第4話
その日、十人程、各種の病気、怪我を煩った者が、ソッスの元を訪れた。ソッスは訪れた全ての人に触れ、完全に健康にした。
救世主現る。
噂は瞬く間に広がった。街中に広がり、国中に広がり、各地から様々な病人、怪我人がソッスの元を訪れるようになった。
初めのうち、ソッスは一人一人訪ねて来る人に、ある程度のおもむろさを以て接していた。身体に触れて病気や怪我を治してやった後で、軽く「良く生きなさいよ」みたいなことを言ってみたりもした。
しかしどんどん人が増えた。治しても治しても日に日に増えた。国中から病人がやって来る。
やがてとても一人一人話しなど聞いていては捌き切れなくなって来た。
彼はもう話しなど聞かず、彼の家の前に集まった人々の身体に、無言で、触れて行くようになった。
いいことをしていると彼は思った。けれどもあまり嬉しくなかった。それは何故だろうと考えながら、右足を骨折した男に触れ、白内障の老婆に触れ、梅毒の女に触れた。 彼らは皆、ソッスが要求せずともそれぞれ感謝の気持として金を置いて行った。もちろん金持ちも貧乏もいるから、皆が皆多額のお礼を置いていくわけではなかったが、それでも一週間もしないうちに、ソッスの生活感では、とても一生使い切れないだろうと思われる程の金額になった。
ソッスは、何だか変な気分だった。いいことをしている筈なのに。
何故だろう? とソッスは左腕のもぎれた少年に触れた後で、考えた。
俺は確かにいいことをしている筈だ。人を助けることはいいことだ。なのにどこかやましいような釈然としない気持になるのは、自分の心に何かやましい部分があるからだろうか? 例えば、俺は、金をもらうために人々を救ってやっているからだろうか?
できる限り正直な心で、自分が、金のために人を救っているのかをソッスは考えてみた。金のために人々を治して上げているわけではない、と彼の心は断言できた。もともと金に対する執着は少ない方だったし、事実、人々が例え一銭もお礼をくれなくても、嫌な気を起こしたりはしないだろう、まあ、ありがとうくらい言ってそそくさ立ち去られてもむかつかない気がした。「俺は、金のためにやってるわけではないな」とぼそりと、しかし確信を持ってソッスは呟いた。例えば明日から、一切のお礼を断ることを宣言したっていい。本当にもうこれ以上金があってもどうしようもない。第一、金を使う暇すらない!
では、そうか、人々に感謝されるのが嬉しくて、感謝されたいがために、俺は人々に触れて上げているから、それで後ろめたいような気分があるのだろうか?
ソッスはまた、できる限り正直な心で、例えば誰も周囲に人のいない場所で、まだ言葉も知らないような赤ん坊が怪我をして泣いているのを発見した場面を想像した。その赤ちゃんを治しても、誰からも感謝なんてされない。「それでも」とソッスは自信を持って呟いた。「俺はその赤ちゃんに触れてやるだろう」
ん? ということは、そうか、俺は、自分で、自分がいいことをしたという感覚に浸りたくて人々を治して上げているから、つまり純粋に人々のためを思って触れてやっているのではなく、自分自身の良心を満足させるために触れてやってるから、後ろめたいのだろうか。それなのに人々が大げさに俺に感謝して見せ、まるで聖人のような目で俺を見つめるから、後ろめたく感じるのだろうか?
「それは、あるかも知れない」
と、水疱瘡の少女に触れた後で、呟いた。
しかし、自分が満足するために、人々を治して上げているのだとして、それは果たして後ろめたいことだろうか? 他人が喜ぶことを自分も喜ぶ、満足する、別に悪いことではない気がする。少なくとも、人の苦痛を喜んで人を傷付けて悦に入るような人間よりは俺の方がマシな筈だ。マシ? 何でそんな消極的な表現をしてしまうのだろう?
いくら考えても、なかなかすっきりしなかった。けれども、自分の中にあるどこか後ろめたい気分の理由が何であれ、とにかくやっている行為自体は正しいということは明らかであったから、ソッスは訪れる者にたんたんと触れ続けた。
しかし彼が力を手に入れてから二週間も経つと、そんな物思いに耽っている暇もなくなって来た。わらわらと病人怪我人がやって来て、ソッスの家の前に行列を作って彼に触れてもらう順番を待つようになり、もはや彼は一日中彼らに触れ続けなければならないような状況になって来たのだ。
何よりもゆとりを大切にした彼に取って、自分の時間がなくなってしまったことは、正直辛かった。けれども怪我や病気に苦しむ人々を、治すことができるのに、ゆとりを優先するのは気が引けたので、彼は頑張った。彼なりに頑張った。
最初は本当に不治の病だとか、致命的な傷を負った者しか彼の元を訪れなかったのだが、半年も経つと、だんだん鼻炎だとか、寝違えたとか、目がしょぼしょぼするとか、二日酔いとか、つまり病気や怪我とも言えぬような些細なことでも人々がソッスに触れてもらうために並ぶようになり、それこそソッスは眠る暇もなく、彼らの相手をしなければならなくなって来た。
ソッスはもう一々並んだ人々に病状、症状などもはや聞かず、ほとんどやっつけ仕事で彼らに触れて行ったから、一体彼らがどんな病気とか怪我で来ているのか、はっきりと知りはしなかったが、だんだんと、どこから見ても大して弱っているとは見えない人々が増えて来ていることには気付いていた。
もちろん中には、足がなかったり、白目を剥いて泡を吹いていたりする人もいたが、大半の人が、特に絶対に必要というわけではないけれども取り敢えず触ってもらっておこうかな、という感じでソッスの所に来ているような気はして、それは何か違うんじゃないのかなあと思い始めていた。
半年、昼も夜もなくソッスは触り続けた。彼は一睡もしなかった。一睡もしなくても、身体が悪くなることはなかった。悪くなった瞬間自らの力で回復している。それでも精神はもうおかしくなりかけていた。ひたすら病人、怪我人、ちょっと体調不良の人などに触り続け、ゆとりのゆの字もない生活、生活とすら言えないようなひたすら手を差し伸べて人に触るという行為のみの時間、いつまでやるの? 俺、死ぬまでずっとこんなことしてるの? 眠りもせず。
ある時、髪の毛を茶髪に染めて、口の中にはガムか何かくちゃくちゃやりながら自分の順番が来るのを待っていた青年に、ソッスは尋ねた。何度も見る顔だ。リピーターは珍しくないが、この青年は三日に一度くらい目にしていた。
「君、今日は、どこが悪いの?」
青年は、いきなりソッスに尋ねられて、ちょっと驚いたようだった。何故今、自分だけがそんなことを尋ねられたのか分からない、ちょっと不服だ、というような顔をして、
「何か朝から調子出ねーなぁと思って。そんで来たんすけど。何で俺だけそんなこと聞かれないといけないんすか」
「いや、何でってこともないけど」
「俺の前の人には誰にもそんなこと聞いてなかったじゃないすか」
「うん、いや、ぱっと見たところだけど、君、どこも悪そうじゃないなあと思ってさ。というか、朝から調子が出ないとか、その程度の事で来るのはどうかと思うんだが……、ほら、君の後ろには、本当にひどい怪我をして今にも死にそうな人とか、いるわけだろう? 僕はそういう人を優先して上げるべきだと思うんだよ」
「でも俺一人くらいほとんど変わらないじゃないすか。ちゃっちゃと触って、次々、行けばいいじゃないすか」
「確かに一人くらいなら変わらないかも知れないけど、君みたいな人がたくさんいたら、積もり積もって、本当に僕に触ってもらわないといけない人が、触ってもらえないことになっちゃうだろう?」
「他の人のことは知らないすけど、俺一人くらい変わらないじゃないすか。俺の話じゃないんすか? 俺一人の話してんのに積もり積もるとかおかしくないすか? 俺一人で積もり積もったりしないすよ」
「いや、だから――」
その時、行列の中から誰かが、「おい、後ろ並んでんだからさぁ! 早くしろよ!」と叫んだ。それに同調して、早くしてよ、仕事に間に合わないじゃない、などという声も聞こえた。
「ほら、みんな待ってるんすから早くして下さいよ」
いや、何かおかしくない? 俺って、何? と思ってソッスが呆然としていると、
「つうか別に触ってくれないんだったら勝手に触るからいいすけど」
と青年は、ソッスの肩の辺りに勝手にタッチ、「おお、調子出て来たわ。サンキュ」と言って去っていった。
ソッスは、この感じは何だろう、と考えた。何故こんなにも今俺の全身はふるふるしているのだろう、何故俺は今こんなにも歯を食い縛り、きつく拳を固めているのだろう、ああ、爪が、掌を傷付けて痛い、どうせすぐ回復はするのだけれど、食い込ませている間だけ痛いだけなのだけれど、それよりもこの屈辱はどこから来るのだろう、何故俺はあの青年を殺したいのだろう、
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