2つ目のファイル 創作
なぜ、幽霊画が生まれるのか、私はつい最近までわからなかった。幽霊の姿を描くということは、その幽霊を形あるものに変えるということと同義である。
なぜ、そんな、人が怯え、恐ろしいと感じたものに形を与えるのか。それがそう、幽霊見たり枯れ尾花のように、それがただの枯れたススキで、ただの見間違えだったり、自然科学で説明のつく分野だったとしても、幽霊という形を与えてしまったら、それら取り巻く現象が全て幽霊による、または幽霊自身の影響になってしまう。
そうすれば、私たちはむやみやたらに怯え、ただ恐怖に絶望するしか無くなる。だから、幽霊画は非合理的で、科学の発展していない昔なら百歩譲って、今には現れないものだと思っていた。
でも、最近その考えが変わった。世の中には、どれだけ科学が発達しようとも、論理的思考をどれだけ行なっても、理解できないものがある。そういうものに対峙してしまうと、人はそれを、どう合理的に理解しようか悩むことになる。そして、それが幽霊画を描くことに繋がる。その存在の姿、大きさ、色、質感、ひいては髪の毛の一本一本まで描写したくなる。こんなにも頭のイカれた、道義なんてないそれに、論理を求められるのは唯一その存在だけだから。
とことんまで描写して、自分に起こったことを記す。そして、その存在を解釈しようとする。その営みが、幽霊画なのだ。
それに、幽霊画には詳細に記すことの危うさを超える、利便がある。それは、存在する幽霊と次元を変えられるということだ。二次元に一度、その存在を移すことができれば、それはもう三次元に干渉できない。あるいは、干渉しずらくなる。あるいは、処分して、この世から存在を消せる。
さらに、二次元にあるものなら、全て創作だと、言い切ることもできる。実際に、三次元にあったことかの真偽や事実はどうでもいい。ただ、それが嘘であると信じ込むことで、次元と真偽の二つの壁が生まれて、私と干渉できなくなる。
この考えをいかれていると思う人もいるだろう。でも、こうやって次元を違えて、創作だと思わせるようなやり方は、幽霊画の起源そのものだ。それを私は、たまたま体験し、実行しているだけ。
それに第一、不安定な三次元の存在で居続けるより、二次元の完全な存在になれるなら、そちらを普通選択するだろう。いや、そうに決まってる。だから、こんなにも住みごごちの良いものを作ったのに。
でも、これも私が考えた人間の道理に過ぎないのだろうか。だったらどうして、こんなにもはっきりと、あいつは近づいてきている?
最近またわかったことがある。戦中に日常の日記を書く人のいる理由だ。あれは、どんな暴力的な状況でも、日常を見出すためにやっているのではない。ただ、言語化して、理性の外にある、壊れそうな現実を受け入れるための土台を作るための作業なのだ。
磯の匂いがする。部屋の温度は、凍るくらい冷たい。大家さんにいって、部屋に来てもらったけど、壊れていたのは、ビチョビチョに濡れた壁紙と、水でふやけたフローリングだけで、エアコンは正常だった。大家さんには、私の頭の方が壊れていると思われて、病院を勧められた。そりゃそうだろう。こんなに床が濡れてるのに、人を招いたら頭がおかしいと思われる。そう、その判断が私にはできている。だから私は正常。だったらなんで、床がこんなにも濡れてるのに気が付かなかった?いつから床は濡れていた?この部屋に来た時?本気で自分のことが不安になって、総合病院で泣きながらMRIを撮ってもらった時?それとも、あの動画を見た後?
正直、この考察の全部が無駄だと思う。だってもう、鼻が歪みそうなくらい海と腐りかけの血の匂いがするし。鼓膜が破れないと、おかしいほど叫び声を三日三晩聞いてるし、私の横には
びちょびちょに濡れた人がいる。
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