新しい街へ

「き、き、消えた!?」


 フタバを乗せたニーズヘッグ号は近くの湖畔に着陸し、光魔法で創り上げる周囲の景色に同化する機能であっという間に姿を消した。

 元の世界を超える魔工学の技術レベルにフタバは少年のように目を輝かせていた。しかし無空の蛇のメンバーはそんなフタバの反応を見る素振りもせず、先を歩いて行く。女医のレインは船の見回りで居残りらしい。

 それにしてもどいつもこいつもドライな人間である。アックスとユーリのこちらに微塵も興味のない背中にフタバは呆れたようにため息をつく。


「よおっ!少年、噂は聞いてるぜ〜」


 突如、背後から強引に肩を組まれる。肩を組まれた方から耳を覆い被せるほどの柔らかい物体を押し当てられる。理解が追いつかなかったが、鼻腔をくすぐる甘ったるい香りと視界の端に映る長い赤い髪に徐々に状況がクリーンに見えてくる。


「ちょ、ちょ、ちちちょっと!何してんですか!?てか,誰!?」


「なーに慌ててんだよ?顔真っ赤じゃねぇか」


 勢いよく離れるフタバを不思議そうに見つめる長い赤髪を雑に括った女性。短いジャケットにダメージの入ったショートパンツとかなり露出の高い格好しているため、フタバは目のやり場に困ってしまう。


「あー、挨拶してなかったな。私はジルヴィア=トゥリエル。ジルでいいよ」


「お、おれは、いざよい—いや、なんでもない、フタバだ」


「おっけおっけ、フー坊な!よろしく!」


 肩をバシバシと叩かれ、勝手に呼び名まで決められフタバは唖然として何も言い返せなかった。

 どうやらジルは他の三人よりかは感情が豊からしい。この世界に来て接するほとんどの人物がドライな性格だったため、ジルの存在に少し安堵する。


「あの……俺この街で船を降ろされるらしいんすけど……」


「お、そうなの!寂しいな!」


 前言撤回。こいつももれなくドライだ。ハッピー陽気な性格に見せかけたスーパードライだ。

 どうやらアックスの言っていた通り本当にここでお別れらしい。

 だが,相手は空賊である。馴染みのない言葉ではあるが”賊”と呼ばれているのだから生半可な連中ではないのだろう。そう思えばドライなまんま理解できる。


「森の中に置いてかれるよりマシか……」


 フタバは覚悟を決め、重たい足取りで三人に付いて行く。

 街を囲む石の塀は、人の背丈の二倍ほどの高さで続いていた。自然石を積み上げて造られたその壁は、ところどころに苔をまといながらも、しっかりとした存在感を保っている。街の正門はその壁の中央に設けられていた。


 門はアーチ状の石枠におさまり、両開きの扉は分厚いオーク材でできている。表面には年季の入った鉄の帯が打たれており、長年の風雨にさらされて黒ずんでいるが、手入れが行き届いているのか、朽ちた様子は見られない。


「ずいぶん古い街だな。物資の補給が済んだらすぐ出るぞ」


 街の外観を見るなり、アックスは悪態を吐きながら門をくぐった。それに続くようにユーリとジルも街の中へと入っていく。

 確かに街は栄えても荒廃してもない,中世の田舎とはこういうものだと思わせる風情がそこにはあった。


 フタバも続いて門をくぐった瞬間—バチッ、と何かが弾けたような音がした。空気が薄い硝子の膜のように振動し、何かが弾け飛んだような感覚だけが、皮膚のすぐそばを撫でていった。


 それまで穏やかに吹いていた春の風が、ほんの一瞬、重く、冷たく、背筋をなぞるように吹き抜けた。

 しかし、誰も気づいた様子はなかった。先導するアックスらも、市に向かう商人も、猫も、子どもも——誰一人として。


 フタバだけが感じたその違和感に周囲は気づかない。だが、確かに何かが感触があった


「……気のせいか?」


 特に辺りの景色に変化はない。それよりもどんどんと前を歩く三人と距離が空いていくことが気になり、追いつくように小走りで進み出す。

 しかし、背の低い影が視界に入りきらないうちにぶつかった。


「っと……悪い」


 ぶつかったのは十にも満たないくらいの少年だった。

 擦れた布の服、くすんだ金髪。こちらの言葉にも反応せず、顔すらろくに上げずにふらりと身をかわし、そのまま歩き去っていく。

 その無愛想さに一瞬眉をひそめたが、急いでいたフタバはそれ以上気にせず足を進めた。


 しかし、数歩進んだところで、異変に気付くこととなった。

 先ほど貰った腰にあったはずの小袋がないのだ。その小袋にはこの世界の通貨であるルクス硬貨が詰められてあった。少しでも生活できるようにとアックスが乱暴に渡してきたものだ。


 その小袋に加え、装備してあった短剣など色々な装備品が諸々無くなっていたのだった。


「もしかして——盗られた!?」


 反射的に振り返る。人の波の中に、さっきの子供の姿がある。もう背を向けて、まるで最初から関わりなどなかったかのように、何でもない風で通りを歩いている。


 しかし、その手元には小さな小袋が、ちらりと見えた。


「おい,待てこらぁぁ!!」


 怒声を子供に向け浴びせると、一瞬だけこちらをちらりと振り返った。

 無表情。けれど、その目ははっきりと「分かってやっている」目だった。


 次の瞬間、子供は踵を返し、駆け出した。


 通りがざわめく。主人公もすぐに足を踏み出した。

 街の通りは思った以上に複雑だった。入り組んだ石造りの家々に挟まれた細道、露店が並ぶ狭い市場通り、荷車を押す老人、ふいに飛び出す犬。すべてが障害物になって、フタバの足を鈍らせる。


「何やってんだあいつ?」


「お、フー坊なんだか楽しそうだな〜。混ぜてくれよ!」


「ジル。危ないからやめとこ?」



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「ちっ、あいつ速いなっ……」


 子供の動きは、驚くほどに軽やかだった。

 背丈の低さを活かし、人と人の隙間をすり抜け、段差を飛び越え、干された洗濯物の下をくぐる。まるでこの町の構造が身体に染み込んでいるかのような走り方だった。


 フタバの呼吸が荒れ始める頃、街の賑わいが徐々に遠のいていった。喧噪が後ろに消え、足音だけが石畳に響く。


 路地は次第に狭く、陰鬱な雰囲気を帯び始める。建物の影が長く伸び、どこか湿った空気が漂っていた。通りの角を曲がったその先——


「——グルルゥゥ……ガアアアアアアッ!!」


 目の前に立ちはだかるのは、黒い毛並みをした巨犬。いや、犬というには規格外だ。全長はゆうに人間一人ぶん、首回りは丸太のようで、口からは泡と唾液がこれでもかと飛び散っている。


「ちょ……まっ、デカすぎだろ」


 すさまじい勢いで地を蹴り、迫ってくる黒い塊。まるで小型の馬車が突っ込んでくるかのような迫力。視界が毛と牙と涎で埋まってしまった。


「おじさーん、その子結構やんちゃだから気をつけて〜」


「おい待て逃げんなああああ!!」


 フタバの声は少年に届くことはなく、あっという間に猛犬が眼前にまで迫っていた。馬乗りになる体勢でフタバに襲いかかる猛犬の姿を尻目に少年はその場を足早に去って行った。



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