日常業務

          1


車に乗っていながらパソコンの画面を眺めて、よく酔わないなと須栗は思ったが特に何も言わなかった。


最初の頃は何とかコミュニケーションを取ろうとあれこれ話しをふってみたりもしたが、相手は望まず自分も無理してるなと気づいたので、特に必要な事以外は話さなくなった。

何となく流れで覆面パトのハンドルを自分が握っているが、代わろうか?とかアクションもないので黙って今日も運転役をかってでている。もともと運転は好きな方なので嫌では無いのだが。

隣に居るのがこんなヤツじゃなければ。


「お前らよく業務に支障きたさねぇな。連携不足でヘタこいたりなんてシャレんなんねーぞ。せいぜい俺らに迷惑だけはかけんなよ」

見た目に劣らず口も悪い先輩刑事から苦言を呈されたこともある。

そんな時でも浅間は

「無駄口は、かえって業務に支障を来すので」

と、スンとした態度で言い返した。

頭に来た気性の荒い先輩が胸ぐらを掴んだが、

「いいんですか?問題になりますよ」

と返され、煮え切らない顔をくしゃくしゃさせていたがそれ以上何も出来ず、乱暴に手を離して黙って出て行ってしまった。

誰に何を言われても同じような感じで気分も良くないので、須栗もなるべく関わるのは必要最小限にとどめている。


 一体どういう神経してるんだろ。

仕事で、特に自分達のような特殊な活動を主とする業種には、良好な人間関係は公私ともに欠かせないと育てられた須栗には全く理解出来なかった。

それなら一人で居させればいいものを、わざわざ自分がペアを組まされるなんて。

篠原さんと組めてたらどんだけ幸せだったか。


彼女は刑事課の古い先輩に必死で付いて毎日学んで成長している。現場第一線主義のあの人だ。

でこぼこコンビと言われてたが、一ヶ月も経つ頃には周りが見てもなかなかいい雰囲気で、まるで親子のような関係が羨ましかった。


「あの交差点、右折」

浅間が急に話しかける。

なぜ、と言いたげな僕を察するように

「先週起きた連続放火事件の現場住宅付近だ。警戒重点区域に指定されている」

とまたしても、スンと応える。

「はい。りよーかい」

やれやれといった気持ちで須栗は車両をそちらへ向けた。



一番被害の大きかった住宅にはまだ規制線が張られ、そこかしこで何かを燃やした様な痕が、住宅街に異様な雰囲気を漂わせている。

須栗は少し離れた公園の側に車を止めた。これも浅間が指示したからだ。

「それで?これからどうするんだ?」

浅間はパソコンを操作しながら

「君は徒歩で付近を巡回してきたらいい」

「おたくは?」

「僕はここで周りを警戒する。それと一つ言っておくけど、今度の試験に合格したら僕は階級が一つ上がる。君の上司になる訳だから言葉は選んだ方がいい」

心の中で(イーッだ!)と奥歯を噛んだが、

「はいセンパイ。仰せの通りに」

と言い残して寒空の車外に降り立った。



          2


「どうだ。あいつらうまくやってるか」

署長の来客室で、平八は萩野に尋ねた。


近くに来たから寄ってみた、と警察署を訪れた古株の大ベテランの登場に、彼を知る署員達は大はしゃぎで歓迎した。

「ぜひ萩野相談役にも会っていってください」と現在の署長が案内しようとしたが、部外者がおいそれと上に上がることは出来ないと平八は断った。

たまたま来ていた萩野が周りもはばからず

「平ちゃ~ん!」と抱きつきそうに喜んだので、仕方なく(本音では嬉しそうに)お呼ばれする事にした。

署長は「ちょっと忙しいのですみません」

と、気を利かして席を外してくれた。



「まぁ、問題なくやってはいると思うよ。今のところはね」

火と油ほど混ざり合わない二人のペアを思い浮かべながら萩野は控えめに言った。

「ところで平ちゃん、何であの二人をくっつけたの。根回ししてペア組ませたの、平ちゃんでしょ」

ずっと聞けなかった事を萩野は切り出した。

「おいおい。いくら俺でもそこまで口出し出来るほど人脈はないぞ。まぁ、それなりのポストに就く人間に打診はしたけどな」

やっぱり、と萩野は思った。

普通で考えたら何かの力が動かなければこうはならないはずだと思っていたのだ。

「それに言っとくが、俺が根回ししたから人事が動いたんじゃない。彼らもバカじゃないからな。引退した平の刑事(デカ)のたわごとで人を動かすほどヒマじゃない」

「じゃあ、どうして…?」

平八はお茶を一口すすり

「あいつの、浅間の希望だ。親父のコネを使ってこの署へ、しかも刑事課に配属してもらうよう頼んだみたいだな」

萩野としては意外な言葉だった。

「へえ?自分で?…そりゃなんでまた」

平八は苦笑いして

「それは俺にも分からん。本庁にいれば黙ってたってエスカレーターで登れるのにな。俺が言うのもなんだが、わざわざこんなへんぴな所に希望を出してまで移ってくる意味は分からんよ。まぁもともと何考えてるかよく分からん奴ではあるけどな」

平八はゆっくりとお茶を飲み干した。

「ま、おいおい分かるだろうよ。それまではペアを解消する事がないように、あんたからもよろしく頼むよ」

さてそろそろ行くか、と腰を上げて出口へ向かう平八が萩野を振り返った。

「な・か・よ・く」

平八は愉快そうに部屋をあとにした。



          3

「寒っぶ!」

住宅街を周りながら須栗は思わず口にした。

今頃、ペアのアイツは暖かい車内でのんびりパソコンでもいじってるんだろうと考えると何だか面白くなかった。

どうせ次の試験に向けて受験勉強でもしてるんだろ。

署長命令だから仕方無いことだが、自分もそろそろ相手を替えて欲しいと思っていた。

個人の要望が通るわけはないと分かってはいるのだが。今の現状は業務に支障をきたしかねないギリギリの所だと感じていた。

少なくとも、自分のメンタル的には。


何事もない住宅街を一通り周り終えて、そろそろ車に戻ろうかと考えていた時、啓太は一人の人物に目が止まった。

何がどうという事はないのだが、そこはかとなく常人とは違う雰囲気を感じる。刑事のカンというやつだ。

気配をなるべく消しつつ、職務質問をかけようかと近づいた時、その人物と目が合った。

相手は焦点が合ってない。

寒いとはいえ、やけにずんぐりしたコートを着ている。

次の瞬間、それは一目散に走り出した。

「おい!まて!」

必死で追いかけるが、相手は体形に似合わないスピードで走る。そして途中から、身につけていたコートを脱ぎ捨てた。

ドサッという音とともに地面に放り出されたコート。その内外のポケットから、ずんぐりの正体が散らばった。

ペットボトルに入った液体、ライター、火種にも使えそうな紙くずなど。

身にまとった物から解放されたそいつは更にスピードを上げて走り続ける。

「はぁっ、はぁっ!」

脚力には自信がある方だったが、逃走本能をむき出しにして走る相手に追いつけない。

息を切らしながら啓太は無線を手にして叫んだ。

「至急至急!PMから〇〇!(地名)」

「至急至急PMどうぞ」

「不審な人物に職質をかけようとしたところ、対象は、やにわに逃走!…はぁっはぁっ、対象はコートを脱ぎ捨て住宅街を駆け足で南進。住宅街で遺留物の捜索および、応援願いたい!どうぞ…!」

「〇〇了解。対象の人着(顔や姿)にあってはいかがか、どうぞ」

「対象は、…身長170cmぐらい。年齢不詳。黒のニット帽を被り、長靴を着用。現在も逃走中!」

「〇〇了解。現在付近巡回中のPC(パトカー)を現場へ向ける。凶器等の所持は?どうぞ」

全速力で走りながら喋って、須栗の喉はカラカラでうまく声が出せない。

「…凶器は、凶器については不明!以上!」

半ば強引に無線を終えて、須栗は更に追いかける。

だがかなり先の角を曲がったのを最後に、不審人物の足取りは途絶えてしまった。

「…はぁっ、はぁっ。PMから〇〇…。現在住宅街を抜けた辺りで失尾。応援まだか、はぁっ、どうぞ…」

仕事とはいえ無線のやりとりがなければもっと全力で追いかけれたのに。

「失尾、了解」

くそっ!

須栗はその場で立ち止まり肩で息をした。

所持品からして、あの人物が放火犯の可能性が高い。違ったとて、持ち物が異常なのは間違いない。

「くそっ!」

須栗は地面を蹴って先ほどコートが脱ぎ捨てられた場所へ引き返す事にした。程なくしてあちこちからサイレンの音が聞こえてきたが、身長170cmの人間なんてどこにでもいるだろう。ニット帽も脱ぎ捨てたかも知れない。身を潜めてほとぼりが冷めるのを待たれていたら、見つからないだろう。

こんな時でも、車の中でのうのうとしているであろう浅間が思い浮かんで、憎らしかった。



          4


(このあたりのお巡りなんてチョロいもんだ)

追っ手を完全に引き離して、男は汗だくのニット帽を脱いだ。

窃盗で捕まった経験を持つ男は、警察が何をどうやって被疑者にたどり着くか、犯罪に詳しいヤツからも聞いて知っていた。それ以前までもいくつか罪を犯したが、証拠不十分であったり、調べすら進められていない案件も多い。

空き巣を始めて半年経つが、未だ自分に捜査の手は及んではいなかった。

盗みに入った痕跡を消すために火を放った時から、他人の物が燃えていく興奮にいつしか取り憑かれていた。

だが、家一件丸ごと燃えてしまったのは計算違いだった。

足がつく前にこの町を早々に出る必要がある。

だが着古した他人のコートは脱ぎ捨てたし、身長をごまかすために履いているこの長靴も捨てればいい。奴らが必死にその影を追いかけている頃、自分は別の町でまた生業を始めているだろう。


自分に声をかけようとしたのが刑事だというのは一目で分かった。物色している最中に見つかったのは初めてだったが、それはそれでスリルと興奮を覚えた。


男は自分の根城としている公園に戻って来た。

鍵もかけられず自治体の管理も届いてないこの公園の倉庫は最高だった。

次もこんないい場所が見つかるとも限らず少し惜しい気もするが、身なりをさっと替えて今日のうちに立ち去ろう。生活用品(ランタンや段ボールなど)は置いといて問題ないだろう。どのみち放火犯と自分を結びつける物にもならないはずだ。



そばの道路に1台の車が停まっていたが特に気にはならなかった。どうせヒマなサラリーマンがサボって昼寝でもしてるんだろう。

(ちゃんと仕事しろよ)

自分の事は差し置いて、男はそう思いながら倉庫の引き戸を開けた。


「おかえり」

切れ長の鋭い目つきの男が、パソコンをあぐらの上に置いて座ってるのを見た時、思わずチビりそうになった。

「な、なん。だれだ、おまえ…!」

ようやく出せた声はかすれて震えていた。

「俺?俺はボッチのサラリーマンだよ」

切れ長男はポケットから最も恐れているものを出した。警察手帳だ。

「公共の場を自分のものにしちゃいけねえな。お前を捕まえる。不法進入及び公共物損壊の罪ってとこだな。今のところ」

「…ふ、ふざけやがって!」

密室という状況が男を暴挙に駆り出させたが、ヒョロっとした相手の意外な強さで、簡単にねじ伏せられた。

切れ長は携帯電話を取り出して誰かと話し始めた。

「須栗か?公園に戻れ。やたらと底上げされた長靴を履いた不審な男を確保した」





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