第10話 滅びと繁栄
その隕石は、神の目には小さく見えたかもしれないが、地球の生態系にとってはこれまでにないほどの大きな衝撃をもたらすのに十分だった。彼はその急激な接近をいちはやく察知したが、今回もやはり手を出さなかった。地球の長い歴史には大小さまざまな試練がつきものだと思い至り、自分はただの傍観者にとどまろうと決めたからだ。それはかつての火山活動による破局とは違い、天からもたらされる破滅の予兆。けれど、彼には確信めいた予感があった。――これまで何度もそうだったように、破滅は同時に新たな機会を生み出すのではないか、と。
隕石はまばゆい光をひきながら大気圏に突入し、ほんの一瞬で超高熱へと覆われる。地上から見上げたなら、まるで空が燃え盛るかのような光景だったろう。しかしそのとき、恐竜の大群はそんな天の兆候など気に留める様子もなく、いつものように大地を踏み鳴らし、群れを成し、あるいは獲物を追いかけていた。彼らの体躯に備わった圧倒的な力は、これまでほとんど脅かされることがなかったからだ。彼らこそが地上を支配しているのだと、誰もが疑わなかった。神ですらも、その地上を覆う生命の噴出力には深い愛着を抱いていた。
やがて隕石は、巨大な衝撃波とともに地表に衝突し、地殻を抉り取り、瞬く間に破滅のエネルギーを四散させる。爆風は周囲の大地を焼き払い、上空には途方もない量の塵とガスが巻き上げられていく。その日は昼と夜の区別がなくなったといっていいほど、大気は黒い雲に閉ざされ、あらゆる生き物に息苦しいほどの圧力をかけた。続いて大規模な地震や津波が起こり、負の連鎖が世界を包み込む。かつて世界を震撼させた火山群の噴火など比べ物にならないほど、この隕石衝突は一気呵成に多くの生命を葬り去った。恐竜の多くは姿を消し、その繁栄の時代はあっという間に終焉へと飲み込まれていった。
「仕方ないことなのかもしれないが、惜しいな」
神はそう静かに呟いた。空を覆う暗い雲の向こうで、彼の透徹した視線は地上の変化を細やかに捉えていた。大勢の巨大な爬虫類が路傍に倒れ、あるいは絶命したまま朽ちていく。手を伸ばせば、彼らを救い出すことができたかもしれないが、そこに介入することはもうしないと決めていた。これまでもそうだったように、彼は世界の姿をあるがままに見届けようとしている。もしかすると、恐竜たちの種の一部は生き延びて次の時代に繋がるかもしれないし、そうでなければまた別の存在が新たな主役となって大地を踏み鳴らすことだろう。生命というものは、かくもたくましく、そして儚い。
衝突の後、しばらく地球は微妙なバランスの上で混沌を漂った。黒雲による寒冷化、火災による酸素の欠乏、あちこちで発生する酸性雨。大地や海は打ちのめされ、多くの種が跡形もなく消えていく。ところがその暗闇のただなかで、小柄な哺乳類たちがひっそりと息を潜めながら、なんとか生き延びようとしていた。元より目立たぬ場所を住処にし、夜行性の習性を持ち、小さな体を低い温度から守るために体毛を活用する――そんな彼らの特性が、結果としてあの隕石衝突の大混乱を生き延びる手助けになったのだろう。
少し時がたてば、上空を覆っていた塵やガスはゆっくりと落ち着き、大地に積もった死骸や燃えカスの処理に追われながらも、新しい環境が形づくられていく。植物が根を下ろせば、そこを餌にする小型の昆虫や節足動物が増え、次第に土ができ、様々な生物が再び移動を始める。何度も繰り返されてきた再生のプロセスが、またしても幕を開けたわけだ。気付けば、その星の支配者だった恐竜は見る影もなくなり、わずかな名残が鳥類として生き残るのみとなっていた。空を舞う彼らの祖先の記憶に、かつての強大な竜の血が宿っていることを知る者は、この時代にはいない。
一方で、哺乳類は一気に繁栄へと向かっていく。今までは恐竜の陰に隠れるようにして細々と生きていた彼らが、失われた生態的地位を埋めるかのように種を増やす。臼歯を進化させる者、二足歩行に挑む者、あるいは木の上で生活を始める者もいる。その多様化の過程は、かつての爬虫類や恐竜の爆発的な広がりを彷彿とさせるものがあった。見ているだけで彼は胸を高鳴らせた。日が昇るたび、新しい種が姿を見せ、新しい方法で世界と触れ合おうとしているかのように見える。過去の主役を奪われた大地は、むしろまた違う色合いの活気を取り戻すのだ。
「はじめから結末がわかっていたら、こんなにも胸躍らなかっただろう」
神は自嘲気味にそう思った。確かに全能の視点から見れば、隕石衝突のタイミングもその規模も、ある程度は予測できた。恐竜の絶滅も予見は難しくない。けれど、結果として地球がどう蘇るかは、彼もすべては知らない。試練に対して、どの種がどのように適応し、新しい形を得るのか――それこそが、長大な物語の醍醐味だろう。自分がわざわざ介入するより、生命の創造力に任せたほうがよほど美しく、意外性に富んだ成果が得られるのだ。
薄くなりつつある雲の切れ間から、かすかに光が射し込む中、哺乳類の小さな群れが地面を走り回っているのが目に入った。彼らは背中の体毛をふるわせながら、少し離れた草地へと移動している。人間が見れば、まるで齧歯類に似た姿だと形容するかもしれない。食べ物を漁るために鼻をひくひくさせ、仲間との情報交換のために短い鳴き声を交わしている。一見地味で非力に思える彼らだが、環境の復旧が進むにつれ、もっと大きな身体を獲得していく種も出てくるかもしれない。あるいは飛膜を伸ばして木々の間を飛び回るかもしれない。もしかすると背骨を縦に起こして二足歩行する日が来るかもしれない。どんな結末が待っているにせよ、その始まりを今彼はこうして目の当たりにしている。
「また新しい章が始まるんだな」
そう呟きながら、神は星の上空を漂うようにして次の時代の息吹を感じ取った。恐竜の時代が終わったあとも、地球は止まることなくその営みを続ける。暗い灰の層の下から、芽吹いた草木が顔を出し、そこに集まる昆虫や節足動物がさらに生態系を複雑に構築していく。小型の哺乳類たちが確実に生息域を広げていく姿は、もはや無視できぬほど活発になりつつあった。
遠くを見やると、鳥類の先祖を思わせる生きものが燻った大気をかき分けて飛んでいる。そっと意識を寄せれば、その羽毛は以前に比べ羽軸が強固になっており、羽ばたきによる推進力がより効率的になっているらしい。ある者は森の上空を巡り、ある者は草原に舞い降りる。植物相が回復すれば、実や花粉を餌とする鳥も現れるかもしれない。そうしてまた何通りもの進化が枝分かれしては、世界を再びにぎやかにしてくれるだろう。
一度は絶望的に見えた大災害をこうして乗り越え、新種の生物が台頭してくるさまは、今までも何度もあった。しかし毎回飽きることなく、彼の胸に喜びと感嘆をもたらしてくれる。これこそが生命の不思議というものなのだ。最初にこの宇宙の中で地球を見つけ、原始の海をのぞいては微生物の分裂を見守っていた頃の記憶が、どこか懐かしく思い出される。それから無数の時が流れ、恐竜が大陸を蹂躙し、この度は哺乳類へとバトンが渡った。それでもまだ、彼の冒険は終わらない。いつの日か、また未知なる危機が訪れるかもしれないし、生命の形がさらに大きく変貌する可能性もある。そして、そのドラマを目撃するたびに、彼はきっと同じように胸をときめかせるだろう。
星の地表では、ようやく晴れ間が戻ってきたようだった。かすかな青空の下、大地を踏みしめる哺乳類の足音が微かに響いている。それは恐竜ほど豪快でも、爬虫類ほど厳かな気配でもない。しかし、彼の目にはその小さな音が希望の足音のようにも感じられた。世界は終わらない。滅びと思えた隕石衝突さえも、新章への導入にすぎなかったのだから。神である自分はあくまで傍観者――そう思いながら、彼はまだ見ぬ未来に思いを馳せつつ、そっと地平線の先を見つめていた。
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