第29話 是非に及ばず
神は七度にわたる生まれ変わりで、長い戦いの宿命に翻弄され続けた。かつて太陽の巫女として葬られた島は、帝を頂きながら実質的には分裂し、軍閥同士が血を流す戦国の時代に突入していた。かつて何度も武士となり、忠義を尽くし、火中へ身を投じては散った神だったが、今度はその島の中でも特に進取の気性を備えた武将の息子として再び生を受けることにした。地域特有の濃くて力強い味噌の文化が息づく土地――そこでは、父が奇抜ともいえるほどの開明的な思想を振りかざし、新時代を切り拓こうと猛進していた。
父は騎馬武者たちの常識をはるかに超えた軍略を打ち立て、大陸から取り寄せた火薬を金属の筒に詰めて弾丸を打ち出す“鉄砲”と呼ばれる新たな武器を大量に導入した。かつて刀や弓矢が主力だった戦場において、その威力は圧倒的であり、周囲の敵国を次々と打ち破っていく。さらに父は既存の聖職者の権威にも怯まず、もし反逆されれば、たとえ寺院や山全体を焼き落とすことも辞さない徹底ぶりを見せた。その苛烈な行動は多くの人間に恐れられたが、同時に古いしきたりや権威を打ち砕く風雲児として熱狂的に支持される面もあった。
神はそんな父の指導を受け、軍学と武芸を叩き込まれながら、いつしか領土の大部分を手中に収め、島全体を統一せんばかりの勢いを得る日々を目にしていた。かつて何度も武士として戦った神にとって、これほど革新的な指揮官は初めてだった。古い慣習や血筋による価値観を軽んじ、実力や新技術を全面に押し出す。その徹底した合理性は同胞の武将たちさえ翻弄し、続く者は急速に台頭できるが、逆らう者は容赦なく粛清される。父の覇業は止まるところを知らず、かつて互いに血を流していた諸国をあっさりと平定し、残るはほんの数箇所の大きな勢力のみ――そう誰もが思っていた。
ところが、ここで思わぬ裏切りが起きる。これまで父を支えていた重臣のひとり、故事に秀でた保守的な男が、突然の反旗を翻したのだ。父の急激な変革を内心では受け入れられず、恐怖と反発を募らせていたらしい。時代のうねりに順応しきれない焦燥もあったのだろう。ともかく、その男は周囲に刺客を差し向け、父が油断して滞在する宗教施設へ夜襲を仕掛けた。
ふっと灰色の煙が立ちのぼる中、神は父とともにわずかな手勢で立ち籠もり、懸命に応戦する。炎が回廊を浸食し、木の骨組みが炎の色を映しながら崩れ落ちる。囲まれた施設の中で、次々と仲間が斬られ、息絶えていく。その惨劇は、かつて神が何度も見てきた血塗れの最期に似ていた。しかし、やはり今回も神は神の力を振るわない。あくまで父の教えを信じ、己の剣を握りしめる。けれど火の勢いは止まらず、敵兵の鬨の声が響いて勝機はほとんど見いだせない。壁が崩れる音や灰が舞う中、父は振り向いて叫んだ。
「是非に及ばず!」
それは「今はもう手の打ちようがない」という意味。これまで新しい時代を築こうと実行力を発揮した父ですら、裏切りの刃を避けきることはできず、運命を変えることは叶わなかったということか。神はその言葉を聞きながら、やるせない思いが胸を突き刺す。火の粉に包まれる寺院の中庭で、最後まで刀を振るい、倒れる敵兵を踏み越えながら抵抗するが、多勢に無勢は明白だった。既に父は流れ矢に倒れ、血を吹きながら「仕方ない」と呟いている。男がここまで築き上げた大事業、島を統一せんとする勢いも、こんな風にあっけなく崩れ去るのか――無数の思いが神の脳裏をかすめたとき、支えがぴたりと外れて、視界が暗転していく。
身体が燃えるような熱さを覚え、倒れ込む背中から大地の固さを感じる。薄れゆく意識の中で、父の無念そうな表情が浮かぶ。短い言葉で、全人生を総括するかのように「是非に及ばず」と言い放った父の姿は、かつて神が見た武士たちの悲惨な死ともどこか重なる。誇りを抱き、革新的な技術を取り入れ、新しい時代を引き寄せようと奮闘した父――だが、人間の世界では、時に保守的な勢力や嫉妬、あるいは恐怖が、そうした革命を簡単に潰してしまう。なんと儚くも、しかし人間らしい物語かと、神は朧げな意識の中で思う。火の粉が舞い散る天井を仰ぎ見ながら、神はまるでかつての武士道を思い返すように、強い悔恨と愛惜を胸に抱いた。
夜明けとともに瓦礫が積もり、風が炎の燃えかすを吹き飛ばす頃、神の身体は焼け落ちた梁の下に埋もれていた。騒ぎを収束させた敵兵たちは、野次馬や兵卒の前で高らかに勝利を叫ぶかもしれない。父が目指した統一の夢も、この火事と共に灰燼に帰したように見える。神はいつものように無形の存在へと戻っていくが、まるで次から次へと繰り返される「人間の儘ならぬ運命」には苦笑を禁じ得なかった。あの父とともに築いた栄華と新時代の息吹――すべては一夜にして消滅したのだ。轟々たる炎に飲み込まれ、貫かれた身体が絶命する一瞬に、神は今世を生き切ったという感慨と、なんとも言えぬ切なさを抱く。
“是非に及ばず”――確かにそうなのかもしれない。人間という生物がどれほど強い意志を持とうと、裏切りや恐怖、あるいは時代の流れそのものに押し流されてしまうことも多い。儚く、非情である。それでも、この父が示した革新への情熱は確実に民衆に浸透し始めていた。火砲や鉄砲が戦場のありようを変えたように、やがて誰かがまた父の遺志を拾って次の一手を打つのかもしれない。神は観測者として、そこに微かな可能性を感じていた。今は焼き尽くされて灰となったが、人間はまた何か新しい芽を生やすだろうと――そう思うと、薄い安堵にも似た感情が心をかすめる。
やがて灰の中から朝日が顔を覗かせる頃、神は遠ざかりながら最後の光景を見下ろす。黒煙が立ち上り、辺りは血と炭の焦げた臭いに満ちているが、そこにはいまだ生き残る兵や民の姿があって、瓦礫を片づけたり、負傷者を運んだりしている。歴史を直視すれば、人間世界は何度となくその繁栄や理想を焼き落とし、それでも生き残った者たちが再び立ち上がるサイクルを続けてきた。父の新時代のビジョンが潰えても、もし彼の思想の一端を理解する者が生き延びれば、どこかでまた蘇るかもしれない。
そんな希望を抱きつつも、神は苦笑いを浮かべる。結局、人間らしさとは、思うがままにならない世界に激しく挑み、あるときには呆気なく破れて散るものでもある。約束してきた“七生までの戦い”はすでに果たし終え、さらにいくつもの生を経てきたが、儘ならぬという点には変わりがない。それでも人間は面白い。保守的な男が一夜にして世をひっくり返し、革新的な武将が伸ばし続けてきた覇業を焼き尽くしてしまう――理不尽で非情で、しかしそれこそが人間の造り出すドラマなのだろう。神は炎の跡に広がる廃墟の風景を見つめながら、今度は自分が何を目指してこの島に降り立とうかと思考を巡らせる。何度焼け落ちても、その灰の中からまた新芽を伸ばすほどに、彼らはしぶとく生きるに違いない。
それが“かくも人間の儘ならぬところ”であり、“それ故に魅力的”だと神は再確認する。父が炎の中で叫んだ「是非に及ばず」という言葉は、ある意味で達観を含んだ最期の雄叫びだった。今後どんな形であれ、この島の歴史はさらに動き続けるのだろう。かつて太陽の巫女が眠る大墳墓も、幼い帝を連れて海へ沈んだ武士たちの伝説も、そして父が成しえなかった統一の夢も、すべてが積み重なって新しい時代を描き出す。
神は上空へ意識を浮かばせながら、今はただその行く末を見届けたいという思いを抱いた。何もかもが焼かれ、塵となろうとも、人間の情熱は何度でも立ち上がる。儘ならぬが故に、なお飽きずに観測を続けられる――それが神にとって、また新たな世界の入り口を見せてくれるような気がした。火に包まれた寺院の残骸の向こう、まだ陽が昇る空は蒼く澄んでいる。血と灰の対比が悲惨に映る中、神は静かに微笑し、次なる地平を追う足音を心待ちにしていた。
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