第3話

「くそが、くそが、くそが!!どうしてくれんだよこれマジで!」

「このような形で巻き込むことになって本当に申し訳ないと思う。本当にごめん。それはそれとしてもうちょっとそふとりぃに持ち運んでもらってもいいかい?中身出ちゃいそう。」

「精神生命体なんだろお前!?今更だけどなんで肉体あんだよ!」

「そんなこと気にしている場合なの?ほら走って!」


先ほどの襲撃からわずか二分後、どこからともなく数を増やしている仮称卵モンスターはその数を5匹に増やしながら俺とこいつを追いかけていた。追いつかれていないのはひとえに速度が成人男性の全力ダッシュで振り切れはしないが追いつかれもしないという絶妙な速度だからというのと思い出したかのように撃ってくる光線を撃つのにタメがいるらしくそれで結果的に距離が開いているだけであちらに体力の概念がなさそうな見た目をしている以上は追いつかれるのは時間の問題と思われた。光線当たったとこ見たらアスファルト無くなってたし。握りしめていたこいつを手から頭の上に移しながら声を張り上げる。


「なんかさぁ!こう対抗手段とか無いわけぇ!?このまま追いかけっこしても状況悪くなるだけなの目に見えてんだけど!?というか警察は警察!?」

開いた右手でスマホを取り出し110番をしようとも考えるがこのような怪奇現象に遭っている時のお約束なのかそもそも液晶が反応しない。長年の相棒は今シリコンとアルミの複合体となってしまっている。しゃらくせえ。

「さっき話した次元観測の応用の話だよ。君とあいつらの存在軸の座標を少しずらす事で来るときのエネルギーの消費を抑えたんだろうね。まぁだからこそ存在格の底辺オブ底辺の目覚めを待つ者ごときしか送れなかったんだろうけど。」

「何言ってっか全然わかんねえ!」

「助けは来ないよ。」

「ざっけんなマジで!!」


あまりにも無慈悲な宣言に心と足が折れそうになる。だが止まるわけにもいかない。あんな光線で焼かれて死ぬとか痛みが想像できないしそもそも死ぬのなんか絶対ごめんだ。まだ何もしていないのだから。そう、まだ何もしていない。俺はまだ何もしていない。終わってたまるもんかよ。こんなわけのわからない事に巻き込まれて唐突に全部終わるのも納得しかねる事この上にない。確かに非日常が来てほしいとは思った記憶はあるがもっとこう命の危機がない感じの非日常がよかった。女の子が空から降ってくるとか魔法のカードを集めるとか自宅のドアが異世界につながっているとかのそういったほのぼの日常系非日常が良かった。25歳に全力ダッシュを強要するのは何らかの法律に抵触するんだぞ!


「情けないことを思っていないでこの局面をどう切り抜けるかを考えたほうがいいんじゃないかね御影。」

「それはそうだが一体どうしろっていうんだよ!こっちには対抗手段なんかねえんだよ!」


いや、本当にないのだ。まずもって物理的に手が届かない高度にずっといる上にアスファルトを平然と打ち抜いてくる光線を撃ってくるのだ。武器になりそうなものもなければそれを扱う技量もない。ただの営業職に戦闘スキルを求めないでほしい。頭下げてサンドバックになって生きてきたんだぞこちとら。


「少し先に公園があっただろう。とりあえずはそこに逃げ込め。」

「やっぱりあるんだな!策が!」

「いや、ほぼ無策だ。だが君が頷いてくれればもしかするかもしれん。」

「命が助かるならもう何でもするけど!?」


それはそうだろう。今この状況ならば助かりさえするならある程度の借金くらいなら全然許容範囲なまでに追い詰められているのだ。先ほどの言葉を信じ気持ちだけならば世界最速とまで言い切れるほどの走りをしながら先ほど挙げられた公園を目指す。話している間にも卵から光線は撃たれ続けているからジグザグに走りながら回避行動をとるのも忘れない。FPSの浅瀬知識ではあるが外れているので正しかったということなのだろう。信じるべきは知識だった。

そして公園にたどり着く。帰り道には意識していなかった満月が舞台を照らす照明のように思われた。俺の頭の上に引っ付いていた生き物が浮遊しながら先ほどホワイトボードに張り付けていた羊皮紙の契約書をどこからともなく取り出す。

「あんまりこういう命の危機にかこつけるのはもちろん良くない事だと理解はしているんだけど今回ばっかりは諦めてくれるよね?」


長ったらしい契約文の下に存在する署名欄と思しき空白に御影相馬の字が焼き付いていく。契約に関しては読まないと後が怖いが事この場に限っては追いかけてくる卵のほうが圧倒的に怖い。選択の自由がかけらも存在しないことに怒りしか湧かないがそれでも最終確認としてこの質問だけはせざるを得なかった。


「これ拇印でいいの?朱肉は?」

「あ、ごめん朱肉無いから血判でお願いできる?」

「嘘だろお前。」


仕方がないので親指の皮を嚙みちぎる。血がにじみ準備が整った。契約書に押し付ける直前で本当に最後の質問をする。


「最後に名前を教えろ。真名がどうこう言ってたからお前にもちゃんとあるんだろ?」


目の前の生き物はぎくり、といった様子で硬直する。わかりやすく冷や汗っぽい水滴まで流しながらだ、わかりやすっこいつ。まだなんか隠してたな。そして遠目に卵を発見。射程距離まであと20秒ってところか。


「き、聞いてどうするの?意味なんかないでしょ?」

「いや、その反応でお前の名前を聞かないと良くないという事だけはわかった。とっとと名前を教えろ。さもなくば一緒に卵にビーム撃たれてゲームオーバーだ。俺は、お前の名前が知りたいだけだぜ?」


話声を聞きつけたのか卵がこちら側に飛んできているのが横目に見えた。ありありと苦悩が見て取れるほどに歯を食いしばりながら観念したという風に項垂れる生き物そして意を決したかのように目線を合わせ顔を真っ赤にしながら高らかに声を張り上げる。


「わ、私のな、名前は!ルシファー!ルシファー・デ・サント・ヘレルだ!」

「オーケー、ルシファー・デ・サント・ヘレル。俺、御影相馬はお前と全然読めてない契約を結ぶぜ。説明義務果たしてないからクーリングオフ対象なのはわかってるよな?」

「きっ貴様!乙女の純情をなんだと思って…!」


何か叫んでいるが契約書に親指を叩きつける。最初に認識できたのは目が焼けたのではと錯覚するほどの閃光。次に感じたのは全身に巻き付く金属の冷たさと心臓から感じる焼けるような熱。そして「ハプッ」というかわいらしい声を胸元に感じたところで俺は契約書から出てきた鎖にルシファーと一緒に絡めとられていることに気づいた。そして鎖の下の自分の肉体が熱を持ったかと思えば血の気が失せていくかのように冷えていくかの様な感覚を得た。自分とは何者だったか、そんな問いすら生まれかけた時に凛とした淑女のような声が響く。「何をしている疾く立たぬか。」その声が聞こえた瞬間回っていたかのような世界が止まり目の前に扉のようなものが現れた。七つ錠前があり鎖で巻かれているが肝心の扉をふさいでいる鎖は持ち手を巻いているものだけだ。邪魔くさくなった軽い気持ちで扉に向かって蹴りを入れるとまるでプラスチックだったかのようにいともたやすく砕け散った。扉をくぐり瞼を開く。すべてが鮮明に見え心の底から全能感とでもいうべきものが湧いてくる。いつの間にか四方は卵に包囲されていてえぐれている足元の地面からは結構な時間撃たれていたことが伺える。


「ふーっ…。」


深呼吸を一つ挟む。ふと自らの手を見ると手が籠のように覆われている。顔に手をやってみたが目に当たる部分よりだいぶ前に感触があるがなぜか普段よりも広く見える。全身を軽く叩いてみた感じめちゃめちゃ鎧っぽいので確認作業はひとまず終了。卵が口を広げて接射しようとしている。つい反射で蚊を振り払うように手を振るったら見た目の通り卵を割るかの様に粉々になって吹き飛んでいった。周りに漂っていて笑い声と思しき音を発していた卵達が沈黙している。なぶり殺しに出来ると思ってた下等生物に仲間が殺されちゃって動揺しちゃった?可愛いねぇ、単細胞がよ。


「どうだい?悪魔の力は素晴らしいだろう?」


頭の中で声が響く。ルシファーが愉快そうに目の前の光景を嗤う。そりゃお前自分をボコボコにした奴らはボコボコに出来たら気持ちいいだろうがあまりにも簡単にメタモルフォーゼして一体化するのやめていただけませんかね?


「とりあえずこれどうすんの?こいつら全部割って火を通してスクランブルエッグにでもすりゃいいの?まってろ俺の料理人としての腕前見せてやるからなぁ~?卵どもは一列に並べぇ!じっくりコトコトお料理してやるからよぉ!!」

「コトコトレベルの火じゃったら半熟なるものになるのではないか?ここはやっぱり強火じゃろ!地獄の炎でガっと行けば美味しく食べられるじゃろ。」


どうやらもう一人の僕もとい中の悪魔からの了承は得られたのでクッキングを開始する事に致しました。とはいっても俺に武術の心得なんてものは無いのでただただ近づいて殴るを繰り返すことしか出来ないあまりにも情けない状態だが卵の通常移動があまりにも遅すぎるためこの戦いの様なものが成り立っている。


「すっとろすぎだろこいつらぁ!ルシファーさんよぉ!」

「めちゃめちゃ調子に乗るねえ…。まぁのせられやすいのはいいことか。さて、このまま全部割っていってしまおう。」


ひとつ、ふたつ、みっつ、楽しくなっていて気が付かなかったがいつの間にか卵が増量されている。それに戦い方も変わってきた。嚙みついてこようとするものと後ろに陣取りこちらを狙撃しようとするもの。視野が広くなっていなければ引っかかっていたかもしれないが二人称の視点を得た俺にとってはまったくもって子供だましにもならないような即席の作戦は通じないんだよな…。まぁ前衛の処理スピードが遅くてしっかり策に嵌まっているが。あっつ!油跳ねレベル45くらいの感じがちまちま来るのうっとおしいな。


「Heyルシ。ここから巻き返す方法。」

「情けないことこの上ないねえ。ちゃんと撃たれて熱がっているあたりが実に無様だよ。」

「そういうのいいから。とっとと一撃で倒せる弱点とか教えてよ。このままだと雑魚相手になぶり殺しにされるんだけど。」

「わかりやすく色が変わっている場面があるだろう?そこをとにかく殴ってみたまえよ。…1匹2匹ならともかくとしてなぜこんなにもいる…?いや、そこまで外道に落ちることはないと信じたいが。」


あ、やっぱりこれなんだ。ゲームじゃないんだからこんなに親切な訳ないって思い込んでたわ。そう来るのなら話が早い、こいつの弱点は…っと!


「卵のケツじゃないほうだなぁ!ちゅんちゅん炙ってくれやがって、もう許さねえからなぁ!?」

「驚くほどに悪役だな君は。やはりミスったか?」


しょうがないだろうがテンション上げないとブルっておかしくなりそうなんだよこっちも。まずは右腕に噛みつこうとした奴の脳天に一撃加えて一匹目。そこから生身の自分では絶対に上がらない高さまで足を上げてかかと落としでぶち割って二匹目前衛の数覚悟を決めてきたと思われる三匹目を上からたたきつける様に殴りぬけて処理完了。そこからは早く熱線をよけながら近づき作業の感覚で弱点を殴りぬいて終わりだった。あっけねえなマジで。

意識してなかったけどこいつらもどうやら血液という概念はあるようで歯茎の部分から噴き出す赤い液体といかにもな天使の輪が砕けた時に乱反射する光が混じりあって綺麗…綺麗…いややっぱ綺麗じゃねえわシンプルにグロい。にしても天使でも血とか出るんだ、お前ら精神生命体とか言ってなかったっけ。


「恐らくだが…犠牲者がいる。いくら下級とはいえこの数と質は尋常ではないからね。」


へー…。あ?


「当たり前だろう?私が仲間の犠牲でここに来たように、天国から私たちがそのまま来るのは非常にリソースを食う上に出力もとんでもないほどに落ちる。私がこんなザマになっているのがその証拠だよ。」


一応私は向こうで上から数えて方が早かったのだから。なんていう声が頭の中で響くがそんなことは気にならない。そうなれば俺が今物言わぬ骸にしたのは誰かが帰りを待っている人だったのか。俺とこいつを殺すために普通に生きていた人がこんなになってしまったのか?疑問が一度噴き出すともう止まらない。自分は人殺しになってしまったのか?知らなかった。どうしてこんな事になっている?先ほどまでの高揚が存在しなかったかのように体が冷える。頭の中に氷柱が突き刺さったかの様な不快感を何とか抑え込みながら冷静を保とうとする。だが絞り出せた思考は何ともみっともない取り返しはもうつかないのか?という疑問だけだった。


「…酷なことをいうが取り返しはつかない。生卵がゆで卵に戻らないように肉体の変質は不可逆なのだから。」

「…せめて遺体を返すとかは出来ないのか?」

「優しいね…弔いの心、慈悲というのだったかな?だがそれも叶わない。変質してしまった時点で彼らは天国の側に近くなった。DNA検査を行ったとしても未知の生物と判断されるだけだろう。つまり彼らは今日行方不明となって帰ってくることはない。」

「天国の連中はこんな事平然とするのかよ?」

「ああ、したとも。私も奴らがまさかここまで悪鬼外道に落ちているとはつゆほども思わなかった。一時はともに天国の未来をより良いものにするために語り合った仲だったがもう私の知っている慈悲深い彼女達ではないのだろうよ。」


いつの間にか視界が普段のものに変わっていた。そして目の前には憔悴した顔のルシファーがいる。見ているのもいたたまれなくなって、手を差し伸べるとその小さな体と羽のような軽さを感じるとともに小さな背中に途方もない罪悪感という重しが背負い込まされているかのような苦悶の表情から目が離せなかった。するりと助けさせろと、そんな言葉が口からこぼれた。


「どうやらお前のことは信じていいようだ。…少なくとも無関係の人間巻き込んでこんな顔する奴が悪魔って言われるならきっと決めつけてる奴のほうが悪魔なんだろうさ。」

かすかに救われたような表情を見せる。

「だから、君には私と一緒に天国を潰す手伝いをして欲しい。こんな、心無い行いをする奴らに飼われるなぞまっぴらごめんだろう?」

その決意に満ちた目から目を背けることなんて俺には出来なくて、いわゆる考える前に体が動いたといううものだろう。そのまま口からするりと言葉が発されていた。

「わかった。乗ってやるよ、天使殺し。だから、俺はこれから何すりゃいいんだよ。」


その言葉を待っていたとばかりにルシファーは目を輝かせる。そして満面の笑みで宣言した。


「っじゃあ!お仕事辞めてくれる!?」


話の雲行きが途端に怪しくなってしまった。

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