散髪
元気モリ子
散髪
世の中には、刃物を持った他人に背中を向ける「散髪」という行為があるが、これについては皆納得しているのだろうか。
私はどうもこの散髪が苦手で、高校生まで自分で髪を切っていた。
言うまでもないが、刃物を持っている人間で信じられるのは自分だけだ、と思ったからだ。
しかし、大学へ進学し化粧を始めたタイミングで、顔を整えると髪もそれに追いつく必要が出てきてしまい、私は渋々美容院へと通い始めた。
美容師さんは皆オシャレで、愛想も良く、複数の刃物を持っていた。
私はこの優しい美容師さんの気が変わらないよう、努めて明るく談笑し、気遣いも忘れず、刺される可能性を少しでも抑えることに懸命だった。
下手なことを言って、「なんやこいつ」と前髪を切る時なんかに目でも突かれたらたまったもんじゃない。
カット代も高い方が安心できる。
これだけ払っているんだから刺してはこないだろうと、安心してあの椅子に座っていられるし、シャンプーの間視界を奪われても呑気にしていられる。
もちろん、散髪前にかけられるポンチョの袖は必ず腕を通しておく。何かあった時に抵抗するためだ。
それでもやっぱり可愛くしてもらうと気分が良く、完成した髪を鏡で見ては「あは!」となり、帰り際には「ありがとうございました!また来ます!」などと言っては、「私ってまた来るんだ」と思ったりした。
美容師さんが信じられないのではない。
自分の中で「刃物を持った他人」と「美容師」の間にあるイコールに、射線を引けずにいるのだ。
自分の中では、常に論理的に物事を捉えているつもりなのがこれまた厄介で、美容師さんを「刃物を持った他人じゃない」と定義付けるには、彼らは紛うことなく他人であり、あまりにも刃物を持ち過ぎていた。
最後に散髪へ行ったのは、昨年の6月であるから、この調子だと年に一度のペースになりそうだ。
電話が苦手な私は、いつもネット予約をする。
最近の予約サイトは、あらかじめ所属美容師の写真やプロフィールを見られることが多い。
女性が良い、男性が良い、ショートが得意な人、ニュアンスカラーが得意な人、皆それぞれ選ぶ判断基準があるだろうが、私はやはり「この人なら刺してこないだろう」という大きな一点のみである。
しかし、この判断が一番難しいのだ。
爽やかな笑顔、真剣な眼差し、どちらにも見えてくる。
よく、事件を起こした犯人がニュースで流れる際、呑み会などでウェーイ!とやっている写真が、とんでもなくクレイジーで凶悪に見えることがある。
しかし、あれを前情報なしで見ると、「ただの楽しそうな友達の多い奴」ぐらいにしか思わないはずだ。
それと同じ作用で、みんなそれっぽく見えてしまう。
しかし、これは巡り巡って自分にも言えることなのだ。
自分の証明写真など、その気になれば指名手配の黄色いポスターに馴染むし、近所の人からは「なんかおかしいなと思ってたんですよ…」と平気で言われかねない。
今すぐにでも、「まさか彼女が…本当に驚きました…」と証言してもらえる生き方に変える必要がある。
そうなると、今度は美容師さんが凄いとなってくる。
何をしでかすか分からない他人の頭を触り、筋合いもないのにこれでもかと綺麗にしてくれる。
頼んでもいないのに肩まで揉んでくれ、頼めば軽いヘアセットまでしてくれる。
そんなことなら、「カット+シャンプー+ブロー+談笑+肩揉み+軽いヘアセット(お好みで小さいコーヒーor緑茶付き)」と書いても良いものを。
おかしい…
親切過ぎる…
複数の刃物を持っていて親切な人間…
そんなやついるのか…
こうして私は、考えれば考えるほど美容院への足が遠のいていく。
そして遠のけば遠のくほど、美容師さんとの関係性は構築されず、毎度震える手で扉を開くことになる。
大の大人の私ですらこの怯えようなのだから、トリミングされる犬などチビりもんであろう。
今日も誰かの髪が切られている。
髪を切る美容師さんもまた、誰かに髪を切られるわけで、その髪を切る美容師さんもまた、誰かに髪を切られる。
赤の他人に何かを委ね、信じてこそ、犬を含めたこの大きなサイクルは成立し、店先ではDNAの用な看板がくるくると回る。
そんなカワイイ大縄跳びに飛び込めないまま、私は今日も、美容院に行かない。
散髪 元気モリ子 @moriko0201
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