たちの町を、よそ者にこれ以上引っ掻き回されてたまるか。


昔、とは言ってもつい最近の事の様だが、" カラス ” と呼ばれた女達がこの町には居た。

彼女達は自分の町を愛し、仲間を愛し、そして大事な人達を愛した。

自分も愛するこの町を、どこの誰か知らないヤツに薬と暴力で好き勝手させる訳にはいかない。薄汚れて混沌と乱れていく様を黙って見ているのはもう我慢ならなかった。


友達の葵と久しぶりに会って飲んだとき、思わず胸の内をさらけだした。古い友人だったからこそ、そしてかつてこの町を守ってくれたあの "黒羽”の彼女だったからこそ打ち明けられたのかも知れない。

彼女は言った。

「驚いたよ。あたしとおんなじ事考えてる奴が居るなんて」

そして「嬉しいよ」と笑って見せた。


この町にもワルは居る。黒羽がなくなって、これ幸いとばかりに好き放題ふる舞えてる奴らも居るだろう。

だけどそんな奴らもどこかで、少なくとも一人くらいは、自分の町をヨソもんに汚されたくないと思っているはずだと信じたかった。

とはいえ自分はもうそういう世界から足を洗い、恩人を失望させる様な事はしたくないのも事実だった。

だがそれよりも強い想いは、葵をはじめたくさんの人達の本心を目覚めさせた。


かつて、黒羽とやりあった梟と呼ばれるグループがあった。もうバラバラになったが、そいつらでさえ、よそ者に町を荒らされたくない想いは一緒だった。

今でも看板を掲げている軍鶏というチームもそうだ。割と好き放題やってるように思ってた連中も、やっぱりこの町のことが好きなんだ。

自分の昔の仲間にも声をかけた。

結婚して子供のいるやつもいる。危険と分かってる事に無理に巻き込みたくないとも思った。

それでも仲間たちは集まった。

「いい年した子持ちのおっさんが、久しぶりに暴れてみるか」と、引退した人達まで声を上げてくれた。



龍也の想像をはるかに越える人数の暴れん坊たちが、あの廃校のグランドに集結していた。



          2


 外で何か騒ぎ声が聞こえた気がする。

啓太はテレビを消して窓を開けた。


離れた所の街灯の下で、男女が何か揉めているようだ。

女性の方は「やめて」とか「助けて」と叫んでいるようにも聴こえる。

放っておけない啓太はアパートを出て騒ぎの所に走り出した。



フードを被ったジャージ姿の男に女性が腕を掴まれている。必死に振りほどこうとするがガッチリ掴まれてほどけない。

近づいてくる啓太の姿に気づいて、女性は明らかに

「助けてーっ!」

と声を上げた。

男の方がギロッとした目でこちらを睨み、チッと舌打ちする。

啓太は身分を明かさず

「何やってんだ」

と低い声をかけた。

「関係ねーだろ。別れ話だ、引っ込んでろ!」

「違います!私この人なんか知りません!急に声をかけられて…」

そこまで言いかけた時、男が女性の腹部を殴った。

「うっ…!」

うめき声をあげて彼女はその場に倒れ込んだ。

「何してるんだ!おまえーっ!」

掴みかかろうとした啓太の太ももにズキッとした痛みが走る。

何だ?と思ってそこを見ると、深く刺さったナイフの柄だけが突き出ていた。

「なっ?!」

痛みと衝撃に、啓太も倒れ込んだ。


サァーッと風が通り、男のフードをさらう。

その顔を見た時、初めて啓太は「あっ」と思った。

会議室で一度だけ見せられた写真。

男の顔はまさにその人物だった。

「…く、そっ。待て…!」

激痛の足を引きずりながら啓太がもがく。

そこへ通りがかった白いバンに、男はこちらを振り向きもせずに乗り込んだ。

男が呼んだ仲間に違いなかった。

あまりにもタイミングが良すぎる事から、最初から女性を連れ去る目的で近くに居たのだろう。

啓太の視界は薄れ、ナンバーすら読み取れなかった。

お腹を押さえながら起き上がった女性が

「だ、大丈夫ですかっ」

と声をかけるが、啓太は返事も出来ない。

飛び出して来たので携帯電話も持ってなかった。

 手配を、かけなきゃ。あいつだ。アイツがあ

 の極悪人だ。

心の中でそう考えるが意識が次第に薄れていく。

1台の車が猛スピードで駆けつけたのも、中から降りてきた人物が声を掛けるのも啓太の視界にただ映るだけだった。



浅間は大急ぎで啓太を後部座席に乗せ、アクセルを思い切り踏み込む。

程なくしてサイレンと共に駆けつけたパトカーに女性は無事保護された。

「ケガはありませんか?近所の住民から騒ぎ声がすると通報がありました」

女性はお腹を押さえながら

「大丈夫です」

と、自分を救ってくれた男性の身を案じていた。



          3


浅間…?

運転席に座る人影を見て啓太は少し意識を取り戻した。

 なんで…。こいつが。

「…お、まえ」

「しゃべるな」

浅間はピシャリと言い放ち、片手でハンドルを握りながら助手席のボックスからゴム紐のようなものを取り出した。

「こいつで傷口から心臓に近いところを縛れ」

渡されたゴム紐を懸命に太ももの根元に巻き付けようとするが上手くいかない。

サイレンはいつの間に鳴って居たのか分からないが、浅間は無線で至急報を発した。

どんな車かと訊かれて、啓太は白いバンとしか答えられなかったが、浅間は半径5km圏内の全ての白いバンを捜索するよう指示していた。


浅間の覆面パトは交差点に進入しようと拡声器で一般車両に協力を求める。だが大通りの車はなかなか止まってくれない。

マイクを握りしめて、浅間は怒鳴った。

「止まれ!止まれー!」

激しくクラクションを鳴らし、半ば強引に突っ込む緊急車両にみんな慌ててブレーキを踏む。

 危ねーな…。事故るぞ。

そう思いながらも、啓太は浅間に感謝していた。

「…病院に…、向かってくれてるのか…」

浅間はルームミラーでチラッと須栗を見て

「病院?違う。犯人を追っている」

と答えた。

 ウソだろ?

 同僚が刺されたこの状況でホシを追うだと?

太ももは痛むが、そんな事より須栗は何だかムカムカしてきた。

「ふ、ふざけんなお前。俺は刺されてんだぞ」

「だから紐を渡しただろ。ナイフは触るなよ」


 信じらんねえ…。こいつはやっぱり血も涙も 

 通ってない。本当にクズ中のクズだ。

腹が立って来たら気持ちまで持ち直した啓太は

頭に血がのぼってカッカしていた。


サイレンを鳴らしながら走る覆面パトは急ハンドルを切ってどこかに入った。


屋根のある、明るいエントランス。 


正面玄関に乗り付けられたパトカーに、看護師達が何事かと駆けつけた。

浅間は車を飛び降り

「30代男性。血液型はO型です。意識は何とかありますが左の太ももに刃物が深く刺さっています」

と状況を伝える。

急いで用意されたストレッチャーに須栗は後部座席から慎重に移された。

「CPU開けて!O型の輸血準備!点滴早く!こっち!」

的確な指示を与えながら、看護師が

「大丈夫ですか。聞こえますか」

と声を掛ける。啓太は何とか頷いてエントランスに目を向けた。

浅間の乗った覆面パトはもう既に立ち去っていた。

 あの野郎…。

意識を失いながら、啓太は少しだけ口元を緩めていた。



各所で大規模な検問が実施され、非番も含めてほぼ全署員が車あたり捜査に駆り出されたが、肝心の容疑者の足取りは掴めなかった。

途中で合流した篠原にハンドルを任せ、無線を手にした浅間が声を荒げる。

「大事な仲間が刺されたんだ!絶対に許すわけにはいかない!全員で協力してくれ!」

初めて見るその姿に、篠原はいたたまれない気持ちになった。



その頃、伊賀屋はあの少年を呼び寄せてまんまとバイクに乗り替え、ほくそ笑みながら逃げおおせていた。


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