第3話 富士見町1・2丁目 富士見公園

 草木も眠る丑三つ時。富士見公園は川崎市で初めての都市公園として昭和15年に開園。公園の敷地は国道132号が東西をまたぐ形で南北に広がっており、南側にはアメリカンフットボールやサッカーなどの総合球技場「旧川崎球場」がある。毎年11月は「川崎市民まつり」の会場として利用される。

 4月の現在は「川崎裏市民まつり」の一角として異界の者たちが集う「悪魔の大市」の会場と化していた。表向きはただのフリーマーケットだが、実際には異界の住人たちが密かに取引を行う危険な場所だ。


「この辺かな。」


 レイは一歩前に出て、周囲を警戒しながらつぶやいた。俺は彼女の後に続き、暗い道を進む。人通りは少なく、ただ街灯の明かりが不気味に揺れている。異界の者たちが集まる場所に足を踏み入れると、自然と警戒心が高まる。


「大丈夫か?」

「心配しないで」


 レイは俺に向かって振り返り、軽く笑った。その表情には少しも不安の色は見えない。だが、彼女もまた気を引き締めていることは、目の奥に宿る冷徹な光から伝わってきた。


「嫌な予感しかしない。」

「分かってる。だから、あんたも気を抜かないで。」

「了解。」


 俺はうなずき、さらに緊張感を高める。


 やがて、富士見公園にたどり着く。そこにはすでに様々な人々が集まっており、異界の者たちが次々と商品を広げている光景が広がっていた。魔道具、異界の生物、さらには人間界から盗まれた物品まで、ありとあらゆるものが売られている。ここに来る途中で、金山神社のご神体である「金魔羅の秘宝」が売りに出されるという噂は掴んでいた。


「いろんな意味で、ここにいるやつらは手強い。」


 レイが低い声でつぶやく。彼女が指さした先には、黒いローブをまとった集団が立っていた。その顔は隠され、体の動きも一切が不自然だ。明らかに異界の魔族であり、こいつらの中に「金魔羅の秘宝」が出品されている可能性が高い。俺はレイの後を追いながら、徐々にその集団に近づいていった。息を殺し、足音を消すように歩を進める。しばらくして、俺たちはその集団に接近し、背後からの視線を感じながらも無理なく距離を縮めていった。


「……見つけた。」


 レイが耳打ちするように言った。その視線の先に、異界の魔族の一人が持っていた箱が目に入った。箱の表面には、金属で作られた奇妙な模様が浮かび上がっており、その中には何かが納められているようだ。まさか、この中に「金魔羅の秘宝」があるのだろうか。


「おい、レイ。あれか?」

「間違いない。でも、問題はあいつ。」


 レイが話している通り、その箱を持っているのは見たこともないような異界の魔族だった。黒いローブに身を包み、その目はまるで死者のように無感情で冷徹だ。


「どうやって近づく?」

「まずはあの集団の目をそらさないと。」


 レイは周囲を見渡し、少し考えた後、すぐに決断した。「私が注意を引く。その隙に接近して。」


「分かった。」


 俺は彼女の指示を待ちながら、慎重に状況を観察する。レイが動き出した瞬間、その動きはまるで影そのものだった。異界の者たちの間を音もなくすり抜け、自然な流れで相手の注意を引きつけていく。俺は彼女の行動に呼応し、周囲に気配を悟られないよう足音を消して荷台へ向かった。


 目指す箱は、異界の者たちが運んでいた荷台の上に無造作に置かれていた。周囲には怪しげな道具が雑然と積まれているが、その中でも、古い金属の彫刻が施された奇妙な箱が一際異様な存在感を放っていた。


 レイがローブ姿の魔族に話しかけ、軽く注意を引く。その隙を突いて、俺は静かに荷台に近づく。息を潜め、手を伸ばし、慎重に箱の上に積まれた他の物をどけた。触れるたびに小さな音が響き、心臓が張り裂けそうになる。


 ついに箱を持ち上げたその瞬間、視線の束が俺に向けられたような感覚に襲われた。次の瞬間、鋭い声が響く。


 「おい!何をしている!」


 声を合図に、周囲が騒然となった。俺は箱を抱えたまま駆け出す。レイもすぐに追いつき、二人で全速力で逃げ始めた。背後から響く怒号と足音。振り返る余裕なんてない。ただ、全力で走るしかなかった。街灯の下で伸びる影が追撃の気配を際立たせ、空気が張り詰める。


 暗い路地を幾つも抜け、息も絶え絶えになりながら、俺たちは藤崎第三公園へ滑り込んだ。遊具の中に身を潜め、音を立てないよう息を殺す。追っ手の足音が徐々に遠ざかっていくのを確認すると、二人で大きく息をついた。


 「撒けたな。」


 レイが小声で呟く。俺は黙って頷きながら、手に持つ箱の重みを確かめる。これが「金魔羅の秘宝」だという確信が、じわじわと胸に湧いてくる。


 「金山神社に急ごう。」


 俺の言葉に、レイも頷く。そして、再び静寂を破るように二人で動き出した。目指すは金山神社――まだ危険は続いている。

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