下 さらば、パラレルワールド


 時哉の隣で歩きながら、腕時計を確認する。あと十五分で、パラレルワールド探索も終わりだ。僕は今抱いているモヤモヤとは別に、時哉とずっと話したかったことを言ってみた。


「この話、ここだけのことにしてほしいんだけどさ」

「いきなりなんだ?」

「僕の父さんとお爺さんって、どう見える?」

「どうって、仲のいい父子だなぁって」

「そうだよね」


 僕は彼の言葉を受けて頷いてから、それを覆すような事実を口にした。


「実はさ、二人とも、血が繋がっていないんだ」

「え、嘘だろ?」

「父さん、生まれた家の環境が悪くて、施設に入れられたんだ。それでも、荒れていたから、なかなか養子としてもらってくれる人がいなかったけれど、それを、僕のおじいさんが引き取ってくれたんだって。

 最初は反発していた父さんも、お爺さん夫婦が根気強く向き合ってくれたから、心を開いて、今は肉屋を継いだんだよ」

「全然そうは見えないけどな」


 時哉はまだ信じられない様子だった。確かに、いつもにこにこしていて、気前よく総菜のサービスをしてくれる父さんが荒れていたなんて、そして、隠居生活をのほほんと楽しんでいるお爺さんとそんな過去があったなんて、見た目だけでは分からないだろう。


「父さんが昔言っていたんだ。この商店街は、辿り着く場所だって。つらい過去があったり、今もどん詰まりの状態だったりする、色んな人がここにきて、大切なものを手にする。だから、みんなここを愛しているんだって」

「……」

「時哉も、きっとそうだと思うよ」


 僕が時哉の顔を覗き込むと、参ったという様子で、首を横に振った。そして、覚悟した様子で、話し始める。


「実は、俺、東京出身なんだ。こっちに来たのは、ほぼ家出みたいな形だった」

「うん」

「お袋が、すごく厳しい人でさ。俺を危険な目に会わせないために、いっつも目を光らせているようなタイプで。外で遊ぶのも駄目、健康に悪いから、ジャンキーなものも駄目、部活や塾で遅くなるから入ったら駄目、そんな毎日だった。

 一度、こっそり友達と公園で遊んだら、それを知ったお袋が、『怪我したらどうするんですか⁉』って、友達の家に怒鳴り込んできたことがあって、それから、友達もいなくなった」

「うん」

「ただ、お袋がそこまで過保護になったのは理由があって……。お袋がまだ子供だった頃、幼かった妹が、目の前で車に轢かれて死んでしまって……。だから、自分の子供は、大事に大事守りたかった、っていうのは分かるけれど……」

「……うん」


 何も口を挟まずに聞こうと思っていたけれど、時哉の過去はなかなかのものだった。でも、思い返してみると、その片鱗はあった気がする。

 例えば、大学に入りたての頃は、「僕」って言っていたり、脱いだ靴は必ず並べたり、外食先でも「いただきます」と「ごちそうさま」を欠かさなかったり、なんだか、育ちの良さを感じる言動があった。今の彼は、無理しているのかもしれないと思ったことはあったけれど、それは本当だったみたいだ。


「お袋の束縛が厳しいから、大学生になったら家を出ようと思っていて。お袋にバレないように、大学に受かってから家を探そうとしたんだけど、なかなか見つからなくて。そんな時に、オサリバンさんと出会って、下宿することになったんだ」

「そうだったんだね」


 いつの間にか、僕らは商店街の南口の方に辿り着いていた。時哉は、「ことよ商店街」と書かれた南口ゲートを見上げている。


「まあ、覚悟を決めて出てきたんだけど、一年くらいは悩んでいた。お袋に連絡するべきかどうか。親父から、お袋の話を聞いたら、だいぶ参っていたみたいで。ただ、ここにいることを話したら、連れ戻されるかもっていう気持ちもあった。そんな時に、由々菜ちゃんの騒動があってな」

「なんか、このゲートの鉄骨の隙間に突き刺さっていたらしいね。信じられないけれど」

「俺も、目の前でそれを見ていなかったら、凛太郎と同じ感想だったな。でも、軽やかに、トラックの幌をトランポリン代わりにして飛び上がって、あそこに挟まっても、普通に友達に話しかけてきてさ」

「由々菜ちゃんらしいや」

「それ見てたら、自分の悩みもちっぽけに思えて。俺も、もっと自由でいるぞ! って、それから、ずっとお袋には何も話していない」

「うん」


 僕は時哉の選択を肯定しながら、彼のお母さんのことを考えていた。彼女が時哉にした束縛は、確かにひどいと思う。でも、息子への愛情でもあるのだから、このままでもいいのだろうか?

 とはいえ、僕が口を挟むことじゃない。そう思いながら、時哉が「商店街の外もちょっと見よう」という提案に乗って、一歩、ゲートの外へ踏み出した。


 その時だった。ゲートのすぐ外にある、電話ボックスの中の公衆電話から、ジリリリリ! と、着信音が鳴り響いたのは。

 僕らは顔を見合わせた。


「ど、どうしよ、ここでも電話って、鳴るんだ」

「……俺、取ってみる」

「え、大丈夫?」


 鳴り続ける公衆電話に釘付けになった時哉は、そう言い切ると、心配する僕をよそに、電話ボックスへと一歩ずつ近づいていく。そのまま、ドアを開けて、受話器を持ち上げた。


『うわあああぁぁぁあああ!』


 受話器から聞こえてきたのは、悲痛な女性の叫び声だった。驚いて、僕らは顔を見合わせる。しかし、時哉は意外なことを口にした。


「お袋だ」

『ときやあああああああああああ』


 それを裏付けるように、女性の泣き声は、時哉のことを呼ぶ。時哉は、嚙り付くように、受話器に向かって、母親に負けないくらいの声量で叫んだ。


「お母さん! 僕は、大丈夫だから! 元気にしているから!」

『ときやああああ……』


 それが届いたのかは分からないけれど、受話器からの声は、少し小さくなっている。時哉の横顔も、ほっとしていた。

 でも、どうして時哉のお母さんは、あんなに泣いていたんだろう。息子が家出したから、というだけではない気がする。あの泣き方は、まるで時哉が……。


 そこまで考えた瞬間、僕の視界が、このパラレルワールドに入った時のように、遠くなり始めた——






   〇






 気が付くと、オサリバンさんが心配そうな顔をして、僕のことを覗き込んでいた。「うわっ!」と声を上げた直後、彼の向こうに、バツの悪そうな顔をしていた時哉と、目が合う。

 オサリバンさんが、僕の方に白い紙を掲げた。そこに文字が浮かび上がる。


『凛太郎君も、大丈夫そうだね』

「すみません。そのワイン、勝手に飲んでしまいました」


 テーブルの上のワインの瓶を指さすと、オサリバンさんは苦笑する。


『いいよ。処分してと言ったんだから、飲んじゃったのも仕方ない』

「オサリバンさん、学会はどうしたんですか?」


 ふてくされた様子で、時哉が尋ねる。オサリバンさんは、紙を僕にも時哉にも見える角度に変えてくれた。


『思ったよりも早く済んだからね。瞬間移動して帰ってきたんだよ』

「そんな、ゆっくりしてても良かったのに」

『ごめんごめん』


 流石魔術師だなぁと感心している横で、時哉は見当違いなクレームを入れている。それに対して、申し訳なさそうにしているオサリバンさん。すごい魔術師なのに、腰が低いのは相変わらずだ。

 そんな二人が、少し話しているのを、僕はぼんやり聞いていた。オサリバンさんは、どうして、あのパラレルワールドに行ったのか? そんな疑問が心の中に渦巻くが、ぶつけていいものじゃない気がする。


 少しして、自分の部屋で荷ほどきをすると、オサリバンさんはこの部屋を出ていった。僕も、そろそろ帰ろうかなと、立ち上がると、時哉が、「なあ」と呼び止めた。


「俺、一度お袋に会おうと思う」

「……うん。いいと思うよ」


 僕はほっとしていた。あの悲痛な声を聴いたからこそ、時哉は、母親との関係を、このままにしてはいけないと感じたのだろう。

 時哉と別れて、イモグルの外に出た。静かで暗い夜だけど、水に沈んだパラレルワールドの商店街とは比べ物にならないくらいに、色と音で溢れている。


 今夜、時哉とほろ酔いで歩き回ったパラレルワールドの風景を、心の中に大事に抱えて、僕は自分の家へ帰っていった。



















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ほろ酔い幻想記 夢月七海 @yumetuki-773

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