どこかのだれかの

遠藤なずな

1つ目のファイル 創作怪談

 これは、都内に住む女子大生から聞いた話である。その時、彼女は大学進学を期に、東京に移り住んだ。しかし、慣れない新天地での生活に疲弊し、夜にあまり上手く、寝付けない日々を送っていた。

 ある夜、そんなことを何気なく友達にラインで相談すると

「私は、寝れない時この動画見てる。よく寝れるよ」と、一つのURLが送られてきた。URLを開くと、動画が現れる。タイトルは『鯨の鳴き声 12時間耐久』をなっており、鯨の鳴き声と、泳ぐ姿が流れた。

いわゆるヒーリングミュージックというやつだろうか。動画時間が12時間になっていることから、これが12時間続くのだろう。動画のコメントには

「これを聴き始めてからよく寝れてます!」

「先週から聴き始めました!聴き始めてから安眠で、これなしではもう寝れないかも‥」

 といったコメントが寄せられている。少し胡散臭いとも思ったが、手軽かつ、今すぐにもできること。さらにせっかく友達が薦めてくれた方法である。

 彼女は、「ありがとう!試してみる!」と送り、いくつかの会話のラリーをした後、例の動画を流し、イヤホンをつけ布団に入った。

 それからしばらくは、よく眠れる日が続いた。イヤホンが耳に当たる違和感で、最初はうまく寝つけなかったが、鯨の鳴き声に集中すると、不安を忘れることができて、気がついたら朝になっていることもあった。


 ことが起こったのはしばらくしてからだ。その日もいつものように、動画を開き、うとうとする。明けっぱなしの窓から、春風が吹いて、その心地よさがまた眠りを誘う。もう、寝れるな、と思った時には意識が途切れた。

 最初は音からだった気がする。唸るというか、叫ぶというか、声にならない濁った高音とでも言おうか。最近は、このまま朝までぐっすり、もしくは目が覚めても、目覚ましの30分前なのに、意識が戻ってきて、ふわふわしながら目が覚める。部屋は真っ暗で、カーテンが風に揺れる。

 なんの音だろう、ベッドから起きあがろうと、体を起こすと同時に、右耳からイヤホンが外れ、嫌な音が右耳から消える。どうやら、動画の中の音声のようだ。言われてみれば、イヤホンをつけたまま寝たのだ。それ以外の音が聞こえるわけがない。

 何が流れてるんだろう、広告かな。私はスマホの画面を確認する。写っているのは、鯨が泳ぐ姿で、なんも変哲もない。

 気のせいだったのかな、そう思ってスマホを伏せようとした瞬間、動画にチラッと鯨以外の何かが映る。

「あ」声が思わずこぼれたほぼ同時に

「ギャあアああアア」と音がして、画面一杯に、何かが映る。形は丸く、ところどころ、何かに強く打ち付けられたような凹みがある。青白い、というより白くゴムみたいな表面には、おびただしい数の傷がアクセントみたいに赤色をさす。かろうじて開く小さな口と目は、少しずつ歪んでいて、不安を煽る。長い髪が揺らぎ、海藻に見えた瞬間にはもう、それを顔だと認識していた。

「ひっ」私はスマホの電源を、反射的に切る。

 叫び声は消え、春の、何事もない静かな夜が広がる。

 「何、あれ」そういった時には、もう何か認識していた気もする。でも、彼女はそれがなんなのか認識を拒みたかった。

 明日も大学あるし、そう言い訳をして、その日はそのままスマホもつけず、布団に寝転がって、結局寝れたのか寝れていないのかわからないまま、気がついたら朝になっていた。

 朝日の中、恐る恐るスマホの電源をつけると、いつも見ている、なんの変哲もない鯨の動画が流れた。しかし、彼女はもう、その動画を見る気は無くなっていた。


 その日以来、彼女の身の回りでは変なことが続いている。最初は匂いだった。少ししょっぱくて磯臭い潮風の匂い。じめっぽくて、昔祖母の家で嗅いだ、梅雨前の曇天の中嗅いだ、体にまとわりつくような匂い。

 最初は大学で、そこ次は最寄駅で、その匂いを嗅いだ。たまたま嗅いだだけのようにも思ったけど、それは異臭で、週一回ほど嗅ぐか嗅がないかだった匂いは、もうほとんど毎日嗅ぐことになった。他の人にはわからないみたいで、病院にも行ったけど、気のせいだろうとそのまま返された。

 その後すぐにその匂いは家でも嗅ぐようになって、そのあたりから、自分の後ろに謎の気配を感じるようになった。一度、顔を洗っているときにその気配を感じて、ふっと顔を上げると、鏡にそれが写った。

 自分の背丈と同じくらいだけど、輪郭がはっきりしていない白っぽい塊。ただあるのは強烈な磯臭さと、しめっぽい空気。それが人なら、顔のある位置からぱかっと何かが開く。あれは口だ。そう認識し、振り返ったがそこにあるのは、潮の匂いのする不自然な水たまりだけで、人の影などなかった。


「これっていつまで続くんですかね」彼女は今も、そのよくわからない症状に悩まされている。

 以上全ての文章は創作怪談である。

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