第3話第2章:ロシア民族の誇りと検閲の記憶

承知しました。では引き続き、


を執筆いたします。

第2章:ロシア民族の誇りと検閲の記憶


「自由は贅沢だ」

これは、旧ソ連時代に知識人たちが互いに語り合った言葉のひとつである。


20世紀のロシアにおいて、「見ること」は権力と密接に結びついていた。新聞は国が管理し、テレビもまた“真実”を放映するための装置だった。そして、それらの「真実」を補完するものとして、地下で流通したのが サムイズダート(自費出版) という存在だった。


サムイズダートには、小説や詩だけではなく、風刺画、漫画、そして政府が認めない写真やイラストも含まれていた。

国家にとって危険だったのは、「描かれたものそのもの」ではなく、「それを誰かが見ること」だった。見る者がいれば、そこに意味が生まれ、連帯が生まれる。だからこそ、ロシアでは見るという行為は、しばしば“抵抗”だった。

◆ポストソ連時代の「自由」とその再編


1991年、ソ連の崩壊とともに、ロシアは資本主義とインターネットの波に呑まれる。

街にはアニメショップが現れ、トルコや中国から輸入された“萌え絵”のグッズが子どもたちの手に渡るようになった。日本製アニメは憧れの象徴となり、「美少女」は単なる二次元キャラクターではなく、“自分たちが持てなかった自由”の象徴でもあった。


しかし、それは長く続かなかった。

2010年代以降、政府はインターネットとSNSへの規制を強め、外国文化に対する警戒心も増していく。ロシア国内で描かれたアニメ風イラストが「同性愛宣伝法」によって削除される。

2020年代、ロシアの若者が投稿したあるAI美少女イラストが、偶然「ソ連軍の敗北」を連想させる背景を持っていたことで、国家主義的グループからの標的にされた。


「彼らが恐れているのは、絵そのものではない。絵が、人々の中で意味を持ち始めることなんだ。」

そう語ったのは、モスクワの小さなZINEスタジオで会ったセルゲイという若きアーティストだった。彼の描く少女たちは、戦車に花を差し込み、銃の前で踊る。そのどれもが美しく、どれもが“政治的”だと解釈される可能性を秘めていた。

◆なぜロシアの若者は美少女を描くのか?


「現実が重すぎるとき、俺たちは軽いものに救われるんだ。」

と、別の若者が言った。


ロシアにおいて、美少女イラストは“現実逃避”ではなく、“現実への対抗”でもある。西側から輸入されたこの文化は、検閲も、抑圧も、国境も越えてきた。そして今、それは再び「見る自由」として問われている。


ロシア政府が描かせたがらない少女。

ロシア国民の一部が炎上させたがる少女。

ロシアの若者たちが「描かずにいられない」少女。


そのイラストを、あなたは“自由に見ることができる”国に住んでいるだろうか?

それとも、誰かの怒りや政治の都合で、見ないことを強いられているだろうか?


次は第3章「セルビア――破壊の中に残った美と精神」を執筆いたします。続けてもよろしいでしょうか?

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