第28話 七生報国

神が再びこの島へ舞い戻り、今度は武将の弟として生を受けたとき、その家系は血と忠義に彩られた激烈な運命を継ぐ一族であった。生まれ落ちた城館は山間に構えられ、周囲は鬱蒼とした森林に囲まれている。幼いころから馬術や剣術に慣れ親しみ、朝な夕なに礼法や兵法を叩き込まれながら、神はひそかに「これこそ武士の道」と興奮に似た気持ちを募らせた。分裂した帝の系統――どちらを正統とするかで世は混迷を深めており、父や兄たちは、それぞれの信じる帝へ忠節を尽くすことこそが武士の誉れだと力説する。神はその話を聞くたび、心の奥で波打つ血のような熱を感じた。もはや神としての客観性など薄れ、ひとりの人間――いや、「武士の家に生を受けた男」としての感情がぐいぐいと膨れ上がっていた。


兄は一族の誇りと呼ばれるほどの人物で、剛胆な武勇に加えて智謀にも長けていた。何より誇り高い武士道を貫く姿はまばゆく、神にとって絶対的な存在だった。敵の大軍を幾度となく退け、戦上手と謳われるが、その道は常に死と隣合わせ。ときには撤退のために城を自ら焼き払い、焼け死んだと見せかけることで敵を欺くこともあった。神もまた兄の麾下として数多くの戦に参加し、血と汗にまみれながら武の道を学んだ。もともと神の身であれば、未来を予測したり奇跡を起こすこともできようが、いまはあえて何も行使せず、ただ兄の教えを忠実に守り、己の剣ひとつで生を賭ける。死と背中合わせの戦場にこそ、この生き様の真髄があると信じたからだ。


だが、やはりというべきか、時代の流れは無情だった。兄の策が幾度も功を奏しても、次第に敵は大軍勢を整え、包囲網を狭めてくる。いつしか山城を落とされ、川辺の平地を失い、何度目かの敗走を経て、兄の一族はあとわずかの郎党を連れて海辺の民家に逃げ込むしかなくなる。そこは外海に近い入り江で、波が岩壁に叩きつける音が遠くからこだまする。その夜、民家の六間ある客殿を借りた兄と神たち十数名の武者は床に膝をつき、或いは背筋を伸ばして座り、まるで最後の静寂を惜しむように時間を刻んでいた。


手負いの将兵の息遣いが響き、煤にまみれた甲冑はボロボロだ。全員がここへ追い詰められ、今夜にも敵が大挙して押し寄せるのは目に見えている。逃げ場などほとんどなく、援軍を期待できる仲間も残っていない。神は薄暗い灯りのもと、兄の横に座ってその鋭い横顔を見つめた。燻る炎が兄の頬を照らすと、その瞳には微かな揺らめきと決意が同居している。やがて兄は凛とした声で、「何か最期に申し残すことがあるか」と問いかけた。家人たちは各々が十念――死後の往生を願う祈りの言葉を唱え、ある者は子を国許に残してきた無念を呟き、またある者は先祖に恥じぬよう最期は潔く散りたいと誓った。


兄が神を振り返ったのは、そのあとだった。壁に掛けられた仏画を見やりながら、九界のうち、汝は何処へ往生せんと願うか、と静かに問う。九界――さまざまな生死の輪廻を表す言い伝えが、この島には存在する。通常ならそこに極楽往生の道を思い描く者が多いだろう。けれど神は、己の内に突き上げる感情を抑えきれず、胸を張るようにして声を上げた。


「七生マデ只同ジ人間ニ生レテ、朝敵ヲ滅サバヤトコソ存候へ。」


それは、自分が何度生まれ変わろうと同じ人間として再びこの世に降り、帝を脅かす敵を刈り取りたいという決意の言葉だった。出家や極楽などの救済より、武士が生ある限り戦い抜き、主への忠義を続ける――その気迫こそが神の胸を燃やしていた。兄はそれを聞いて大きく息を吐き、やがて口元に苦渋を含んだ微笑みを見せた。

ならば行こう、我等の道はここで閉じるが、またいつか、この世にて会うやもしれぬ、と言うと、隣で控えていた郎党たちも一斉に頭を下げ、悲壮な決意に満ちた沈黙が客殿を包んだ。


外では既に夜が明けかけ、夜陰に隠れていた敵兵が周囲を囲い始めているらしい。兄は縁側から差し込む微かな朝の光を背に、神へと視線を送り、最期の言葉を交わそうとした。その刹那だった。神は立ち上がり、思いきり強く刀の柄を握った。兄もまたそれに呼応するように構え、目と目を交わす。彼らはあえて刺し違えることを選んだ――悔いなく散るために。まばゆい一瞬に、神は兄の太刀がこちらに切り込むのを見て、自分も己の刃を振りかぶった。鋭い衝撃とともに鮮血が辺りに飛散し、神の胸には激しい痛みが走る。視界がにじんで、兄の顔が白く揺れる。わずかに動く唇から何かを告げる声が届いた気がしたが、もうはっきりと聞き取れない。痺れるような感覚に包まれながら、神は自分が今、果し合いのように兄と刺し違えている事実だけを確かなものとして感じていた。


床に崩れ落ちるとき、神の意識は微かに蘇っていた“本来の神”の側面を感じた。兄や郎党たちが一斉に最期の叫びを上げるなか、外から踏み入ってきた敵兵の喧騒が響く。殺気や血の臭いが入り混じり、まるで地獄絵のような光景だが、その中心にある神の心は言いようのない高揚を覚えていた。かつて世界を見下ろす観測者だったころの神には、こんなにも熱く、悲しく、美しい死は想像しきれなかった。いまや己が武士の一員としてここまで生を賭けたのだ――その記憶はどれほど短くとも、魂を揺さぶるに十分だった。


やがて体が冷えきり、神の意識は本来の無形の存在へと引き戻される。最期まで戦い、誇り高く散った姿を思い返すと、胸には激しい鼓動が残っているようにも感じる。兄との約束は、まさに「七度生まれ変わっても国のために尽くす」というものだった。それを神としての自分がどう解釈し、どう果たすか――その答えはまだ見つからない。だが、せめて言葉どおり、再び何度でも人間として生まれ、あの武士道を完遂できるかもしれない。もし次に人間としてこの島に降りるなら、また帝に仕えたい、兄の思いを引き継いで敵を討ちたい――神は不可解なほど強くそう感じた。


血と刃が交錯した民家での死に様は、肉体が滅びてなお、神の中に深い痕跡を刻んだ。漆黒の闇の中で静かに感情が湧き上がる。生きている間は決して長くはなかったが、あの短い日々に凝縮された忠誠心や兄弟の絆は、普段の観測者の感覚では得られないほどに鮮烈だ。神は虚空を漂いながら、小さく呟く。「七生まで同じ人間に生まれ、再びこの武士道を歩む」。人としての誓いが、神としての永遠に近い記憶と結びつく。この契約を、神の身分であっても果たす意思はあった。なぜなら、あそこにあった情熱と絆こそ、神が人間に興味を抱く最大の理由でもあるからだ。


まばゆい朝の光が、あの民家の囲炉裏を照らし、すでに絶命した兄や郎党たちの無念を映し出す。敵兵たちが戸を開け放ち、刀を引き抜いて悲惨な戦果を確認するだろう。彼らにとっては、ただ一人の強敵の最期かもしれない。それでもここには紛れもないドラマがあった。血を流しながら、誇り高く散った命の輝き。神がそれを覚えている限り、そしていつの日か再び人として来るときも、その輝きを記憶に焼き付けておこうと、神はまぶたを閉じるようにして思った。見上げれば青空が拡がり、空には雲が流れる。あの時、朽ち果てた民家の屋根の隙間から見えた空は、果てしなく高かった。誓いはその高さを越えていつまでも続き、七生の輪廻を巡り、神と人間との約束を象徴し続けるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る