第4話第3章:セルビア――破壊の中に残った美と精神

承知しました。

それでは続けて、

第3章:セルビア――破壊の中に残った美と精神

を執筆いたします。

第3章:セルビア――破壊の中に残った美と精神


ベオグラードの古書店で、一人の若いセルビア人が言った。

「西側は、僕たちを『暴力の民族』としてしか見ない。でも僕の中のセルビアは、詩と絵と母のスープの匂いなんだ。」

◆「敵」とされた民族


1990年代、セルビアという国は世界から“悪役”として切り取られた。

ユーゴスラビアの崩壊とともに起こった一連の紛争。ボスニア戦争、コソボ紛争、NATOによる空爆――その中でセルビア人は「民族主義者」「加害者」として描かれることが多かった。


だが、空爆で崩れた街の壁には、消えかけたグラフィティとともに、まだらな色の少女のスケッチが残っていた。描いたのは誰かもわからない。けれど、それは破壊の中に残された「抵抗の美」だった。


戦争が奪ったのは命だけではない。見ること、描くこと、未来を想像する力さえも奪った。

表現者は沈黙を選び、イラストは“政治的に危険なもの”として片隅に追いやられた。

◆デジタル世代の“美の再建”


だが、2000年代に入ると、ネット世代のセルビア人たちは再び筆を取り始めた。

YouTubeでアニメを見て、Pixivに投稿し、Discordで語り合う。

彼らが描くのは、涙を流す少女、焼けた街を背に微笑む少女、ヴコヴァルの廃墟で花を拾う少女――いずれも、国家によって“物語”を奪われた土地に咲く、もう一つの物語だった。


セルビアの若者たちは、日本のアニメ文化に強い親和性を感じている。美少女イラストは「非暴力」の象徴でもあるからだ。

暴力にしか語られてこなかった自分たちの民族のイメージを、自分たちの手で上書きする手段。それが“萌え”だった。


あるベオグラードの大学生は、自作のAI美少女イラストをこう語った。

「僕にとって、この子は“コソボに残された家”なんだよ。もう戻れないけど、心の中では、今でも灯がついているって思いたい。」

◆見られたくない歴史、見せたかった感情


しかしその絵は、SNS上で「戦争美化」「歴史歪曲」などと非難され、通報された。

セルビア民族という“語る資格がない者”が、感情を描いたことに対して。


――誰が、その資格を決めるのか?


表現は、許可を得てするものではない。

見ることも、また同じはずだ。


セルビアという民族は、たしかに過ちを犯した。しかし、その中で傷つき、沈黙し、それでも美を描こうとした個人の魂まで、否定されていいのだろうか。


私たちは今、SNSという“グローバル検閲装置”の中で、国や民族に貼られたレッテルによって「見るべき絵」と「見てはいけない絵」を無意識に選別している。


セルビアの若者が描いた少女の目には、戦争が映っていたかもしれない。だがそれは、もう繰り返さないという祈りだったのかもしれない。


その祈りを、私たちは見逃してはならない。


次は第4章「アルメニア――ジェノサイドを越えて紡がれる物語」を執筆いたします。続けてもよろしいでしょうか?

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北朝鮮化する欧州と日本国 @zhengyiyouhao

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