「悪人」
彼がどうして
どうしてまた一人自席に座ってそんなことを考えているのかと言うと、先日の
「
机の上にブレザーの影が落ちる。顔を上げるとほとんど話したことのないクラスメイトが立っていた。
「あー、
いつも以上に平坦な声が出た。今まで、彼は私のことなんて認識していないんじゃないかとすら思っていたんだけど。
「だから
どうしてそんなことが知りたいんだろう。何だっていいじゃないか、私の行動なんて。知りたかったら
「いや特に大したことは話してないよ? 今日はいい天気だねとか、明日もいい天気だねとか」
これはもちろん嘘だ。私はいつも気が回らないという自覚があるけれど、
「それだけ話すような関係性とは思えないんだけど」
「んー、こんなもんだよ。
あくまではぐらかし続ける。嘘なんてつけなくてもいい。本当のことを言ってしまわなければ。
「ふーんそっか。天気好きだなー」
聞いたくせにさして興味がなさそうなリアクションだ。表情もずっとなんとなくぼんやりした真顔だし、
「
「急にどうしたの? 知らないよ。知るわけがない。私はみんなを見ているだけで誰のことも知っているわけじゃないから」
本当のことだ。人間関係による情報量とストレスを極力減らすために、私はこんな曖昧で有耶無耶でなんなら無いに等しいような立ち位置を確保しているのだから。
「そりゃそうだよな。人のことを知りたいやつの行動じゃないもんな
こういうことさらっと言っちゃうから悪人って呼ばれるんじゃないかなーとはちょっと思ってるんだけどね。しかも普段友達にこういう態度とってるのはほとんど見ないから、私に当たりが強いのか、陰キャに厳しいのか。まあ何だっていい。こんな感じで来る以上、私の方も取り繕わなくて済むのだから。ラッキーくらいに思っておこう。
「突き放してなんてないよ。全然ない。でもそう思うなら放っておいてくれればいいのに。そうしたら私は沈黙を貫くし、誰の邪魔もしない」
本音からそう言った。私は何をするにも無能だから、なるべく人と関わらないことを自分に強いている。普通の――普通でいられる人の邪魔をしないように全力で身を引いているだけだ。そんな素晴らしい人たちを突き放すだなんてするわけがないし、できるわけもなかった。
「でも結果的にはそうなってるだろ? だから
――あーあ。そこには触れないでほしかった。私だって本当なら友達を作るための行動を取りたいのに。
「しれっと人の心をえぐるようなことを言うね」
ちゃんと軽い顔ができているだろうか。感情のこもらない笑い顔。
「しれっと傷付いたみたいなことを言うね」
「あーすいませんでした無感情な人間で」
よかった、誤魔化せたみたいで。……会話がこれ以上都合の悪い方に行かないように一旦軌道修正する。
「それで何でなの? 何で
「逆に何でだと思う?」
うわーだるいタイプだ。
「人の心をえぐるから」
「引きずんなよ、どうせ何も感じてないくせに」
あれー? ここまで言われる言われあったかな? 確かに基本的にはそうだから否定しづらいところではあるけど、ついさっき平然と感情をぐちゃぐちゃにしてきた相手には言われたくない。まあまあ、それに対しては特に何も感じていないから気にしないことにする。
「で、何でなの?」
彼は少しだけもったいぶるように間を空けると口を開いた。
「俺が
は?
「何がきっかけだったかも忘れたけど、去年の
「あーあの子ってそんなことするんだ」
新しい学びを得たように呟く。ぼんやりして輪郭のないその声に、
「
「別に嫌じゃないよ。私のことまでよく見てるなって思っただけで。それに傍観者は悪口じゃないし」
「そうか? まあギリギリそうとも言えるか」
そう。だから私は自分のあだ名に関して特に何とも思っていない。ただ、よくクラスで私しか当てはまらない名詞を見つけてきて、あまつさえそれを名字みたいに仕立て上げられたよな、とは思う。だから無意味な工程を積み重ねられる彼女に、わりと尊敬の念を抱いている。
「俺はさー、正直結構嫌だった。単語が単語だってのもあるけど、そもそも誰にも嫌われたくないからさ。
「想像つくなあ。はたから見てても分かるぐらいだもん
「――それが分かってるのにどうして
少しだけ声が真剣味をおびた。これか、悪人が本当に言いたかったことは。私のところに来た理由は。つまるところ、私が彼を嫌っていると思われているんだろう。そんなことはあり得ないというのに。人間信仰とでも言うべき感情に囚われた私は人を嫌うことなど出来ないというのに。
「私は、誰に対してもこんな感じだよ」
ただそれだけ伝えることにする。
「別に
「……何で?」
声を絞り出すように彼はそんなことを言う。
「ん?」
「何で人と無感情に接して平気なの?」
平気、だって? これのどこが平気に見えるんだろう? そうは思ったけれどまあ人にそう感じられているのならそれが世界にとっての真実だ。
「そういう人間なんだよ元から」
そう。ことあるごとに自分の感情を叩き潰してまともの最低ラインを通過しようとするような人間なんだ。でもこの部分は省略。私のことなんてどうだっていい。
「それ……辛くないの?」
なのに彼はその話を続けようとする。全くいい人過ぎるんだよこの子は。いつも遠くから眺めていて思う。あそこまで他人に気を遣ってそれでも気楽そうに笑っているっていうことは、きっと私には想像することすらできないほど大変なことなんだと思う。私なんかにまで気を遣う必要はないのに。
「別に。そういう人間なんだってば。だから
「辛くなんてない。俺は人に好かれたいっていう利己的な考えだけで動いてるから、それで苦しくなることなんかないよ。
そういうこと、ではないと思う。以前の私ならともかく、この前
「そっか。じゃあこれからもいい感じにみんなに好かれて生きててね」
他人事のようにそう言って話を終えようとしたとき、突然思い出した。
「そういえば。
「このクラスになった途端。――去年はあいつよりカースト上みたいな女子がいたんだけどさ、いないじゃんこのクラス。だから満足したんじゃねえの? 多分。別に他人を貶めなくても自分が上にいるって優越感に浸ってられるんだろ。あいつってそういうとこあるよな」
そこまで聞いてようやく、いままでずっと
――なるほど。これなら
なんにせよ、まともな人間関係の中に自分をさらしているというのはそれだけで私からしたら手の届かない化け物のような天才たちの所業だ。善人でも悪人でも凡人でも、みんな綺麗に生きている。
その中に入りたいなんて身の程知らずなことは、もう考えないことにしている。
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