第4章 怪獣

 かおりの願いはほどなく叶えられることになった。

 「留美さん、突然で悪いんだけど、明日から特撮映画のスーツアクトレスお願いできる?」

 豊田課長は画面を見つめ、キーボードを叩きながら質問してきた。あいかわらず、会話と作業が同時進行している。器用というか、天才的というか。冗談とも本気ともとれる言動で、セクハラのきわどい線と突いてくるとか、豊田課長は外見に似合わず、どこか底知れぬ能力があるように感じられた。質問と言っても断る余地はないのだが。留美は反射的に手帳のスケジュールを開きながら答えた。

 「来週は次のイベントの打ち合わせがいくつか入っていますけど、代わってもらえるなら・・・」

 「ああ、大丈夫。こっちで代わるから。いつもお世話になってる特撮専門のプロダクションから、身長160cmくらいの中肉中背の女性がいたよね、ってメール来ちゃってね。予定していた人が来られなくなって困っているらしいんだ。誰でもいいってわけではないし・・・。留美さんもだいぶ経験を積んできたから、特撮も大丈夫だと思う。留美さん、お願いするね。先方にはメールしておくから。」

 「分かりました。今度は何ですかね。また戦隊ヒロインですか。」

 「いやー、あそこは巨大ヒーローものが多いからね。女性だと、小柄の巨大ヒロインか、小さめの怪獣か、女の宇宙人か・・、ま、宇宙人の性別なんてナンセンスだね。前はカニのハサミみたいな宇宙人もいたなー。」

 「行ってみないと分からないということですね。」

 小柄の巨大ヒロイン、って矛盾していないか、と思いつつ、留美は答えた。豊田課長は、相変らず、キーボードをマシンガンのように叩きながら会話している。この人はどういう頭の作りをしているのだろうか。

 「そういうことだね。先方になんか言っておくことある?」

 留美はとっさにかおりとの約束を思い出した。

 「海外営業部の友人のかおりが見学したがってるんで、連れて行っていいですか。」

 「あの海外営業のエースで少し変わった趣味の財前さんかな。お友達なんだ。」

 豊田課長はかおりを知っているようで、意外そうな顔だった。

 「えっ、ご存じなんですか。」

 留美には、豊田課長がかおりをフルネームで知っていることが驚きだった。

 「あー、男性陣の中では、美人でスタイルもよくて、さらに賢くてものすごく優秀だが、ちょっと趣味がねって・・・ことで有名だよ。」

 横で聞いていた川島が突っ込む。

 「課長、ほらまたセクハラ、イエローカードですよってば。」

 「あ、いや、本音がつい。先方にすっごい美人が見学に来るって伝えとくね。監督喜ぶよ。」

 「だから、一言多いって!」

 川島と留美は同時に突っ込んだ。


 翌日、留美とかおりが訪れたのは、本社から電車で数駅の郊外にある撮影スタジオだった。スタジオと言っても、外観は大きめの倉庫にしか見えない。入り口に掛かっている縦の看板で何かのスタジオとわかる程度である。

 今回はかおりが会社を休んで一緒についてきている。今日は相変わらずの短目のスカートに黒いコートと大人系のコーデだ。ビジネスカジュアルな留美と二人並ぶと、いつもながらファッションの方向性が全く違う。

 「かおり、海外営業のエースなのに、よく会社休めるね。」

 「留美ー、自分で言うのもなんだけど、私、だてにエースじゃないのよ。何より、こんな機会見逃すはずがないじゃない。クライアントには、私のライフワークにかかわるプライベートの最優先事項があるから、ビジネスは全部来週まで止めといてって言っといた。」

 何かよく分からない説明だが、要は仕事はどうにでもできるらしい。周りからも営業成績トップと認められているようなので、自分で言う通り確かに凄腕なのだろう。こうなると、男性だけでなく、同僚の女性にも引かれそうだ。留美はかおりと同じ職場だと友達になれなかったかもしれないと思った。

 留美は入り口の使い古されたインターホンで名乗り、中に入れてもらった。

 少し歩いたところのドアを開くと広い空間に出た。前の戦隊ヒーローの事務所の道場のようなところとは違い、中もだだっ広い倉庫そのものだった。その半分ほどにミニュチュアの街並みが作られている。その街並みの周りには大きなビデオカメラや照明や何かの道具が無造作に置かれており、天井にも照明やらクレーンやら、はしごのようなものもあり、全体的は雑然としている。そのあちらこちらにまばらに人がいて何か作業を行っているようだった。

 その一人が留美を見つけて、駆け寄ってきた。

 「こんにちは、監督の滝川です。木隅さんとお友達の・・・・。」

 「財前かおりです。」

 「あー、財前さんね。豊田課長から聞いていたけど、美人だねー。いや、初対面の人に失礼だったね。木隅さん、早速撮影に入るんで着替えてもらっていいかな。」

 「あっちに控え室があるので・・・」

 監督の滝川は、今入って来たドアとは別のドアを指さした。

 「佳代さん、ちょっと着替え手伝ってあげてー、あー、先にハーネスつけといてね。」

 遠くから「はい、監督ぅー、分かりましたぁー」と、ジャージ姿の女性が近づいてきた。やはりどこもジャージだ。

 「あのー、今回どんな着ぐるみを着るんでしょうか。」

 留美はだいぶ着ぐるみには慣れてきていたが、一応何になるのか知りたいと思い、佳代と呼ばれた女性に尋ねた。

 「鳥みたいな怪獣ですね。恐竜で言えばプテラノドンみたいな。吊るすのが重いんで女性専用にしています。あと、スタジオとの縮尺で少し小さめのほうがアングルが稼げるので・・・。あ、高所恐怖症とかないですよね。吊るすって言っても3、4mですけどね。先にハーネスつけて、着ぐるみ着て、ハーネスにワイヤーつなぎますので」

 「いやー、楽しそうね。空、飛ぶんだー、私もやりたーい。」

 吊るすぅー?、留美が聞き返す前に、かおりが食いついてきた。やりたーいって、いつもの冷静なかおりらしくなく、テンションが上がっているようだ。

 「あ、着ぐるみ、小さいんですよ。そちらの方は身長があるんでちょっと入らないですね。あと、大きい方は体重も少し増えるのでロープワークが大変になるので・・・」

 佳代と呼ばれた女性は申し訳なさそうに答えた。

 「えー、残念・・・」

 かおりは本当に残念そうにつぶやいた。

 「あー、そうでした。吊るして撮影した後に、新しいブツが上がってきているんで、そっちの試着もしてもらいます。前がちゃんと見えるかとか、動きやすいかどうかとかのテストです。撮影はないです。」

 「そっちも小さいの?」

 かおりが速攻で尋ねた。

 「小さいですね。同じスーツアクトレスさん用なんで。」

 あなたは見学の身だろう、留美は言葉を飲み込んだ。


 「留美さん、お久しぶり・・・今日も撮影ですか。」

 「黒岩さん・・?」

 留美は突然現れた黒岩に驚いた。今までジャージ姿しか見たことがなかったが、今日はモノトーンコーデだ。スタイルがいいので何を着ても似合う。より精悍さが強調されているようだ。

 「今から滝川監督と今度の映画の打ち合わせがあるんですよ。奇遇ですね。」

 留美が黒岩に少し見とれていると、かおりがすかさず割って入った。

 「あ、留美の友達の財前かおりです。今日は見学です。黒岩さん、お話は留美から伺っています。」

 「あー、お友達。よろしくお願いします。留美さん、すっかりスーツアクトレスが板についてきたようですね。頼もしい。かおりさんも特撮に興味あるんですか。」

 「はい。黒岩さんの出てる映画も全部見てます。」

 かおりはいつになく饒舌だ。しかし、黒岩も以前はスーツアクターなので映画に出ているというか、むしろ出てないというのが正しそうにも思える。かおりは、そもそもそんなに特撮映画を見ていたのか・・・。サービストーク全開だろ。留美は、なぜかしら、少しいらつきを感じていた。

 「そんなに見てくれてたんですね。ありがとうございます。」

 黒岩が神妙に答える。

 「留美さん、今日はあの鳥の怪獣ですか。吊るされて、腕ばたばたしなきゃいけないんで大変そうですね。頑張ってください。この後何も予定入っていないので、そちらの都合がよろしければ、撮影の後、お茶でもしますか。お友達もご一緒に。」

 「えー、いいんですか。是非!」

 かおりがさっさと返事を返した。私への質問だろー、留美はますますむっとした。しかし、黒岩からお茶に誘われるとは・・・。美人のかおりを連れて来たからだろうか。でも、誘われたのは私だ。

 こんなところで黒岩に会えるのも偶然だが、黒岩の方から誘ってもらえるなんて・・・。

 「あ、ありがとうございます。いろいろ映画のことも伺いたいので、是非あとで。」

 留美はうれしさが顔に出ないように、つとめて冷静に返事を返した。


 黒岩と別れて向かった控室には、腕のところが羽になっている深緑色の着ぐるみがハンガーに掛けてあった。頭の部分は鳥というよりとかげに近い。小さい頭にワニのような口があり、牙が並んでいる。目は少し大きめで真っ赤なガラスのような目で、縦の瞳がまさに爬虫類だった。顎の下あたりにのぞき穴がありそうだ。留美は、いつものTシャツとスパッツになり、先にバンジージャンプで使うようなハーネスを付けられた。結構、苦しい。ハーネスを付けた状態で着ぐるみに潜り込んでいった。外側はゴムのような質感だが、厚みは思ったほどなく、内側の布は伸縮性があるようで割とスムースに着ることができた。


 手足と胴体が入り、いよいよ頭を着ぐるみの中に入れ、後ろのチャックが締められた瞬間、またあれがやってきた。


 場所はスタジオのようだが、この同じスタジオなのかどうかは分からない。今着ている着ぐるみがミニュチュアの街並みの中に立って羽をはばたかせている。吊るされてはいない。時折、羽を止めて口を開けるのは、光線か何かを吐き出しているところだろうか。しばらくその光景が続いた後、カットが掛かったようで、何人かが着ぐるみに近づき、背中のチャックを下ろしてあげていた、中からは小柄な女性らしき姿が出てきたが、顔は着ぐるみの頭に隠れて見えなかった。そして着ぐるみから出るのをサポートしているのは、あの黒岩だった。

 「お疲れ様ー、ちょっと一息着いたらすぐ画像チェックね。」

 「はぁー、分かりましたー。OKだといいけど・・」

 「大丈夫だと思うよ。」

 そして女性は黒岩と共にどこかに去っていった。


 「留美、留美、大丈夫。またなんか見た。固まってたけど・・・」

 気付くとかおりが体を支えながら、のぞき穴近くでささやいた。

 「見えた、後で話す。」

 だいぶこのシチュエーションにも慣れてきた留美は周りは気付かれないように小声で答えた。

 「木隅さん、大丈夫ですか。なんかふらっとしていましたけど。撮影無理なら、脱がせましょうか。」

 そばにいた監督の滝川も何事かと問いかけてきたが、かおりがすかさず代わりに答えてくれた。

 「いえいえ、問題ありません。いつものことなんで。」

 「そうなんですか、ならいいですけど。」

 滝川は、本当に大丈夫かと心配げではあったが、いつものことなら良いのだろうと納得して、もとの位置に戻っていった。


 撮影は、予定通り留美が着ぐるみごと吊るされ、ゆっくり羽ばきながら、下界を眺めるというカットだった。時々、羽ばたきをやめて、首を下に向ける演技が求められた。後で光線の画像と合成されるらしい。

 留美は小一時間、吊るされたり、下ろされたりしながら、腕を上下させる必要があり、ハーネスは食い込むは、腕は萎えるはで、結構な重労働であった。かおりに手伝ってもらいながら、ようやく着ぐるみを脱ぐと、留美は汗びっしょりになっていた。

 すかさずかおりが

 「はい、お疲れ様。なかなか堂に入ってたよ。でも、着ぐるみもかなり大変そうね。汗、びっしょりじゃない。」

 「まあ、慣れたけどね。戦隊ものだと、ジャージ生地で風通しがいいからいいんだけど、怪獣は風通さないから蒸れるのよねー。」

 「それはそうと、今度は何が見えた。」

 「あー、今回も黒岩さんが出てきた。それと謎の女性が話してた。やっぱり、私の願望なのかな・・・」

 最初のおじさんとの関係は不明だが、黒岩のことが気になっていることは関係があるかもしれない。しかも、この後、お茶に誘われている。留美の黒岩への思いがこのような幻想を見せているのだろうか。留美は案外これが正解なのかもしれないと考え始めていた。今まで、ほんの数回しか話していないが、黒岩の気配りとか、やさしさは留美にとっては今までにない心に残る出来事だった。

 一方のかおりは熟考体制に入ったようで、目がうつろになっていた。


 留美は、我ながら着ぐるみにも相当慣れてきなーと思いつつ、もうひとつ仕事が残っていたことを思い出した。

 「次の着ぐるみ試着しなきゃ」

 「そうね・・・。やっぱり黒岩さんが原因の線が濃厚ね。留美の強い想いが、こうなったらいいなっていう幻想を見せているんじゃないかな。でも、黒岩さんから誘われるなんてチャンスだね。最初の幻想は説明がつかないけど、留美が初めての職場で緊張していて、いろいろなケースを想像していたとも考えられるし・・・。黒岩さんと話せば、何か進展があるかもよ。ラッキーじゃん。」

 かおりは確信したようにうなずきながら話した。確かに少し距離を縮められるチャンスかもしれない。黒岩のことをもう少し知りたい、黒岩のことが最近かなり気になっていることは確かだ。かおりの分析は正しいのかもしれない。

 「そうかもね。でも、幻想まで見るものかなー。」

 留美はいくら黒岩に興味があるといえ、自分の黒岩への想いだけであんな幻想を見ることになることも考えられなかった。そもそも、黒岩にとって、たぶん留美は大勢の中の一人にすぎないだろうし・・・。

 「あ、まだ仕事残ってたね。次、行こうか。次はどんな子かなー。」

 かおりは切り替えが早い。もう今言ったことは覚えていないらしく、わくわく感まる出しでまわりをきょろきょろ見渡し始めた。


 先ほどの佳代と呼ばれた女性がどこからか持ってきた次の着ぐるみは宇宙人の着ぐるみだった。全体にすっきりしたデザインで、体の線が出るタイプだ。色は明るめのシルバーで、頭の部分は黄色の反射板のような大きな丸い目がひとつで、頭が縦に長い。目の部分が中からは見るようになっているようだ。

 「これは、なんとも言えないデザインね。」

 かおりが覗き込む。

 「留美はちっちゃいけど、スタイルいいから結構さまになるのかー」

 かおりは着ぐるみを引っ張ったり、押さえたりしながら興味津々の様子である。

 「ん、じゃ着てみようか。」

 さっきまで付けていたハーネスは外してもらっており、汗びっしょりとなったTシャツとスパッツも着替えて、すっきりした留美は着ぐるみを着始めた。宇宙人の着ぐるみは体の線をわざと出すためか、少し小さめのサイズになっていて、生地を引っ張りながら着る必要があり、さっきの鳥の怪獣より着替えに手間取った。そしてほどなく頭も入れ終わり、後ろのチャックをかおりに閉めてもらった。

 「何か見えた。」

 と、かおりが尋ねる。

 「いやー、なんにも。」

 留美には、大きな一つ目の内側からかおりの黄色がかった顔が見えていているだけで、幻想は見えなかった。

 「うーん、またまた謎だねー」

 着ぐるみ越しなので、声も聞こえにくく、表情もよく見えないが、またかおりは熟考に入ったようだった。

 「着ぐるみどうですか。前見えますか。きつくないですかね。」

 着替え終わったのを見計らって、先ほどの女性が状況を訪ねてきた。

 「あー、よく見えます。大きさもぴったりです。動きにくさもないですね。」

 留美は、腕を回したり、屈伸をしたりして着心地を確かめていた。着ぐるみはひとつひとつ手作りのため、接着や縫製が弱いところがあったりすると、アクション中に外れたり、穴が開いたりして、撮影を止めてしまうことになるので、耐久性の確認は重要だった。だが、もともと体にぴったりしているところを見ると、ベースはウェットスーツのようなので、あまり心配することはなさそうだ。

 「結構丈夫にできているようですね。」

 留美は相変らず黄色い視界で、自分の声がうるさいと思いつつ、感想を言った。

 「そうですか。じゃ、大丈夫そうなので、もう脱いでもらっていいですよ。」

 「わかりました。」

 かおりは留美の背中のチャックを下ろしつつつぶやいた。

 「なぜ、何も見えないんだろー。撮影が終わって留美の緊張が緩んだからか。何かミスったら、黒岩に助けて欲しいっていう留美の願望か?うーん、一日一回限定なのか。そもそもなぜ黒岩なのか。」

 かおりは考えが口に出ていることも気づいていないらしい。

 「かおり、かおりってば。」

 「あー、ごめん、ごめん。分からないわねー。」

 確かに分からない。そもそも幻想を見るなんて、人生で何回もあるものではないだろう。

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