第5話  告別式

祖父が亡くなった。


そのことを父から知らされた仁は、学校を忌引きして急遽祖父が過ごしていたここ三崎口を訪れた。


祖父はここ数年体を悪くし、都内の古びた一軒家から空気のいい郊外の老人ホームへ移り住んでいた。


弱った体で食べ物をうまく飲み込むことさえ難しくなっていた彼は、老人ホームでの食事中に食物が気管に入ることで起きる誤嚥性肺炎という病気を発症し、病院に搬送されたが急に亡くなったらしい。


享年八〇歳だから天寿をまっとうしたというべきかもしれない。


 だが肉親の死は、そんなありふれた言葉で片づけられるものではなかった。


 学園とは逆の方向へ向かう電車に乗り込むと、見慣れた景色が少しずつ変わっていく。急斜面の多い町並みを抜けると霞む木々の向こうに青い海が見えてくる。


停車した際に開けられたドアから潮風が香ってくると、いやがおうにも懐かしさと悲しさが込み上げてきた。


何度か訪れた町には、祖父はもういない。


 電車を降り、父母と共に漁業と観光の街らしくマグロの店の看板が目立つ駅前からタクシーに乗った。


 斜面の多い土地に作られた畑を抜け、カブトムシを売る看板の合間にトラクターに乗る百姓が見える。さらに行くと港が見え、自家用車より一回り大きいくらいの漁船が所せましと停泊していた。


金波が揺れる蒼い内海を眺めつつしばらく行くと、海を臨む丘に建てられた老人ホームが見えてきた。


「生前は父が大変お世話になりました」

「義父さんがいろいろとご迷惑をおかけしたかもしれませんが……」

「いえいえ、職員からも人気がある優しいおじいちゃんでしたよ」


まず老人ホームに立ち寄り、両親と共に職員に挨拶を述べる。


それから仁は告別式の会場へ移動した。


重いドアを開けると、中からは黒い喪服を着た大人たちとそれに混じった子供たちの声が聞こえてきた。


長方形の広いホールのような場所で、奥に拡大された祖父の写真が掲げられ、隣に立ちスタンド式のマイクが備えられている。


奥にある真っ白な棺桶の中に祖父の遺体が収められているのだろう。


「おじいちゃん……」


仁は思わず駆けだしていた。上半身だけが見えるように蓋がずらされた純白の棺桶。


そこに、記憶にあるよりもずっと痩せこけて真っ白な顔の祖父が寝ていた。


襟を左前で合せられた白い着物。だが目やに一つなく、想像していたよりずっと綺麗だった。


生きていて顔色が悪いだけ、と言われれば納得してしまいそうだ。


今にも起き上がって「おはよう、良く来たな。また少し大きくなったかい?」と言ってくれそうな気がした。


でもそんなことはあり得ないと頭のどこかでわかってもいて。


 仁は胸の前で合せられていた手に軽く触れた。骨と皮だけの手は氷のように冷たく、石膏で固められたかのように動かない。


 やはり祖父は死んだのだ。


 仁の目から、とめどなく涙があふれてきた。


「おじいちゃん、おじいちゃん、おじいちゃん!」


 仁は狂ったように祖父の名を呼ぶ。


 冷たい手をいくら握りしめても、数年前のように握り返してはくれなかった。


 拭ってもぬぐってもあふれ出てくる涙。鼻の奥がツンと熱く、しゃくりあげるように喉がせり上がっては止まらない。


 脳裏には生前の祖父との記憶が次々に浮かんでは消えた。


見上げるほどに身長差があった三歳の頃、自分の頭を撫でてくれた優しい手の感触。


 海で釣りをした時に、気持ち悪くて付けられなかったエサを付けてくれた手際の良さ。


 自分がこの三崎口で高熱を出した時、親身になって診てくれたこと。


 もう二度と、その祖父の姿を見ることはできないのだ。


「うう…… 仁三郎おじいちゃん…… ねえ、目を開けてください……」


 涙が枯れるほど泣いた後、ふと耳に高い声が飛び込んできた。

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