7-2
「あれ?」
結衣は我に返り、はたとその場に立ち尽くした。
気づいたら結衣の前には、一度通り過ぎたはずのお寺があった。クララも隣で、寺院の中に続く石畳を眺めていた。さっきまで一緒にいたはずの水飼は姿が見えない。
ここをさっき通ったという記憶は定かなのだが、一方結衣はどうしてここに来たのか思い出せなかった。普通に考えればおかしな話だが、結衣はもう記憶を戻そうと試みる気すら失せた。
水飼とはぐれてしまったなら、それはそれで良いと思えてしまう、それくらい結衣は彼に対して薄情だった。
「クララ、ここさっきも来たよね?」
結衣はクララの袖を引っぱって聞いた。「ねえ?」
いつも何を考えているか分からないクララだが、今は頭をどちらに振ることすらしない。また電池切れかと結衣は紙袋の頭をのぞき込んで諦めた。一度こうなると、自分で復帰するまで結衣はまだ手の施し方を知らなかった。
たぶんこう来たはず、と結衣はスマホを見ながら寺院を横切り、首をひねった。地図はきっとこの辺りのはずだが、延々マップに現在地のピンが立たない。苦ありとますます感覚が麻痺するため、特に方向音痴の結衣には立ってもらわねば困る。うんうんと画面をひっくり返しては天にかざし、それでも定まらないピンに閉口していた時、団地の駐車場の方からかすかな鈴の音がした。
結衣は植え込みに目を向けた。マンションの棟は寺から続く一本道に沿って一端が途切れており、北向きにある玄関の白電灯も遠く見通しが悪い。そんな中、低木の向こうにひと際目立つ影があり、結衣の目を引いた。敷地の中には白い恰好をした人の姿が見えた。
あ、と結衣は声を上げた。
あの影を結衣は知っている。どこで見たかが思い出せないが、ついさっきしかと目に映した記憶が残っている。この近辺で夜に祭でもしているのだろうか、集まった人の群は皆に多様なソロっぽい服を着ていた。それが数人と思っていると人数はもっと大きくなり、やがて行儀よく一列になった。彼らはリンと鈴を鳴らして道路の向こう岸へと遠のいていく。
「……あれに着いていけば、知ってるとこに出るんじゃない?」
結衣は口に出したきり、きっとそうだと思った。あの白い人影はついさっき見たようで、気づいたら結衣はこの場所まで戻っていた。なら彼らを辿れば、また下の進んだ道に出られるはずだ。
そう狭い団地の入り口を跨ごうとした時、結衣の手をクララが掴んだ。
ひんやりした手だった。結衣は手を引っ込め、あわてて前髪を触った。
「あ、お、起きたんだ」
クララは相変わらず無愛想なままだ。そもそも顔が無い時点で愛想なんて求める方が間違ってるのかも知れない。そうこうしている間にも遠くなる行列とクララを見比べ、結衣は意識を引き戻される。
「クララ、あの人たちを追おう」
結衣はクララの袖をひっぱった。今買わないと、みたいな衝動買いの勢いと似ていて、これを逃す選択は結衣に無かった。
だがクララはおもむろに首を横へ振った。
「なんで駄目なの?着いていった方が、絶対すぐつくはずだよ」
結衣はクララも何とか引き連れようとするが、中身の重量がどうなってるのかクララはまったく動く気配が無い。いっそ人じゃ無いんだし、置いていったって次の日また学校で会えるんじゃないだろうかと都合の良いことが頭をよぎったが、今の結衣にはなぜか出来かねてしまった。
腕を引く結衣に、クララの頭が下がって低いうめき声がぼそりと這った。
「……だって、きっとすぐ家に帰れるはずだから」
なんと聞こえたか、結衣は当たり前にそう返した。あの行列の後ろに着いていけば必ず助かると、彼女は盲目に信じていた。普段なら怪しいものは軒並み避けて通る結衣の性格を知っているからこそ、おかしな行動だった。
「…………」
クララはうめき声と一緒に怒ったような荒い気を吐き出した。結衣は思わず袖を離した。
その時、寺のお堂からリンとまた鈴の音が聞こえた。団地の入り口でとどまっていた結衣は、遠のき去った行列に向けていた目を驚いてそっちに向き直った。
寺の石畳にはやはり、あの白い衣の人影が一列成して厳かに歩いていた。
息をのむ光景に、結衣はひどく惹かれた。
「あ」
きびすを返し今度は寺の中に飛び込みかける結衣をクララは制した。結衣は魔法でもかけられたみたいに———結衣自身も戸惑うほど魅せられていた。白い行列は結衣を誘うように鈴を転がし、ゆっくりと寺院の奥へと進んでゆく。
手を伸ばし、白い行列の奥にちかちかと点滅する信号を拝んだ。逃がしてはいけないと、なぜそう思うのかも分からなかった。
その時、今まで見たあの白い影が走馬灯のようになって一気に結衣の頭をかけた。水飼の姿も一瞬、そこに垣間見えた。
今まで忘れていたことだ。
結衣は前にも一度、あの白い行列を見ていた。
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