価値観

           1


「お手柄だったな。いやぁ〜ご苦労さんご苦労さん」

連続放火事件の犯人逮捕を受け、県警本部で須栗に表彰が与えられた。犯人は過去に窃盗による逮捕歴があり、余罪についても厳しい追及が行われている。

浅間は私用で表彰の場を欠席した。


表彰式が終わり、所轄に戻った須栗を署長が呼んで直々に賛辞を送った。県警からのポイントも上がり、小さな署の長は久しぶりの捕物にホクホクだった。

「相談役から聞いていた通り、君は実直で本当に優秀だ。私としても鼻が高いよ」

「…いえ。それほどでも」

「うむ!謙虚なところがまた素晴らしい。今後とも活躍を期待してるよ。悪い奴らは全員タイホだ!…なんてな」

実績を上げれば署としても株が上がるだろう。でも自分としては業務に徹するだけだ。刑事として、平八さんに誇れる自分になるために。

それに…。

「あの…、今日浅間刑事は?」

「あ〜表彰ブッチした彼ね。私用で休みを取ったらしいが、いやぁ~彼にはツラに泥を塗られたよ。まさか県警の表彰に出席しないなんてね、前代未聞だ。君とは真逆だな。…あ、独り言だからね」

「分かっています。では、自分は業務に戻りますので。失礼します」

「うむ!頑張ってくれたまえ」

署長室をあとにして、須栗はスッキリしない気分だった。


―――最初に被疑者を確保したのは浅間だ。


それを言う機会を、これで完全に無くしてしまった様な気がした。


あの時電話で、こいつは何を言ってるんだろうと最初は分からなかった。

公園に着いて取り押さえられている男を見た時、アイツだ!とすぐに分かった。

自分が一歩及ばず取り逃してしまった被疑者。

なぜすぐ手錠をかけないのかと浅間に尋ねると

「容疑は?何してるか何もしてないのか分からない人間に手錠なんてかけたら問題になるだろ。手錠は君がかけなよ」

と言った。

男が被疑者なのは疑いようがなかった。

奴が根城としていた倉庫には灯油の入ったポリタンクが数本。もちろんストーブに使っていた可能性もあるが量が異常だった。それに床に散らばったいくつかの財布やキャッシュカードの類は明らかに他人のもの。そして後々の鑑識で明らかになるのだが、男が着用していたコートには灯油入りペットボトルの他、放火の際に焦がしたであろう焼け焦げた痕もあった。

彼に言われた通り手錠をかけた須栗は、本部の捜査三課がしっぽをつかめないでいた常習犯の逮捕という事で表彰もされた。

あの時浅間は手錠を忘れてきたと言っていたがそれも嘘だろう。あれこれ理由をつけて自分では手錠をかけなかった本当の理由、それは…。


あまり考えたくは無かったが、アイツは手柄を僕に譲ったのだ。

寒空の下、自分の足で警戒に廻り必至になって追いかけても取り逃してしまった僕に。


連行する車内で須栗は浅間に尋ねた。

なぜここが犯人の隠れ家だと分かったのかと。

彼はフッと鼻で笑って

「人目につかず、それなりの広さもあり、誰かが住んでるなんて想像もつかない場所。それにネットでは色んな情報が取っ散らかされてる。面白おかしく書き立てる奴もいれば、不審な人間を見つけたなんて投稿する奴も。もちろん全部が信用出来る訳じゃない。が、全てがエセとも限らない。特に、それに乗っかって『自分も見た』とか『怪しい隠れ家発見』なんて本当か嘘か分からない様なものを流してる奴も。だが複数の人間が、折しも同じ町内で同じ様な嘘を並べ立てるなんてのは考えにくい」

淡々と喋る浅間はいつもの様にスンとしていた。

「ネットに書き込んだ人物を、住所を特定できるのか?」

「造作もない」

それは、違法なことなのかも知れない。

相手の了解も得ず個人情報を盗み見てるのだ。その方法は分からないが。

だが、そのおかげで警察でも知り得ない拡散された情報が今回の犯人逮捕につながった。

須栗は、浅間が普段からパソコンでろくでもない事をしているんだろうと思い込んでいたが、実はそうではなかったのかも知れない、と思った。

「他に何かやってるのか?その…、捜査に役立つ事とか?」

浅間はあからさまにフンと鼻で笑った。

「僕はそれほどヒマじゃないし仕事熱心でもない。面白そうな、自分にとって一番大事なことにしか興味はない」


 やっぱりコイツは思った通りの奴だ。

 …でも、それだけじゃないかも知れない。

「ま、君も司法試験に受かるぐらいの勉強はしておいた方がいい」


最後の余計な一言がなければ、須栗は浅間に感謝も尊敬もしていたかも知れなかった。



          2


機捜(機動捜査隊)の仕事は多い。

街の巡回はもちろん、事件が発生した際には真っ先に現場に向かい、初動捜査、関係者の確認や現場保存を実施したのちに鑑識や所轄の捜査員に申し送りする。防犯だけではなく現場での判断、対応も担う上に逮捕状の請求なども行ういわば「警察の何でも屋」だ。

激務な上に危険な局面も多い。それでも捜査員であり続けるのは人並み外れた体力、精神力と信念の賜物である。


と、朝の朝礼では署長がだいたいこういう話しをするが、万人全てがそれを満たしている訳では無い。

警察官とて人間。時にはのっぴきならない相手に激昂してぶん殴りたくなる時もあるが、ギリギリの抑制力でそれを踏みとどまっている。

ここでも「〜力」が必要になるのだが。


須栗が署長室に呼ばれた。

学生のとき何度か校長室に呼ばれてお説教された経験を思い出すので、本当はあまり行きたくない。

「失礼します」

いつもの様にノックして入ると署長の他にもう一人、見かけない人物がいた。相手を窺う様な目つきが気に入らない。おそらく刑事ではない、と須栗は瞬時に思った。

署長の顔がいつもよりやや緊張気味に見えた。

「どうかね?ペアの浅間君とはうまくやってるかな」

そんな事で呼ばれたのではないだろうと思っていたが

「はい。お互いに協力しながら日々の業務にあたっています」

当たり障りのない言葉を須栗は選んだ。

「そうか。ま、先はまだ長い。少しずつ良好な関係を構築してくれたまえ。それで今日きみを呼んだのは他でもない。この件の捜査をして欲しい」

A4サイズの茶封筒には捜査資料がいくつか入っていた。

「名前は" 伊賀屋 敦”。町で若者を中心としたギャングの様な集団を組織して、暴力団とも繋がりを持ち、特殊事件にも関与している疑いも持たれている。この人物を徹底的にマークして、身辺を洗って欲しい 」

須栗は署長に質問した。

「二課の強行犯係の分野では?」

「この人物は情報収集にも長け、強行犯係のメンツは全部知られている。現在の住まいはそこに書いてある通りだが、居場所を転々としてなかなか抜かりがない。古参のデカより、若い捜査員を付けろと言うのが上の命令だ」

「分かりました。浅間刑事と二人で捜査にあたります」

署長はちょっと考える素振りを見せ

「いや。今回は篠原刑事と組んで欲しい」

と伝えた。

 なぜ?

 どうしてペアの浅間をこの件から外すんだろ

 う。

疑問に思う所だがおそらく回答は得られない。

それにトップダウンの組織では余計な疑問を口に出さないのが鉄則だ。

自分たち「駒」の人間は、上に言われた通りに動けばいいだけだ。

「承知しました。では、さっそく巡回に出かけます」

「あ、ちょっと待ってくれ」

署長がコホンと咳払いをした。

「こちらは公安部の森警部補だ。少し、いいかな」

公安、と聞いて須栗は嫌な予感がした。彼らは警察内部の捜査機関。いわば警察の警察、監視役の部署だ。

キツネを思わせる目つきの男は低い声で、それでいて隙のない話し方で口を開いた。

「須栗くん、といったね。きみにはお兄さんがいるだろ」

何となく、嫌な予感が的中したと思った。

「はい」

「須栗龍也。彼は若い頃ずいぶん活躍したそうじゃないか」

兄の素行が悪かった時代は随分昔の話だが、そんな話しを今頃持ち出された事に啓太は心の中でムカッときた。

「今回の人選で私は異論を唱えた。なにせ若いギャング集団が関わる事案だ。誰がどこで繋がって組織されているのか不明な部分も多い」

「…何が言いたいんですか」

キツネ男は目を閉じ、上目遣いで須栗を見た。

「中には、過去に逮捕や補導された人物も含まれている。一旦は更生したものの、人間なかなか簡単に中身までは変えられないものだ。特に過去に犯罪で味をしめた人間は」

須栗の手は小刻みに震えていた。怒りと苛立ちによるものだった。

「兄の龍也が、この一連の件に関係していると?」

相手はフッと鼻で笑った。

「いや、そうは言ってない。ただ警察の身内から万が一にも何か出たりしたら、警察の威信に関わることだ。それに」

キツネはねちっこい言い方で言葉を続ける。

「何らかの形でこちらの情報が漏れ出すような事態になれば、我々は真っ先にその疑いのある対象を拘束する」

やりとりを横で聞いていた署長は居心地の悪そうな顔をしていた。

「ま、この件に関しては刑事課だけではなく、公安も注目している。その事はしっかり覚えておいてくれたまえ。では、失礼」

キツネ男は、能面の様な顔を最後まで変えることなく署長室を出て行った。


「…すまん。私としてもそんな事は絶対にないと思っているが、逆らえないところでもある。どうか気を悪くしないでくれ」

肩身の狭そうにしょぼんとした署長に須栗は応じた。

「分かっていますよ。兄が過去にしてきた事も、疑いの目が向けられても仕方のない事も」

少し頭を垂れた署長に須栗は付け加えた。

「ただ署長。絶対にないって言葉は言わないで下さい。それは、警察の人間が絶対に言ってはならない事ですから。…失礼します」

部屋を後にする須栗の背中を、署長は複雑な表情で眺めていた。



(こんなのはもう慣れっこだ。そもそも警察になる時から俺はハンデを抱えてきた。身辺調査はこの組織の基本で得意分野だからな)

だが須栗の心には、悲しみにも似た悔しさがまた首をもたげる。

「一生、元犯罪者って言われ続けるのかな」

弟思いで愛に溢れる今の兄の笑顔を思い浮かべ、今夜は久しぶりに二人で外で飲みたいなと思った。



          3


数年前、女性たちだけで構成された暴走族のグループがいた。

彼女達の存在は警察よりもおそれられ、その名前を聞くだけで震え上がる輩も居たそうだ。そしてその存在が、町の犯罪の抑止効果にも繋がっていた。

「抑えるフタがなくなったら、鍋の中は沸騰して溢れ出すだろうな」

恩師であり憧れでもあった平八さんが退職する前、そんな事をポツリと言っていた。

当時はいまいち飲み込めなかったが、今のこの町の現状を見て須栗はその意味が良く理解出来る。

彼女たちのグループが存在しなくなって以降、若者の犯罪はみるみる増加した。彼らは決まったグループなどほとんど作らず、インターネットを通じて共犯者を集める奴らもいる。

仲間という関係でもないため、一人捕まえたら芋づる式に…などという事もない。

中には一見して分からないほど本当に普通の子が、犯罪に手を貸してしまうこともある。

須栗が渡された資料にも、ギャングと呼ばれる集団の名称はおろか、全体の人数さえも把握出来ていない。名前の挙がっているこの手配中の人物も、別の街からやってきて悪事を繰り返し、次第に同じ様な連中を集めたようだがなかなか尻尾を出さない。

もう少しのところまで追い詰めても別人を出頭させてのうのうと逃げおおせている。

 (俺が絶対捕まえてみせる)

須栗は使命感にも似た思いで毎日を送っていた。



「何でそんなおっかない顔してるの?」

ハンドルを握る篠原刑事が須栗の様子を見て軽く声をかけた。

「いや、別に」

顔に出てしまっていた事がちょっと恥ずかしくなった彼は素知らぬフリで視線を外に移した。

悪そうな若者達がたむろしている。もしかしたらギャングのメンバーかも知れない。本当は片っ端から職質をかけて回りたいところだが。

「確実なものを掴むまで余計な事はするな」

という、上からの命令だ。

泳がせておいて、確実に網を仕掛けてから一気に追い込む。今度は替え玉も使えないほど、びっちりと隙間を埋めて着手する計画だ。

だがこうしている間にも被害に遭う人たちはあとを絶たない。

須栗はもどかしい気持ちにまた表情が険しくなった。

「冷静にね、啓太くん。正義感だけじゃ刑事は務まらないわ」

運転しながらも周りを注意深く観察する彼女に「篠原さんは、何で刑事になったの?」

と須栗はきいてみた。

彼女はしばらく黙っていたが、

「父親は刑事。兄は白バイ乗り。おじいちゃんの代からうちは警察一家。特にやりたい事もないし、何となくね。安定した収入も得られるし、退屈しない」

と、淡々と語った。

「そっか」

みんながみんな、自分の仕事に情熱を燃やしている訳では無い。

複雑で多様とは言われる現代社会で、自分は異端なのかも知れないと須栗は感じる時もある。

でも平八さんを始め、尊敬出来ると思う人たちはみんな

「変わり者で結構。異端であれ」

と同じ様な事を口にする。

そんな言葉を思い出すたびに。いや、迷う様な時にそんな言葉を思い出すのだった。

「時間ね。帰署するから無線入れて」

今日のパトロールを終えて、車を転回させようとした時だった。

「ボーッボーッ!至急至急、広域114から〇〇!」

至急報と同時に緊迫したPMからの無線が飛んできた。

「至急至急広域114どうぞ」

「現在〇〇町内コンビニエンスストアにて刃物を所持した男が、駆けつけた警察官に対して抵抗。PM1名が刺され重傷!緊急配備を要請する、どうぞ!」


 警察官が刺された。

この凶悪な無線に、全署員に緊張が走った。

署内のスピーカーからも速報が入る。

「プププッ!プププッ!県警本部から全捜査員へ。ただいま無線傍受の通り、〇〇町内コンビニエンスストアにおいて警察官に対する傷害事件発生。現場から半径2km圏内に緊急配備を実施。また被疑者は現在も刃物等を所持している可能性もあり、各員防刃装備を着用の上、受傷事故等の防止に努め対応にあたれ。なお、現時刻をもってこれを最優先事項とする。以上本部長令」


無線を聞いた須栗と篠原もサイレンを鳴らし赤色灯を回して現場に急行した。


会話を失くした二人の胸中には、嫌な胸騒ぎが次第に広がりつつあった。

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