第27話 盛者必衰

神がかつて「太陽の巫女」として過ごした島を思い出し、ふと上空からその地上を見下ろしてみると、そこには以前とは大きく様相を変えた風景が広がっていた。大陸とは海を隔てたその島には、いつしか「帝」と呼ばれる者が頂点に立ち、宮廷では豪奢かつ儀式的な生活が繰り広げられている。ところが、その帝の名を借りて権力をほしいままにしている武将の一族が盛んに勢力を伸ばし、遠くの州から徴税や軍備を強化し、島全体を支配しようと躍起になっているらしい。


神は興味を抑えられず、あえてその武将一族の一員として地上へと生を装ってみることにした。名門の血筋を誇る一族の、遠い分家筋にでも生まれた若者ということにすれば、深く疑われることはない。時代はちょうど動乱の前夜。神が青年の肉体を作り上げ、やや良家の雰囲気を帯びた立ち居振る舞いで城館へ赴くと、一族の家人は自然とその存在を受け入れてくれた。すでに当主や有力な武将たちは、帝の宮廷での務めや地方での治めなどに忙殺されており、一族の一員が増えたところでいちいち深く問いただす余裕はなかったようだ。


やがて神は表向きは武家の作法を学びながら、内情を観察した。荘厳な大殿の奥まった廊下を歩くと、金箔で飾られた扉が連なり、草花の雅な図柄が屏風を彩る。廂を抜ければ、広い庭園の一角に月を眺めながら酒に酔う武将たちがいる。その飄々とした姿はまるで和やかに見えるが、耳をそば立てればときおり物騒な言葉が飛び交っている。ひとたび戦が起きればどの領地を焼き払うか、財をどうやって奪うか、朝廷内でどの官位を奪取するか――そんな話が冗談めかした口調で交わされているのがわかった。神は微かに苦笑して、その夜の月明かりを見上げる。これこそ人間という生きものの常なのだろう。


一方、帝はまだ幼く、宮中で保護されていると聞く。だが実態としては、幼帝は“武将一族の手駒”となっているだけで、政治の現場に口出しすることなど夢のまた夢である。神が内部をうかがうにつれ、こうした状況に不満を抱く者が潜在的に多いことを知った。かつては太陽の巫女が治めたこの島も、今では複雑に武門が台頭し、貴族的な朝廷の威光が翳っている。いつか、帝を担いだ別の武将一族が立ち上がるのでは――そんな噂話が誰もが口には出さぬまま、ひそやかに広がっているようだった。


すると、やはり時代の歯車は動いた。ある別の武将一族が密かに兵を挙げ、神が潜り込んだ一族と対峙する姿勢を明らかにしたのだ。たちまち各地で武士たちが結集し、海辺の要衝を巡り壮絶な攻防が繰り広げられる。幼帝は連れ出され、かねてから勢力を握っていた一族とともに戦場を転々と移動するが、次第に軍勢は崩れ、海岸線の要塞へと追い詰められた。とうとう戦局は絶望的となり、敵方の進軍がとどまるところを知らなくなる頃、当主や武将たちは極端な手段に打って出た。幼帝を道連れに、家族や多くの家臣も海へ次々と身を投げるのだ――もはや抵抗は無意味、せめて帝を他家の手に渡すまいという最後の悪あがきだった。


その日は嵐のように風が強く、海面が銀色に荒れ狂っていた。神は崖の上に立ち、怒涛の渦の中へ飛び込む人々の姿を遠巻きに見下ろした。当主の娘や妻が衣を舞い散らせ、泣き叫びながらその後を追い、幼帝を抱えた侍女らもほとんど狂気じみた表情で波間に消えていく。なんとも痛ましく、無謀な最後に映るが、それでも彼らは自分たちの武家の誇りを守るためには死ぬしかないと考えたのだろう。かつて「太陽の巫女」が眠る島だと感慨深く思っていた地が、いまこれほど血生臭い修羅場を見せるとは、さすがに神の胸にも暗い影が落ちた。


大騒動のさなか、神はある剣が海底へ沈みゆくのを見かける。どうやらこの島には由緒正しい三種の宝物があり、その剣は皇室や武家にとって最高の権威の象徴らしい。さきの戦乱で持ち出されたそれが、当主や帝とともに海へ投げ入れられてしまった。人間の歴史ではいずれ「失われた国宝」などと言われ、象徴を失ったと嘆く者も出るだろう。神は激しい潮流の中へひそかに意識を沈め、ひときわ鈍い輝きを放つその剣をつかみ取った。表面には幾重もの塩と血のしみが浮き上がり、見るからに不吉な気配を宿しているが、神からすれば、これはほんの少しの奇跡の欠片を帯びた器物に過ぎない。機会があればまた人間たちが何かに使うかもしれない――そんな思いが神の奥底でささやいた。


そこで、神はさっと海中からその剣を回収し、それを人間の目には触れぬようにして海岸から離れた。悲壮な最期を迎えた一族にはもう意味をなさないが、この剣が後に人間の社会を動かすきっかけになる可能性を考えたからだ。翌朝、すっかり戦況が落ち着き、荒んだ海を眺めて涙する者や、勝利を誇って浜辺を歩く者が入り混じるなか、神はあくまで無名の民兵の姿を装い、危険を冒さずに上陸した。程なくして敵方の新たな武将、すなわちこれから島を治めるであろう新政権のもとへ、その剣が密かに届けられるよう手配を整えた。そして新たな武将がそれを手にして驚嘆する頃には、神は跡形もなく姿を消す。そもそも戦乱の最中に剣が失われたことを知る者が多く、回収されたなどと誰も思わない。表向きは「失われたまま」――しかし実際には、その武将が何らかの意図をもって保持している、という形に落ち着くだろう。


それがこの先どう展開するかは神にも確定はできない。二度と表舞台に現れないかもしれないし、新たな帝に捧げられて大陸との外交に使われるかもしれない。いずれにせよ、この島独特の文化と政治の在り方が、また変貌を遂げる契機になりかねない。それを遠目に想像すると、神は奇妙な高揚を感じた。かつて「太陽の巫女」として君臨したころ、この島はもっと素朴で神秘に満ちていた。今や帝を中心に複雑な武家政権が動き、血なまぐさい争いの果てに幼き皇族さえも巻き添えにする。それでも人間たちは進む。あの剣に込められた意味や、彼ら自身が作り出す物語を糧に、未来へ突き進むに違いない。


神はしばらく高台から、泡沫のように消えた一族の末路を眺めていた。荒々しい波が岩肌に砕け散り、海は冷たく青い。あそこに沈んだ怨念や誇りや、幼い帝の悲しみが、海底の暗い砂とともにかき混ぜられている。もしこの島の民がいつの日か真実を知ったなら、どんな感情を抱くだろう。悲しみに暮れるのか、あるいは己の意志を奮い立たせるのか――いずれにせよ、この風土にはまだ「太陽の巫女」の面影が残っているようで、神は薄く笑みを浮かべた。かつて己が巫女として葬られた大墳墓も、すでに時の風化を受けている頃かもしれない。人間の歴史とはまことに移ろいやすい。それでも失われた剣という幻が、再び新たな物語を立ち上がらせる可能性を帯びているのだ。


神は最後に、海面に射す朝日の光をじっと見つめた。遠くの水平線は黄金色に染まっている。海に呑まれた命たちへわずかな手向けとして、神は黙ったまま敬意の気持ちを抱いた。無形の存在からすれば、人間が何を信じ、どのように滅びようと本来無関係だ。だが、真っ逆さまに海へ飛び込み、憤怒や悲しみを呑んで散っていったあの武将たちの死に際は、何とも凄惨にして、この島だけが育んだ“美学”のようでもあった。人間の行動はしばしば理不尽に映るが、そこに宿る感情や決意は、時に眩しいほど生々しく輝くものを秘めている。神はそれを観測するために、こうして幾度も人間世界へ足を踏み入れるのだ。


潮風が神の服を揺らし、磯の匂いが肌にまとわりつく。下では新たな政権に与する武士たちが動き始め、落ち武者狩りを加速させている。やがて島の秩序が整い、新しい時代が訪れるのかもしれない。だがその礎には、海中に沈んだ幼き帝や、帝を抱えたまま散った一族の亡骸がある。その剣を継いだ者が何をするか次第で、また大きな運命が変わるかもしれない。神はその気配を見届けたくて、ひそかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと視線を上空へと向けた。今日も日は昇り、あの海岸の水面をまばゆく照らしている。神にとって、この島の独自の文化が生むドラマは、まだまだ尽きることがなさそうだと思いながら、ほんの少しだけ空へと身を溶かす。巫女だった頃の記憶が、懐かしい残響となって胸を揺らすのを感じながら――。

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