疑念

          1


勤務を終え、少し遅めの電車で須栗は家路についた。

 何だか今日はやけに疲れた。

風呂入ってすぐにでも眠りたい気分だが、今日は自分が調理当番だった事を思い出し、須栗は電車に乗るときに兄へメールを送信していた。

既読はまだついていない。

仕方がないので途中のコンビニで2人分の弁当を買って帰った。

「ただいま〜」

鍵は空いてるのに返事はない。

腹を空かせて意地悪をしているのかと思ったがそうではなかった。居間の奥で話し声がする。どうやら誰かと電話をしているようだ。

居間のドアを開けようとして、啓太は不意に手を止めた。

兄の龍也の声がいつもと違う感じがしたのだ。

そっとドア越しに盗み聞いてみる。

「…だから、今はそんな事言ってられる状況じゃねぇ。とにかく集まれるだけかき集めろ。人数は多ければ多い方がいい」


 何の話だろう?


「何度も言うが、この山は今までとは性質(たち)が違う。垣根を越えて、全力でふっかかんだよ!…今でも血が騒ぐだろ?…そう、喧嘩じゃねえ。これは戦争だ」

啓太はギクッとした。

ワルの道から足を洗い、温厚な人間性を取り戻した兄の口から発せられる、久しぶりに聞く不穏な言葉だった。 

 戦争?…一体何を言ってるんだ。何をやろう

 としてるんだ。

 何か、ヤバい事を始めるのか…?

電話が終わったあと、しばらく経ってから啓太は居間のドアを開けた。

「おわっ!びっくりした。何だ帰ってたのか」

兄の様子が何となくよそよそしく感じる。

「ただいまっつったよ。聞こえなかったのか」

「あぁ、そうか。テレビ見てたからな」

テレビには、龍也が普段さほど興味なさそうなバラエティ番組が映っている。

電話はともかく、嘘をつかれたのが啓太にはショックでもあり、不安を増長させた。

嫌味ネットリな、あの公安部の男の顔がチラついた。

「遅くなって悪い。弁当買って来たから今日はこれでカンベンな」

「おお全然いいぜ。しかもオレの腹を考えて2つ買ってきてくれたんだな」

「バ~カ、ジャイアンかよ。2人分に決まってるだろ」

「ええ〜オレ腹ペコなのにぃ〜」

啓太は笑って

「子どもか!いいよ、俺はパスタでも茹でるから、2つとも兄貴が食いな」

「マジか!何か悪ぃな」

「ほんとだよ!」

2人で笑いながら夕食の準備をした。

 いつもの兄貴だ。

 当たり前だ。

 あんな奴らと、関係あるもんか。

冷蔵庫からビールを取り出して二人で缶を合わせた。

「ところでお前、うまくやってるか?何か面倒臭いヤツと組まされたってボヤいてたじゃん」

1つ目の弁当をあっという間に平らげて2つ目を開けながら龍也が訊いてきた。

「あ〜、うん、まぁね。もう慣れたよ」

実は前より取っ付きにくくなった事は黙っていた。

「そっかそっか。そりゃあ何よりだ。仕事で一緒になる奴との相性は大事だからな。仕事そのものに影響すっからよ」

自分と、そして自分の尊敬する人達と同じ感性を持つ兄の言葉が嬉しかった。

「そういえばこの間、平八さん来てたよ」

「ほんとか!元気そうだったか?!」

人生の恩人を、兄の龍也は忘れてはいない。こんな兄が、恩人を裏切るような事をする訳がないと啓太は改めて思った。

「まぁね。昔のおっかなさは感じなかったけど、今はのんびりされてるんじゃないかな」

「そうかぁ…。会いてぇな…」

何となく寂しそうな顔に、啓太はまた不安がよぎりそうになる。

昔の恩人に会いたいのも、懐かしくてちょっと寂しい気持ちになるのも当たり前の事だ。

しかし啓太は、兄が何かしようとしていて、それを実行するか悩んで居るのではないか。平八さんに相談したいのではないか、と勘ぐった。

「兄貴は?何か変わった事ある?」

「変わった事?…ねぇよ、んなもん。いつも通り仕事行って、ヘトヘトになって帰って熱い風呂に入る。その繰り返しだ。毎日じゃないけど一緒に住んでるんだから見てるだろ(笑)。変な事聞くなお前も」

美味しそうにビールをゴクゴク飲む兄。

 信じていいんだ。いや信じるんだ。

 たった一人の肉親だぞ。

 弟想いで、頑張りやで、みんなの事を大事に

 思ってて…。

 平八さんに一生の恩を感じてて…。それか

 ら…、弟想いで…。

啓太は思わずグスッとしてきた。

「何だお前、気持ち悪ぃな」

「うっせぇわ」

啓太は兄が渡してくれたテーブル拭きで目と鼻をぬぐった。

「…何か困ったり悩んでんだったら、いつでも言えよ。頼りになんねぇけど、俺はお前の兄ちゃんなんだからな」

酔いが回っていつもは滅多に口にしない兄の優しい言葉に、自分も酔いが回った啓太は

「ありがと…」

と、また鼻をすすった。


 オレの兄ちゃんだ。一番頼りにして一番信じ

 ていい人間だ。誰よりも。



          2



 会議室に捜査員たちが集まっている。

警視庁からも呼ばれた、課を超えた者たちまで居る。

浅間と篠原は一応警視庁組だが、二人も須栗と同じ所轄の席に座っていた。

集まっているとは言うものの、全員の数としてはそれほど多い訳では無い。

一体何の会議だろうと須栗は思った。

警視庁との合同捜査の会議ならば、この2〜3倍の人間と、大会議室で行われるはずだ。

須栗が落ち着かないでいると、室内に署長と、見たことのない多分階級の上の人、そしてあの嫌味ったらしい公安の人間が入って来て正面の長机に座った。


署長が立ち上がり、やや緊張した面持ちで口を開いた。

「ええ〜っと、忙しいなか集まってもらってご苦労さん。日頃は町の治安を守るために尽力してくれて、感謝している。今日は、ここに居る捜査員達に特別な仕事をお願いするべく集まってもらった訳だが…」

「代わります」

隣に座っていた上階級と思われる人物が割って入った。能面のような顔で、腹から発せられるような声が響き渡る。

「まず、最初に言っておく。これからここで話す内容は決して他言するな。もちろん身内の人間にもだ。本件は警視庁の主導の元に内密に行われる捜査であることを認識してもらいたい」

階級も名前も分からない人物が淡々と述べた。

「諸君にはある人物について調べを進めてもらう。身辺調査が終わり次第次のフェーズに移る。その後の捜査に関しては更に人選した上で極秘に通達する」

正面のホワイトボードに男の写真が映される。

誰かと一緒に撮った様だが相手の顔は黒く伏せられていた。

「この人物は、若者を中心としたグループの関係者、または主犯格とみられる。現在分かって居るのはこの所轄の管轄内に所在している事。住処を転々とし、薬物の売買にも関わっているとみられる。なお、当人の出生地は不明だがこの街の若者、特に何かしらの犯罪に関わった人間を使い様々な事件を起こしている。中には行方の分からなくなった者もおり、周到で非常に危険な人物とみられる。深追いはせず、常に情報共有と報告を念頭に置いてもらいたい。私からは以上」

テーブルに置かれたマイクを、公安部の男が手に取った。

「聞いていた通り、この件は極秘に扱われる。従って外部には一切の情報が漏れない事を徹底してもらう。万が一、この中の人間以外に少しでもリークされた事が発覚した場合、ここに居る全員を捜査から外し、警察を辞めてもらう」

ざわつきこそ無かったものの、空気感が変わったのが須栗には分かった。


 要するに、何かあった時の腹切り要員って訳 

 だ。だから人数もこんなに少なかったのか。

 それにしても、この異様さは何なんだ。


須栗は隣の篠原をそっと窺った。彼女は澄ました顔で前を見ている。

もしかしたら彼女たち警視庁の人間は最初から知らされていたのかも知れない。集まったメンバーの中で所轄の人間の方が数が多いのもそういう事かと想像できた。


「話しは以上だ。質問は受け付けない」

一方的に切り上げて上層部は去って行く。

署長だけが何となくすまなそうに皆の方をチラッと見て彼等について行った。



会場内では誰も一言も発せずさっさと席を離れていく。

須栗は少し呆気にとられてみんながぞろぞろ出てからようやく立ち上がった。


「驚いた?そんな顔してるわね」

誰も居なくなってから、篠原刑事が声を掛けてきた。

「ヘマさえしなきゃ大丈夫よ。それに、犯人に近づいて捕まえろって訳じゃないんだから」

そうは言われても、初めての事に須栗は正直動揺していた。

「今なら辞退も出来るぞ」

全く気配を感じさせなかった浅間が出口のドアから声を発した。戻って来たのか、ずっとそこに居たのかも分からなかった。

「君が居ても居なくても特に影響はない。警視庁から精鋭達も駆けつけてる。君はただの腹切り要員だ」

「浅間!」

厳しい目つきで、篠原が浅間を叱りつける様に声を上げた。

浅間は首を傾けて「事実だ」とだけ言い残し去って行った。


自分を振り返る篠原刑事に須栗は呟いた。

「彼の言う通りだ。所轄の、大して実績も上げてない僕なんか居たって、居なくたって大して変わらない」

篠原は黙って彼を見つめる。

「でも僕は刑事だ。充てにされてもそうでなくても関係ない。自分の信念で、自分のやれることを精一杯やるだけだ」

押し黙っていた篠原だが、珍しく優しい眼差しでフッと息をついた。

「まるで、鬼の平八さんみたい」

須栗は驚いて顔を上げた。

「あの人を知ってるの?」

「知ってるも何も、本庁で彼を知らない人は居ないわ。会ったことが無くても話しは自然と出てくる。…新人の刑事に先輩達が話してるのをよく耳にするわ」

 知らなかった。

須栗は驚きと同時に、胸に熱いものが込み上げた。

 あの人の事を、そんな風に伝えてくれている

 人達がいる。本庁の人間は、血の通わない

 人間ばかりだと思っていた。

 でも彼の信念を、思いを受け継いでいる人達

 も居るんだ。

「私もよ。あの人の話しを聞くたびに、励まされたり気持ちを高められたり。憧れの素敵な大先輩だわ」

篠原の言葉は、須栗にとって大きな意味を持った。

平八イズムを継承している人が側に居る。


廊下を歩いて行く彼女の背中が、今までよりずっと頼もしく、そして温かく見えた。



          

自販機の側を通りがかる篠原の背中に、浅間が声をかけた。

「どうだ。辞退しそうか」

気配に気づいていた篠原は特に驚きもせず振り返る。

「無駄ね。彼はそこいらの刑事じゃない。自分の中に確固たる信念を持ってるわ。そしてそれは、何があっても崩れる様な脆いものじゃない」

「そうか…」

無感情を装ってはいるが、篠原には彼の考えが分かった。

「やっぱり、ね。須栗くんを外そうとしたんでしょ」

浅間は無言で缶コーヒーを口にする。

「なんで?そんなに彼の事がキライ?」

一瞬だけこちらを見て、浅間はまた缶コーヒーに口をつける。中身はとっくに空になっていた。

「分かってるだろ。今回の任務がどれほど危険で穴だらけの計画かって事」

篠原も自販機で飲み物を買ってベンチに座った。

「分かってるわ。所轄の人達が捨て駒にされようとしてることもね。だから須栗くんだけは守ろうとした。そうでしょ?」

浅間はフンッと鼻で笑った。

「俺が何でアイツを守る?買いかぶりすぎだ。俺はこの任務に、経験値も少ないアイツが邪魔になるだけだ」

「ふ~ん」

篠原は飲み物を口にして浅間を真っ直ぐに見つめた。

「あたしはてっきり、彼にもしもの事があったらあの人に顔向けできないとあなたが思ってるんじゃないかと思ってた」

浅間は目を閉じ、鼻から大きく息を吸って吐いた。

「関係ない」

「そう」

空き缶をくずかごに捨てて浅間は立ち去った。


その背中を見つめながら

「ほんっとに。相変わらず素直じゃないこと」

と呟いて篠原もコーヒーを飲み干して立ち上がった。




あの日、有給をとって向かったのは、ある少女が埋葬されている墓地だった。

若くして命を落とした、いや、奪われた少女。

当時は、自分には関係のない他人事だった。


鬼の平八と呼ばれた人物に出会い、自分とはかけ離れた価値観を持つその人物に浅間は嫌悪感を抱いた。

「上に上がりたいなら何が自分にとって一番大事か考えろ。踏み台が必要なら使えるものは全部使え」

副本部長の父親は幼少期から口癖の様に息子に言っていた。そうして植え付けられた価値観は自分の中の信念として根付いた。

平八との出会いはそれを根底からひっくり返す程のものだった。

何のために、どうしてそこまでやれるのか、今でも謎だ。

だがその謎は、浅間真二という人格を少しずつ変えていく。未だ答えの見えない真実に向かって。

今はまだ、どう生きるのか固まっては居ない。だが毎年少女の命日になると、その墓地に向かい手を合わせずには居られない。


そこが始まりだと、真二の心の奥で何かが囁くからだ。


「滑稽な姿だ」

浅間はフンッと鼻で笑って口元を結んだ。




          3


「若いのにすごいねぇ。新車を買っていきなりカスタムして、しかも全部現金で支払う人なんて、初めて見たよ」

老舗のバイクショップのオーナーは羽振りのいいお客様に思わず顔がほころんでしまう。

見た目は派手だが、

「とにかくバイクに憧れてて、いつか自分で買うんだって頑張ったんです」

と初めて来店した若者は言った。

「そうか。若いのに偉いな。おじさん借金せずに大きな買い物なんてした事ないよ」

とショップの主人は笑った。


店の裏口から顔を見せた娘の葵が

「出来たよ」

と、カスタム完了の報告に来た。

「お、ご苦労さん。お兄さんお待たせ。じゃあこれ、車検証と鍵ね。大事に乗ってやってよ」

若者は隣のカスタムショップから、出来上がったばかりの新車のバイクを勢いよく走らせて出て行った。

「あ~あ~あんな無茶しちゃって。よっぽど嬉しいんだな」

苦笑いする父の隣で

「ほんと。まともに使ってくれりゃいいけど」

と独り言を呟いて葵は自分の店に戻った。


「ちょっと休憩入るね」

スタッフ達に声を掛けて葵が2階へ上がって行く。

「お疲れ様です!」

とっくにお昼を終えたスタッフ達は

「葵さん自ら作業するなんて珍しいよな」

「初めての顧客だし、なんせニコニコ現金払いだから自分の手でやってやりたかったんだろう」

と談笑しなが作業に戻った。


2階の休憩室兼事務所。そこに設置してある受話器を取って葵が電話をかける。相手はすぐに出た。

「もしもし?あたし。それっぽいのがうちにも来たよ。…うん、言われた通りにしといた。安心して。ところでそっちはどう?」

相手は現在の状況を葵に報告した。

「そう。とにかく希望する人間だけにしようね。リスクと危険しかないから。うん、こっちは思った以上に集まって来てるよ。意外な奴らも。じゃあ、予定通りに」

葵は受話器を置いてもう一人に電話をかける。

「あぁ弥生?…面倒な事に巻き込んじゃってごめん」

弥生は笑いながら応えた。

「何言ってんの。あたしはあたしの気持ちで動くんだよ。昔からそうじゃん」

懐かしく頼りになる友の言葉に、葵は思わず微笑んだ。

「みんなにも言ってあるけど、いざとなったら自分を守る判断をしてね。あんた無茶しそうだから」

「それはお互い様でしょ(笑)。あの子には言ってないね?」

「うん。後で仲間はずれにされたって恨みごと聞かされるかも知れないけど、言ったら絶対来ちゃうから。今のあの子にはこんな事させられない」

「…そうだね」

理沙は今、人の命を救う最前線に居る。憧れだったメディカルセンターの救命士にやっとなれたところだ。決して伝えないよう、二人の間で最初から決めていた。

「あとは、思った様に上手くいけばいいけど」

「大丈夫だよ。もしポシャったら次の手を考えるだけさ。何より、仲間たちの事が一番大事。それと、お互いの家族。ね」

家族を大事に想ういつもの弥生節に、葵は

(変わらないな)

と思いつつ嬉しい気持ちになった。

観音様の微笑みを残しつつ、仁王様が怒りの鉄槌を振り下ろそうと構えている。

そんなイメージが彼女の脳裏に浮かんだ。

「じゃ、また」

「うん、また」

電話を切って、葵はふぅ~っと息を吐いて天井を見つめた。

 いよいよ始まる。

部屋に大事に置いてある家族の写真は伏せてある。目には入れば心が揺らぐような気がしたからだ。

 大丈夫。全部終わったら、また表に返すよ。

葵は遅めの昼食を一人で静かに食べ始めた。


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