第5章 黒岩
「留美さん、お疲れ様」
着替えを済ませ、かおりと控室を出ると、黒岩はスタジオの端で他のスタッフと話しながら待ってくれていたようだ。相変らず、かおりの反応が早い。
「黒岩さん、お疲れ様です。監督とのお話は終わりました?」
「あー、思ったほど長くは掛かりませんでした。かおりさん、でしたね。行きつけの喫茶店が近くにあるんでお茶でもどうですか。」
「いいですね。よく行かれるんですか。」
「そうですね。打ち合わせの時とか、食事とか。ここは街はずれなんで、お茶ができたり、ご飯が食べられるところが他にはないので、結構使ってますね。」
黒岩はかおりと並んで出口に向かっていった。留美は、かおりが前のめりの態度に少しいらつきながらも、その後をついて行った。
数分歩いたのち、黒岩の案内で辿り着いた喫茶店は、ザ・昭和といった雰囲気の喫茶店であった。欧州風の落ち着いた外観、格子の入った小さめの窓からはオレンジ色の明かりが見えている。扉を開けると、カランコロンとドアベルが鳴った。おそらく、夫婦のみでやっているのであろう。店内には客がまばらに座っている。
三人は入り口のそばの席に腰かけた。黒岩は二人にメニューを広げて見せながら話し掛けた。
「お二人は何を飲まれますか。それとも軽く食べますか。」
「じゃ、コーヒーを」
かおりが即答する。私が先だろう、と留美は思いつつ、続けた。
「じゃ、同じものを。」
「留美さんは力仕事の後でお腹すいているんじゃないですか。何か食べたいなら、遠慮しないでくださいね。」
相変らず優しい。なんと思いやりのあることか。そもそも比較するのもおかしいが、前の職場にはこんな素敵なことを言える男はいなかった。留美は、このちょっとしたやり取りにも感動していた。緊張していて気付かなかったが、黒岩の言う通り、少しお腹も減ってきている。
「あ、それじゃ、サンドイッチをいただきます。かおりはどうする。」
本当ならスパゲッティでもがっつり食べたいところだが、黒岩の前でがっつくもどうかと思い、上品に食べられそうなサンドイッチを選択した。
「じゃ、私も食べる。」
黒岩も同じメニューを選び、黒岩が3人分をまとめて注文した。
「留美さん、現場では何度かご一緒しましたけど、こうやって面と向かって話すのは初めてですね。」
いつもはあいさつ程度で、あとは面を被ってアクションしているので黒岩をきちんと見たことはなかったが、改めて正対すると黒岩の凛とした顔立ちは際立っており、留美は自分の視線がさまよっているのが分かった。
「そうですね。いつもは仕事中ですからね。」
「ははは、確かに。おしゃべりする暇ないですからね。面も被ってるし・・・。ところで留美さんはこういう仕事は過去にも経験があるんですか。アクションも結構様になっているように感じましたけど・・・」
「留美は空手やってましたからね・・・。人生、何が役に立つか分からないですね。」
かおりが割り込んでくる。
「ほう、空手ですか。やりますね。私も学生時代は部活でやってました。それがスーツアクターをやってみる動機にはなっていると思いますね。」
「いや、私のは空手エクササイズなんで、戦ったりはしないんですけどね。」
私の話はどうでもいいので、もう少し黒岩のことが聞きたいと留美が思った矢先、かおりが話題を振ってくれた。
「黒岩さんってこの仕事長いんですよね。うちの会社と一緒になることも多かったんですか。」
「あー、GBさんとのお付き合いは5年前くらいからですね。留美さんの前の真理さんが新人で入ったころから、よくご一緒してますね。そういえば真理さん骨折したって聞きましたけど大丈夫なんですか。」
「まだ会社には顔を出されてないですね。私も、まだ会ったことなくて。」
と、留美。
「相当ひどかったんでしょうね。交通事故ですかね。かわいそうに。真理さんとは戦隊ショーとか、映画の撮影とかでもご一緒していました。結構仲良くしてもらっていたんですけどね・・・」
「へー、そうなんですか。お付き合いされていたとか・・・。」
かおりのストレートすぎる質問に、黒岩はちょっと驚いたようだった。
「かおり、ちょっとぉ。黒岩さん困ってるじゃない。」
留美は口ごもっている黒岩をかばってみたが、黒岩はそうでもなかったようだ。
「いや、仲良くとは言っても、真理さんとはたまにここでお茶を飲んだり、軽く食事したりする程度でしたよ。ちょうど今と一緒ですね。撮影終わりが深夜になったりするので時間が合わなくて、なかなかお付き合いというまでは発展しないんですよ。ましてや、仕事以外で女性と知り合う機会も少ないし・・・。」
「そうですかー」
かおりは考えごとを始めたようで静かになった。相変らずマイペースである。何を考え始めたのだろうか。留美は、黒岩が現在フリーで、自分にも少しチャンスがあるのではないかと思い始めていた。ただ、付き合っている人がいるかストレートに聞くのははばかられたので、別の話題を振ってみた。
「そういえば、黒岩さん、家を買われたって、社長さんが言われていましたね。」
「あー、深井社長でしょ。この業界は狭いですからねー、すぐに噂がひろまっちゃいますね。いやいや、親戚が引っ越さなければならなくなったんで安く譲ってもらったんですよ。戸建てですけど、全然豪邸とかじゃないですからね・・・。今まで長くスーツアクトレスやってましたから、全く貯金もないし・・・。小さい家ですよ。」
「そうなんですね。でも黒岩さんの若さで持ち家ってすごいですよね。戸建てだったら特撮関係の資料とかコレクションをお持ちなんじゃないですか。気になります。」
留美は、戦隊モノや特撮のスーツアクトレスの仕事が多くなっているため、少し興味も出てきていた。話しているうちに黒岩に彼女が居るかどうかも分るかもしれない。
「あー、結構ありますね。台本とか、スチール写真とか、テスト映像とか、着ぐるみも結構ありますよ。クランクアップで廃棄行きのブツなんかですね。戦隊ヒーローショーも最新でなくなると廃棄行きが結構出ますから、著作権の関係で捨てないといけないんですけど、もったいないんで個人的にもらっています。巨大ヒーローとかマスコットのふかもこ着ぐるみとかもありますよ。」
黒岩は少し饒舌なっているようだと留美は感じていた。我ながらいい振りだった。しかし、静かになっていたかおりが突然言葉に反応して会話に割り込んできた。
「私が着られそうなものあります?今日は全部無理って言われて・・・」
「かおりさん背が高いですからね。男性用の巨大ヒーローとか、怪獣ならありますよ。着てみます?」
「是非お願いします。」
「じゃー、今度、家で着ぐるみパーティーをやるときに参加しますか。次は来月だったかな。映画とか特撮好きが集まって、着ぐるみ着て撮影会したり、映画見ながら食事したりするんです。他にも自分の友達や、友達の知り合いとか、知らない人もきますけど・・・。留美さんも一緒に来ませんか。かわいいマスコットの着ぐるみとかもありますよ。ちょっと古いですけど・・。」
「留美と一緒に行きます。うれしいー。」
かおりは本当にうれしそうだった。留美の了解も得ることなく、一緒に黒岩の家を訪れることを決めてしまった。かおりの猪突猛進のアタックが功を奏したということだろう。留美を誘ってくれたところを見ると、黒岩も多少は留美を気に掛けてくれているようだ。単なる社交辞令というわけではなかろう。彼女がいるかもという心配は無用のようだ。他の女性もいるようだが、黒岩とゆっくり話す時間がもあるだろうと留美は期待した。
三人は映画や撮影の話をしながら食事をした後、喫茶店で散会した。
かおりは来月の着ぐるみパーティーで舞い上がっていたが、留美も黒岩から誘われたことで同じように舞い上がっていた。かおりの特撮好きが功奏していい流れになってきたようだ。
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