第24話 生の悦び
神はこれまでにも幾度となく男の身体、あるいは女の身体を纏い、さまざまな時代や土地で人生を送ってきたが、改めて「男としての喜び」「女としての喜び」を強く意識して体験してみたいと思うようになった。あえて壮大な権力や戦乱の渦中ではなく、ごく平凡な市井の暮らしを舞台とすることで、男と女、それぞれの在り方を深く味わってみようと考えたのだ。
まずは男として。神は素朴な村の若者という肉体を作り上げ、小さな共同体の一員として生を始める。朝が来れば畑へ出て土を耕し、家畜を世話し、時には狩りに出る。体を動かすたび、筋肉が自然に反応し、汗が流れる。その逞しさが男としての誇りをくすぐり、同時に「家族を守るために強くあらねば」と気持ちを奮い立たせた。やがて村の娘たちの視線や噂話を感じるにつれ、男として異性を意識しだすのも早かった。まだ日暮れには用心深い母親が戸口を閉ざすような時代ではあったが、祭の夜や収穫の宴で一緒に踊れば、ごく自然な流れで心が通い合う者と巡り合う。
そんなとき、神はある娘――豊かな髪としなやかな手足を持つ女性――の笑顔に心を射抜かれた。祭りの灯りがその瞳を照らすとき、胸の奥が熱くなる。人間の男が愛を抱く感覚が、まるで初めて味わう官能のように神を揺さぶった。そこからは典型的ともいえる求愛の過程を、神は余さず楽しんだ。朝早く畑に出て彼女へ小さな土産を持っていき、日が沈めば囲炉裏端で未来の話を語り合う。そしてある晩、村外れの草の上に腰を下ろし、夜の静けさに包まれながら体を寄せ合う。押し寄せる興奮に任せて唇を交わし、混じり合う呼吸と汗。そのまま服を乱しながら、男としての欲望を全身で解放する。相手の肌の温もりと甘い声が、神の男としての本能を深く叩き起こし、官能の頂点でさらに相手を求め続ける。こうした体験は、かつて幾度か経験しているとはいえ、改めて猛烈な喜びが胸を満たした。
さらに時が流れれば、やがて彼女は身籠り、神は村人たちの祝福を受けて夫となる。畑仕事をこなしつつ、狩りにも精を出して家族のための食糧を確保し、必要とあらば外敵から守らねばならない。男としての誇りはここにあり、自らの腕力と責任感をフルに使って家族を守る日々は、なんとも力強く格好いい生き様だと神はしみじみ思う。子供が産まれてからはますます気が引き締まり、ついには孫や曾孫に囲まれるまでに至った頃、神は年老いて孫娘や曾孫が懸命に畑を耕す姿を眺め、子供たちにあれこれと教えを説く立場になった。武器を手に闘う場面こそ少なかったが、それでも獣や荒くれ者が襲ってきたときには矢を放ち、仲間と協力して畑を守ることもあった。そうした守るべき存在があるからこそ燃え上がる闘志が、男としての神に無二の充実感を与えたのだ。
そうして老いた頃、深い皺に刻まれた顔には、若い頃の激しさや鋭さとは別の優しさが浮かんでいた。命の終わりが近いと悟ったとき、まわりには大勢の子孫が集まって涙を落とし、静かに別れを惜しむ。そして神が最後の息を吐くとき、朧げな意識で「ああ、なんて男として格好いい人生だったんだろう」と感じる。たとえ短い生でも、愛し、守り、受け継ぎを繰り返す日々の尊さは、神にとっても胸を打つものがあった。
次に神は女として生まれることを選んだ。ふわりと揺れる髪、細い腕と腰に一見すると弱々しさが宿るかもしれないが、その実、女の身体が持つ不思議な強さに神は興味を寄せていた。
村の娘として成長し、やがて思春期に達すると、幾人かの男が神に言い寄った。男の視線や欲望を受け止める立場になると、かつて神が男として感じた興奮とは別の感覚を抱き、心臓が高鳴る。出会いと恋を通じて結ばれた男と初めて体を交わしたとき、神は自分の中に入り込んでくる感触の鮮明さに驚いた。男としての身体で味わった一瞬の絶頂が、女としては全身の奥深くに波紋を広げていくようで、その甘美は何倍にも増して体を痺れさせる。まるで全細胞が官能に溶かされるような錯覚さえ伴い、男の強い動きに対して自分の身体が自然と応えるのを感じると、神は陶酔の息を漏らさずにはいられなかった。
精を受けとめる瞬間も、男として経験した快感とは本質的に異なっていた。衝撃と安堵が入り混じり、じわじわと幸福感が込み上げるのだ。身体がその精を受け入れ、自分の肚へと繋がっていく――これは男のときには得られなかった深い感覚だ。やがて身体が新たな命を宿すと、気分の浮き沈みや体の変化は決して楽とは言えないが、腹の奥から愛しさが育つのを感じる。半年ほど経つころには、胎内で子が動くたびに胸が満ちるような喜びに包まれた。息苦しいほどの重さと不安にさいなまれながらも、「今この瞬間、新しい命が私の身体で成長している」という事実が尊く、神は身動きのまま瞑想してしまうことすらあった。
出産は痛みを伴う大事業だ。陣痛の波にのたうち回り、全身が限界まで開くような感覚は、これまで幾度か経験した戦場の傷や、炎に焼かれる痛みともまるで違う。だが、あの激しさの先に訪れる解放と、赤子が産声を上げる瞬間の歓喜は、何にも代えがたい。女としての神は汗と涙にまみれながら、血塗れの小さな命を抱きしめる。すると想像を遥かに超えるほどの愛しさと安堵が湧き、体の震えが止まらない。この感覚こそ、男では決して体験できなかった深い喜びだと神は確信した。それは言葉で言い表しがたいほどの達成感と幸福感であり、抱き寄せた赤子の温もりから世界が一変するような錯覚さえあった。
その後、子を育てる年月が始まる。日々の授乳やおむつ替え、夜泣きに付き合う苦労は山積みだが、それでも子が笑い、よちよちと歩き始める姿を見ると、すべてが癒されていくかのようだった。女としての神は、ときに心優しい夫に支えられながら、村の女同士で助け合い、子供たちを世話する。それは美しくもあり、時には苛立ちや孤独を覚える瞬間もあったが、そうやって家族全体で日々を乗り越えるプロセスそのものが、女としての人生を豊かにしてくれた。やがて子が大きくなり、巣立ち、さらに孫まで生まれた頃には、神はしみじみと「これほど優しく美しい営みがあるのだろうか」と穏やかな笑みを湛えていた。
子どもを送り出す瞬間、心には一抹の寂しさが過る。けれどその裏に、「この子は世界を旅し、新たな物語を紡ぐのだ」という誇りが育つ。やがて自分も老い、大勢の子孫に囲まれて床に伏す日がやってくる。揺り籠を見つめながら小さく微笑み、子や孫に自分の昔話を聴かせる。最後の呼吸が抜けていくとき、その周囲には深い愛情と感謝の涙が注がれるのを感じ、神は「ああ、女として生きるのもなんと素晴らしい」と思いながら息絶えた。男の肉体を捨てたときとは全く異なる満たされ方が胸に広がっていた。
こうして二度の人生――男としての筋肉や力強さを駆使し、家族を守り抜いた誇らしさと、女として肚に精を受けとめ、出産し、我が子を送り出す優しさ――それらを神はじっくり体感した。両者を比べるならば、どちらも美しく、尊く、どちらも無駄なく尊敬に値するものだと神は確信した。生命をつなぎ、家族を築くという点においては共通だが、その過程で得られる身体感覚や責任のかたちは大きく異なる。生の喜び、死の儚さ、そして子孫へと続く連鎖――それらを二重に重ね合わせることで、神は改めて人間という存在の豊かな輝きを見いだした。
「男として、女として、それぞれが持つ悦びの多様さこそ、人間の奥深い力の根源なのだろう。」
無形の意識へ戻った神は、二つの人生を噛みしめるように思い返す。血と汗を流し、愛や闘いに没頭し、子を授かり、そしていつか老いて死ぬ。その過程すべてが力強く格好よく、時に儚く、そして優しく美しい。二つの性を行き来した経験は、神にとっても新鮮な驚きと学びに満ちていた。男の悦びも、女の悦びも、どちらも孤高の完成形など存在しないが、だからこそ人間はそれを追い求め、物語を紡ぐのだろう。すべてを見届けた神はほのかな笑みを浮かべながら、いずれまた男にも女にもなって、その幸福を再び味わってもいいと思った。人間世界は、なんとも飽きることのないドラマに満ちている。
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