第7章 着ぐるみパラダイスへ

 「残留思念ね。」

 「残留思念・・・?」

 黒岩から連絡のあった着ぐるみパーティーの当日、留美はかおりと最寄りの駅で待ち合わせしていた。そして、かおりは挨拶も抜きに話し始めた。かおりはスリットの入ったレザーのタイトスカートに、真っ赤なハイケージニットのトップスだ。毎度のことだが留美のふんわりコーデとは真逆の方向性である。かおりは何と戦おうとしているのだろうか。

 「ずーっと考えてて。最初はデジャブかも、って言ったけど、全部の幻想の共通項を考えると、真理さんに集約されるのよ。つまり、真理さんは留美の前任者だから、留美は真理さんの着たことのある着ぐるみをずっと着ていたということでしょ。だから、真理さんが何らかのトリガーになっていることは間違いないのよ。

 最初は、留美が着ぐるみを着たことをきっかけに、真理さんの強い思いが幻想を見させていると仮定してみたんだけどね。つまりは真理さんに特殊な能力があると考えたわけ。でも、前に黒岩さんとお茶した時、黒岩さんは真理さんに対して特に特別な感情を持っているようには感じなかったし、黒岩さんの話から真理さんもそれほどでもない感じだった。だから、真理さんが特殊な能力があって、真理さんの強い思いを留美に幻想として見せたというわけではなさそうなの。」

 「真理さんも、黒岩さんについては同じように言ってた。だけど、そうだと残留思念っていうのになるの・・・?」

 留美は真理がキーであることは自分が仮定していたことと一致すると思った。また、真理の黒岩に対する思いも本人から聞いた通りだった。

 「そう。真理さんの能力というより、留美の能力と仮定したほうが、話がすっきりするのよ。つまり、着ぐるみは真理さん以外も着ているかもしれないし、真理さんは黒岩さん以外に気になる人や、気になることがあるかもしれない。つまりは、着ぐるみには色々な情報、というか思念ね、色々な思念を記憶していると予想されるのね。そして、色々な思念の中から、留美が気になっていることだけを幻想として引き出したと考えると合点がいくのよ。」

 「うーん・・・。」

 留美はかおりのマシンガントークに理解がだんだん追い付かなくなってきていた。

 「留美は前の職場環境がむちゃくちゃ嫌って言っていたでしょ。セクハラもなかった?」

 「あったわね。だいぶ慣れてきていたけどね。いちいち気にしていたらやってられないから・・」

 「今の職場に移ったとき、またセクハラ職場じゃないかって、気になってなかった?だから、最初の美少女着ぐるみのときはセクハラの記憶が引っ張り出されたんじゃないかな。」

 そうかもしれない、と留美は思い出した。当時は、本社企画部に移ると思っていたとは言え、前の職場以外の経験があるわけではなく、もしかしたら前の職場と同じような昭和の環境ではないかという一抹の不安を抱いていたことは確かだ。

 「そのあとは、黒岩さんと初めて出会って黒岩さんが気になりだしたでしょ。だから、戦隊ヒロインとか、鳥の怪獣では黒岩さんとの記憶が引っ張り出されたと考えると自然でしょ。」

 留美は絶句した。ということは、これは真理が自分に見せた幻想ということではなく、自分自身の能力なのか・・・。

 「留美、判った?もう一回繰り返そうか。」

 かおりは、少し呆然としている留美を見て早くしゃべりすぎたと思ったようだ。

 「いや、大丈夫。要は、私が気になっていることを、着ぐるみの記憶から引っ張り出したってことなのね。」

 「ご名答。ものすごい能力って言えばそうなんだけど・・・。」

 「ん、だけど・・何?」

 かおりが口ごもったので留美は問いかけた。

 「ただ、着ぐるみを着ないと発動しない能力と考えると、あんまり発揮できる機会はないわね。普通、着ぐるみ着る機会ってないでしょ。私も着たことないし。今の職場でもだいたい同じ着ぐるみを着るんでしょ。まあ、今日は黒岩さんの持っている着ぐるみが着られそうだから、何か気になることが見られるかもね。」

 かおりはいつも冷静だ。かおりが言う通り、残留思念を感じ取れるなんてすごい超能力に違いない。本来なら小躍りして喜ぶべきところだろう。しかし、すごい能力とは言え、発動するシチュエーションが着ぐるみを着た一瞬だけだし、留美が気になっていることしか見られないとすると、どんな使い道があるのだろうか。かおりから指摘されたせいもあるが、留美にもこの能力が役に立つのか疑問だけが残った。

 かおりは、留美の能力がすごいと褒めていた割には、一通り説明が終わったため満足したのか、あとは黒岩の出演した番組がどうだったとか、どんな着ぐるみがあるかとかもっぱら黒岩の話をしながら黒岩の家を目指した。


 黒岩の家は、坂を少し上った高台にあった。フラットルーフの総二階で、建ってからそう長くは建っていない印象だった。確かにそれほど大きな家ではなかったが、狭いということもなく、半地下の駐車場もある庭があり、そこには高級外車が止まっていた。

 留美がドアホンで来訪を告げると、トレーナー上下というラフな格好の黒岩が玄関に迎えに出てくれた。

 「留美さん、かおりさん、いらっしゃいませ。着ぐるみパラダイスへようこそ。他の人はみんな揃っているんで紹介しますね。」

 「着ぐるみパラダイス、いいですね・・・。」

 かおりはまんざらでもないようだったが、留美は先ほどのかおりからの話が気になって、少しこわばった作り笑顔になっていた。

 黒岩は、玄関からすぐ隣のリビングへ二人を案内した。リビングはかなり広く、一角にはグリーンの背景布が天井から垂らしてあり、撮影スペースが作られていた。また、隅にはおなじみのパーテーションが立ててあり、着替えスペースになっているようだ。中央のソファーには男性が二人と女性が二人腰かけていた。テーブルにはオードブルやお菓子や飲み物が置いてあった。

 「みんな、こちらは撮影でよく一緒になる留美さんとお友達のかおりさんです。こっちの二人は自分の友人の医者の田中と税理士の小野、女性二人は小野の友達の、えーっと・・。」

 「ミナです。小野さんの飲み友達です。それと、私の友達のリサです。」

 ソファーに座っていた女性がすかさず自己紹介する。一人は少しウエーブの掛かったロングヘヤーに黒のキャミソールドレス、もう一人はやはりロングだがストレートヘヤーに、胸に大きくスリットの入ったダブルブレストドレスと、どちらも濃い目のメークで、どうみても違う世界に住んでいる人ではないかと留美は感じていた。それ以前に、黒岩の友達が医者と税理士って、どのような接点で友達になったのかも気になった。留美は、黒岩の友達と言えば、映画関係のちょっとオタクっぽい素朴な男性と勝手に思い込んでいたのだ。そして、その女友達も女友達だ。黒岩の印象とは大きく異なっている。かおりの戦闘コーデもこの二人の前では霞んで見える。

 かおりも同じように感じたようで、黒岩から勧められたソファーに座りつつ話し始めた。

 「おもてに止めてった外車はお二人のですか。」

 「自分のです。中古ですけどね。いわゆる税金対策ってやつですよ。」

 と、医者の田中。留美は、どうも自分は場違いの場所に来てしまったのではないかと感じ始めていた。黒岩とは話すネタに事欠かないが、医者や税理士や、違う世界に住んでいそうな女友達とどんな会話が成立するだろうか。かおりは留美の心配など一切気にしていない様子で話を続けていた。いつも外国人とビジネスを行っているだけはある。こういうときには心強い。

 「すごーい、やはり儲かるんでしょうね。お二人とも・・・。」

 「いやいや、それほどでも。黒岩のほうが役者やっているんで儲かっていますよ。だんだん主役級が回ってきていますしね。俺たちは地道に働いているだけです。」

 男性二人はごまかしていたが、相当リッチな感じであり、ますます黒岩とのギャップを留美は感じ始めていた。それとも映画俳優ってそんなに儲かるものなのだろうか。

 「三人はどこで知り合ったんですか。」

 かおり、ナイスパス、留美は心の中でかおりの質問に拍手を送った。

 「最初はどこだったなー。どこかのスナックだったかなー。僕たち二人も特撮好きなんで、黒岩とは話が合って・・・。特に遅い時間から飲みだすことが多いので、結構一緒になることが多かったんだよね。」

 と、医者の田中。留美はそういうものかと妙に納得した。ならば、ガールズバーにいそうな二人の女性が居るのもなんとなくうなずける。

 「ほらほら、折角なんで、撮影会のほう始めようよ。かおりさんも待っているし・・・。でも、最初は最近手に入れたマスコットから行こうか、これ少し小さめなんで留美さんにお願いしようかな。かおりさんはもう少し待ってね。次は、巨大ヒーロー系で行くから。」

 確かに留美以外の三人はそろって背が高かかったようだ。

 「マスコットはスカートのままでも着れないことはないから、すぐ着られるよ。かおりさん、背中のチャック閉めたりとか、手伝ってもらってもいいかな。ま、服を脱ぐわけではないから僕でもいいけど、女性のほうがいいよね。」

 と黒岩はパーテーションのほうを指さした。

 「じゃ、お先に着ますね。」

 留美はかおりといっしょにパーテーションの裏へ移動した。そこには、かわいい黄緑色の恐竜のマスコット着ぐるみが置いてあった。それは特撮映画に出てくるようなリアルなものではなく、どちらかと言えば子供番組に出てきそうなデフォルメされた着ぐるみだった。

 「いよいよ実験ね。」

 かおりは、留美が着やすいように後のチャックを下ろし、着ぐるみを抱えて小声でささやいた。

 「そうね。」

 留美は、自宅での黒岩のくつろいだ様子を見ることができるのではないかと期待を抱いて、着ぐるみに入っていった。そして、かおりが背中のチャックを閉じてくれたちょうどその時、それはやってきた。


 それは大きなベッドが置いてある寝室のようであった。いつものように多少、もやがかかっていたが、そこには脱ぎ棄てられたこの恐竜の着ぐるみと、ベッドの上で全裸の黒岩と女性がもつれ合っている幻想であった。女性は見たことのない顔だ。その幻想は長くは続かず、次に現れた幻想には、二人の男性が別の女性と交わっていた。その男性の一人は黒岩だった。そして次から次へと、着ぐるみを着たまま、あるいは半分脱いでいる、行為中の幻想が現れては消えていった。

 「きゃぁぁぁぁぁぁーーー。」

 留美は思わず大きな声で叫んでしまっていた。

 「どうした、何が見えた。」

 と、かおり。

 「無理、もう無理。撤収・・・。」

 留美はとても冷静な説明ができない状態だった。

 「わかったわ。撤収ね。」

 かおりは小さくささやき、今度はリビングに聞こえるよう大きな声で叫んだ。

 「なにぃ、明日の企画書の提出忘れてたってぇー。えー。じゃ、すぐ帰って作らないと・・。」

 黒岩や友達が、どうした、どうした、と丁度パーテーションから心配そうに覗き込んだところだった。かおりの頭の回転の速さにはいつも助けられる。かおりは着ぐるみのチャックを下ろしながら、黒岩へ説明した。

 「黒岩さん、大変なんです。留美が明日企画書出さなきゃいけないのを忘れてたんですって。今から家に帰って作るそうです。出さないと課長から、しこたま怒られるそうです。私も手伝わないと間に合わないみたいです。なので、せっかく招待いただいて、私も着ぐるみ着れるの楽しみにしていたんで大変残念なんですが、今日はここで失礼します。もう、留美ったら・・・。すみません。」

 一瞬でそんなに色々会話できるわけなかろうと留美は思いつつも、かおりの一瞬の作り話に感謝した。着ぐるみから頭が出た留美は体をねじりつつ黒岩へ謝罪した。

 「黒岩さん、すみません。私がぼーっとしてて、また誘ってくださいね。」

 「留美さん、顔色よくないですね。大丈夫ですよ、気にしないでください。お互い仕事優先で行きましょう。企画書が早くできたら、また戻ってもらってもいいですよ。」

 「ありがとうございます。」

 留美とかおりは、黒岩とほかのみんなに手短かに謝りつつ早々に黒岩の家を出た。


 「で、何が見えたの。」

 家を出るやいなや、かおりが尋ねてきた。留美は、一瞬のうちにいくつもの行為中の幻想が見えたことをかおりに話した。

 「そりゃ、私たち危なかったわね。鴨だったということかしら。今思えば、水商売のような女性二人は了解済だったようにも見えたわね。黒岩、油断がならんな。」

 かおりは、すでに「黒岩」と呼び捨てになっている。留美も、黒岩を見損なっていたと感じていた。確かに、かっこよくて、お金も持っているとなれば、女性関係とはそのようなものかもしれない。あわよくば付き合えるかも、と思った自分が浅はかだったということだ。

 「留美の超能力のおかげで助かったわ。こんな使い道があったとわね。しかし、とんだ着ぐるみパラダイスだったわね、全く。」

 留美とかおりは、黒岩の家からかなり離れたところで昼間から飲みなおしたのだった。

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