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 そういえば、季節外れのバラ庭園で密会をするイベントあったな、スチル付きで。

 茶髪の穏やかそうな男性と、白髪の細身の少女が見える。


「婚約は破談かしら。青井はどう思う?」


 魔力は金になる。魔力はビジネスだ。


「いえ、皐月様のご婚約は常磐財閥と新橋グループの協定、および新しい魔力源確保の構想の上に成り立っています。……たいへん申し上げにくいのですが、あの程度では、文様との婚約が破談になることはないかと」

「あら、見えないのかしら。お相手は朱雀さんよ」


 目線で青井を促す。

 皐月様の婚約者である新橋文と仲よさげに話す、朱雀神無。無邪気に笑う、この世界の、ヒロイン。


 朱雀神無。

 庶民出身故にこの学園内の上下関係を知らず、また、無批判に従おうとはしない。その純真でまっすぐな価値観に、しがらみだらけで育った攻略キャラクターたちは初め見下しながらも、自分たちにないものを感じ、次第に惹かれていく。


 開いた本で口元を隠す。

 入念にキャラメイクしたとしか思えない白髪赤目、前下がりボブのビジュアル。転生者の可能性を疑ったけれど、デフォルトネームのままなものだから、正直判断材料が足りなかった。


 バラの蕾が固い今、バラ庭園のガゼボには人けがない。静かな場所で読書をしようとしたのに、視界に入るところでまさか浮気がはじまるとは。横に控えた青井が、無表情のまま瞼が重いと言いたげに伏し目がちになる。


「朱雀さんは、文さんが婚約者のいる男性ということを知らないのかしら」

「……皐月様、あまり、朱雀様に冷たく接されるのは皐月様のためにならないかと」

「常識がない方に常識がないことをお伝えするのは間違っていると?」


 青井は返事をしない。

 そういえば、前まで帰省目的でしか休みを取らなかった青井も、このごろ代理に任せて私のそばを離れる頻度が高くなった。仕事自体はちゃんとしてくれているし、有給も貯まっていたことだろう。生を跨いで十数年前のことになるけれど、社会人だった身だ。その辺はちゃんとわかっている。それに青井、護衛としての仕事がメインなのに紅茶淹れたりしてくれてるし。今の待遇とは別に、紅茶手当が必要かもしれない。

 ただ、青井弥生ルートに入っているにしては、秋前のこの時期になっても青井の不在が少ない。


 おそらく今は、新橋文ルートだ。


 新橋文。

 新橋グループ代表の次男として産まれ、親族随一の魔力量の多さを誇る。兄も魔力量は多かったが、虚弱で身体がその魔力に耐えられず離れで療養生活をしている。

 穏やかに振る舞っているが、地位について自分ではなく兄のものだったのではないかという思いや自分より魔力量の高い婚約者常磐皐月に対してのコンプレックスがある。


 お互い恋とは言えなかったけれど、魔力の強い者同士、今後の家のためにも協力しあう話でまとまっていただけあって複雑だ。皐月様より魅力的かその女? いやまあ新橋文ルート入れるってことはレベリング済でもう皐月様より魔力量多いんだろうけど……


 とはいえ、こんな簡単に攻略される男だとは思っていなかった。

 ゲームの仕様上、この世界ではヒロインしか魔力量を上げるレベリングをすることはできない。生まれたときから魔力の強弱が決まっている私たちからすれば、朱雀神無は未知で魅力的な存在、といえばそうなのかもしれない。

 でも、皐月様はなにより尊いのに。


 そう、皐月様はなにより尊い!


 皐月様に転生したからには、皐月様の名誉を守り、尊厳を守り、高貴で周りから尊敬される人間でなくてはならない。

 きちんと嫌味なくストレートに苦言を呈し、立場を考えた振る舞いを促す。場所と相手を踏まえたコミュニケーションをするよう勧める。それが相手に受け取られずとも、何度でも。

 朱雀神無が新橋文の腕に触れた。茶髪の間、新橋文の水色の瞳が開かれる。

 そう、相手に受け取られずとも、正しいことを。


「……皐月様、そろそろ教室に戻られたほうがよろしいかと」

「ええ、そうね。少し呆けていたようだわ。ありがとう、青井」


 たとえ自分の命をまた亡くすことになっても。

 皐月様の尊厳を守る。

 それが記憶を取り戻して三日三晩うなされて。目が覚めてすぐ、決めたことだから。




「……皐月様、一つお聞かせください」

「ええ、どうぞ」

「お好きな温泉はどちらですか?」

「……えっ?」


 顔をあげる。湯気にのった紅茶の匂いが揺れた。

 夏にはそんなこともあったな、と考えていたものだから、聞き間違えたのかと思った。


「……青井、聞いていて? 私はこれから違う家を紹介すると言ったのよ?」

「ええ。これが最後になるのでしたら、お好きな温泉だけお教えいただきたいのです」


 なんだそれ。

 開きかけた口を閉じる。


 ゲーム本編以外にキャラクターブックや小説、設定資料集……何種類かキャラクターの小話を載せた媒体は存在したし、おそらくぜんぶ摂取した。

 だから、尊厳を守るための自害前日、皐月様と青井がどういった会話を交わしたかを描いたメディアがないことも知っている。どう答えてもストーリーが変わることはないだろう。

 そもそも、ここで青井が何を言い出してもおかしくはない。おかしくはないけど……


「……そうね、……熱海……かしら……?」


 私が皐月様として生きている間、温泉に行ったことなんてない。そんなこと、幼い頃からお付きだった青井なら知っているはずだ。


 質問をされて黙りっぱなしは皐月様らしくない。

 とりあえず無難そうな答えを口にする。熱海なら前世でよく行った。好きな理由を聞かれても答えられる。行ったことがないことを指摘されたら本で読んだ想像だと言えばいい。


「そうですか、熱海ですか。いいところですよね」

「ええ……そう思うわ、実際に行ったことはないけれど」

「そうですよね、皐月様は温泉自体、体験されてはいらっしゃいませんよね」

「ええ。……青井、どうして私の好きな温泉が気になるの?」


 部屋の中は、甘い紅茶の香りで満ちている。

 私の好きな香りで、ほとんど、青井の香りとなっている。


 髪と同色の青いまつ毛に囲まれた、紺色の美しい瞳。そこに、私と、手元のカップが映っている。金装飾が夜空に輝く星に見えて、瞳は宇宙めいていた。

 真空のように静かで、永遠みたいな時間の中、青井は黙って微笑んでいる。背中に服が貼りついた。温かく、甘い匂いの部屋で、私だけが震えている。


 青井が質問に答えない。


 青井が皐月様に逆らうのはヒロインに攻略されているときだけ。

 思えば、夏頃から婚約者も青井もヒロインが周りにうろついていた。知っているキャラクターそのままの婚約者はともかく、記憶と違う女性の青井はどういったルートで攻略されたのか、てんで検討もつかない。

 青井自体は意見することはあれど、記憶の青井ルート秋時期よりずっと皐月様に友好的だから、青井にちょっかいをかけつつもルートは婚約者の方だとばかり思っていた。でも、もしかして。


 逆ハーレムルート。


 婚約者と青井を除いた攻略キャラクター三人の攻略され具合はまったくわからないけれど、フラグ回収に一度の選択肢ミスも許されない逆ハールートにヒロインが突っこんでいるとしたら。

 それなら、今日は自害の決行前日ではなく、青井の暗躍で賊に攫われて廃墟に幽閉される日なんじゃ……?


「やっぱり」


 青井が初めて見る顔で、にっこりと笑う。


「やっぱり、皐月様も転生者ですか」

「……は?」

「いや、この世界、温泉って概念ないんですよ。気づきませんでした?」

「そうなの!?」


 思わず身体を乗り出して、紅茶をこぼしかける。

 青井は肩を丸めてその場にしゃがみこんだ。膝に頬杖をついてこちらを見上げる顔は、いつもより幼く見える。でも、丁寧にカップを取りあげてサイドテーブルに置く様は、板についた青井弥生の仕草だった。


「いやあ……ギリギリまでほんとうに賭けだったなあ……皐月様うますぎません? 出会った当初の「解釈違い」って叫びがなければそもそも疑ってなかったですよ」

「いやそれでよく転生者確定にならなかったね?」

「ああ、あのときまだ前世の記憶なくて。思い出したあとにもしかしてとは思ったんですが、あのとき皐月様倒れたじゃないですか。なんか倒れる前の奇声がそう聞こえたように思ってるだけかなって。私、思い出したの出会って二年後の、皐月様と殿下の婚約決まったときなんですよ」

「青井もしかして文推し?」

「あ、違います違います、殿下っていうのは私のフォロワーさんがそう呼んでたので……私このゲームのことフォロワーさんから受動喫煙したネタでしか知らないんですよ」

「あ、だから婚約のこと聞いたとき「フォロワー!?」って叫んで倒れたのか……」

「皐月様もそれで気づかないのなかなかですよ」

「いや、私皐月様のこと以外あんま気にならないから……」


 青井は目を開いてぴたりと止まってから、小さく息を吹いて笑った。身体のどこにも力の入っていない笑顔だった。


 確かに……考えてみれば数年前、青井も「フォロワー!?」と叫んで倒れて高熱を出した。護衛として戻ってきたのは数日後だったので、おそらく三日三晩うなされたんだろう。身に覚えがありすぎる。

 皐月様の生き様とストーリーの進行についてずっと考えていたので、正直青井が叫んで倒れて高熱を出したことより、私が皐月様になったことで生じた世界のズレでまさか攻略キャラクターが死んだりしないよね? ということのほうが心配だった。ごめん青井。


 申し訳なさに頭を低くして青井と目線をあわせる。青井は頬杖にのせた顔で音がしそうなほどにこりと笑った。普段は属性てんこもり男装の麗人付き人お姉さんという感じだけど、こうしていると年相応のかわいい女の子だ。


「あ、てことは、攻略キャラクターの青井が女の子なのは中身の転生者が女の子だからとかなんかそういう?」

「え? いや違いますよ、この世界が……」


 ノックの音。

 青井が大きく目を開いた幼い顔のまま止まる。


「皐月お嬢様、失礼してもよろしいでしょうか?」


 護衛メインの青井とは別に、着替えなど私の身の回りの世話をしてくれているメイドの声がする。青井はすぐに立ち上がり、青井弥生の顔になる。


「ええ、構わないわ、入って」


 声をまっすぐ響かせると、よく知ったメイドが一礼して入室する。


「皐月様、御学友の朱雀神無様がいらっしゃっていますがお通しいたしますか?」


 思わず見た青井の目から光が消えた。

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