3

「通していただいてありがとうございます、皐月様」

「私はあなたのために通したわけではないわ。急な訪問は褒められたものではなくてよ、朱雀さん」


 対面のソファに腰かけた朱雀神無は、苦言なんて聞こえていないかのようにニコニコと笑っている。

 春には戸惑った様子を見せていたというのに、今ではこの態度だ。中身がヒロイン本人か、転生者なのかはわからないけれど、実際にやられて気持ちのいいものではない。


 あんなに強く同席を申し出ていた青井には申し訳ないけれど、徹底的に人払いをしてよかったかもしれない。

 皐月様の身として声を荒げたりはしないつもりだけど、誰かがここでの会話をなにかの証拠に仕立てあげたりするかもしれない。皐月様の名誉はぜったい守る。

 そもそもこんな皐月様訪問なんて素敵ご褒美イベント、ゲームプレイ中にこなしたことない。あったらここだけずっとやっている。見かけたイベントからルートを推測してはいたけれど、もうこうなっては誰の何のルートに入ってるのか謎だ。明日自害する予定はあるけれど、死後汚名を着せられるような、皐月様の名誉を貶められるような可能性は排除しておかないと。


「ごめんなさい。今日は皐月様にどうしてもお話ししたいことがあって」

「文さんとのことかしら」

「文……? あ、新橋さんですか?」

「いまさら白々しいわよ」

「いえ、新橋さんは関係がないわけではないですけど……皐月様と私の話です」


 初めて目があった気がする。


 新橋さん。そう言った。確かに攻略キャラクターの中で新橋文はガードが固いほうだけど、秋には名前呼びになってるはず。

 やっぱり新橋文ルートじゃない? それともゲームほどサクサク進まずに、単純にイベントが後ろにズレこんでいるんだろうか。そうなると、存在しないイベントが発生していてもおかしくない、かもしれない。


 朱雀神無は、可愛らしく頬を赤く染めている。それがアルビノの白い肌によく映えていて、逆に作られているようだった。言葉のないまま十秒見つめあって、朱雀神無はうわ言のように「皐月様」と声に出す。

 あれ、そういえば。


 なんで私を様付けで呼んでいるんだ?


「皐月様、私のこと嫌いですか?」


 赤い瞳が引き絞られて、三日月形になる。それでもはっきりと存在を主張する二重とぷっくりと膨らんだ涙袋が、どうにも釣りあっていない。


 数秒前にヒロインから見て私と同じくらいの立場である新橋文のことを「新橋さん」と呼んだ。皐月様に貴族だとかそんな設定はない。一応、青井やゲームのファン、学園の後輩たちが尊敬の意味を込めてそう呼ぶことはあるけど、作中でヒロインが皐月様と呼んでいる描写はなかった。


「私のこと、嫌いですよね? 皐月様」


 催促する声は、親に満点のテストを見せる子供のそれだった。なにが。腹の底から、熱くて重たい衝動がわきあがってきて、そのまま口が開く。


「朱雀さん、いいかしら。なにを思ってあなたがそう判断したのかには触れなくてよ。私が伝えたいことは、立場のある人間は好き嫌いで物事は考えない。それだけ」

「では損得で考えていますか?」

「……いいえ、自分の尊厳よ」

「尊厳」

「ええ、尊厳よ。尊厳を守るために学び、力をつけ、指揮する。尊厳に責任と力をもって取り組むことで、人は価値を見いだしてついてくる。自身の好き嫌いなんて些末な話よ。この世を、人間を測るにおいて、あまりにも曖昧な定規だわ」

「では、皐月様は私のことを嫌いではないんですね?」

「堂々巡りね」

「そうですよね、私、不思議だったんです、皐月様が非難ではなく私のためになるような苦言を呈してくることが。

 私のこと、冷たい目で追ってくるのに」


 朱雀神無が、ソファから身を乗りだした。


「私のことが嫌いですよね? 私のことを冷たい目で追っていますよね? 私が現れたときからずっと。あなただけ、あなただけは私情で私を見ていた。冷たい目が雄弁に語るのに、言葉はいつも私のための苦言。私の価値を上げるためのもの。でも目は私の価値でなく、私のことを見てくれてた。あなたの尊厳で言葉も態度も繕えても、目だけは隠せてなかった。皐月様。皐月様、あなただけ。あなただけだったんです。あなたも私だけ、冷たい目で見ている。あなたも私だけ。あなただけ、あなただけはこれからも私のことだけ見ていればいい。

 だから、あなたを英雄に仕立てあげます」


 大きく開かれた目はまばたきせず、口だけが必要なだけ動く。その様を、見ていた。


 青井、連れてくればよかったかも。


 ごめん青井、私こんなルート知らない。受動喫煙でなにか聞かなかった? さっきこの世界が、のあとなんて言おうとしたの? もしかして私今日殺される感じ?


「ずっと退屈だったんです。目標もなくて、彷徨って。なんとなく、面白いことないかなと思って入学しました。センセイたちの頭イジるの、壊さないでやる調整が難しくて、結局、突然の転入生なんていうわざとらしい名目でしか入れなかったけど……そのせいかな、いろんな人間につけいりやすかった。つまらなくて、ここも壊しちゃおうかと思ったんですけど、そのときにあなたの目に気づいたんです」


 頭が痛くなって、呼吸をしてなかったことに気づく。


「この人なんだって……皐月様と出会うためにきたんだって。目標をもって生きるって、すばらしいことなんですね。皐月様に教えていただいたんです。本当にありがとうございます。あなたにふさわしくあるために、生まれて初めて魔力が増やせないかいろいろやりました。魔力なんて、勝手に湧き出るものだと思ってたから、すごく苦労したんです。でも、わかりますかね? 今はあなたよりも私のほうが魔力が強い」


 まばたきをしていないのに、朱雀神無の目が乾く様子はない。


「あなたの周りの人間ども、あなたよりずっと魔力が弱い。これも壊さずにやるの難しかったけど、触って魔力を流したら、その抵抗でだいたいの魔力量がわかるんです……あの婚約者、私より弱いくせして皐月様の婚約者を名乗ってる。ああ、まあ、周りにいろいろ聞いたので、魔力量、家格、両方考えてまあ、まあ、他に適任がいないのはわかりました。そもそも私が皐月様の子を産めたらよかったんですが……そういう機能はないんですよね。研究員たちはみんな殺してしまったので今から機能を足すことはできなくて」

「研究員……?」

「あ、独り言です」


 独り言にしては恐ろしすぎる。機能とか殺すとか聞こえたんだけど。

 なんだかんだこのゲームで具体的に魔力を使って戦うだのなんだのという描写はない。人間関係はギスギスするが、世界は平和である。キャラクター攻略のために好感度と魔力含めたパラメーターを上げる必要があるからレベリングはするけれど、そんな物騒な単語が出てくるはずはない。


「ああ、こんなどうでもいい話ばっかりごめんなさい。私、今は皐月様とあの婚約者の結婚について理解ができてるんです。常磐財閥と新橋グループの協定、および新しい魔力源確保。皐月様の付き人が言ってたこと覚えました。魔力の高い者同士、皐月様とあの婚約者が責任を持って魔力の高い世代を作っていこうとしているのも理解しました。皐月様が尊厳をもってその役目を貫こうとしていることもわかりました。だから私のたてた目標は間違ってなかったんです」


 そこで初めて、朱雀神無は目を閉じた。

 そして、年相応の、バラ庭園で見た、無邪気な笑顔を浮かべる。


「今までの交配では成しえなかったほどの次世代での魔力量の増加、今までの人類からは得られなかった新しい世代の台頭。それをあなたは成し遂げる。魔力国家の新しい国母となる。あなたを英雄に仕立てあげる」


 朱雀神無の顔は、無邪気だ。


「今日はそれを伝えたくて」

「……朱雀さん、一つお教えいただいても?」

「はい、皐月様の質問だったらなんでも答えます」

「……あなた、お好きな温泉は?」

「オンセ……? ごめんなさい、私、聞いたことなくて……オンセンというのはなんですか?」

「そう……ならいいの……」


 この世界、本当に温泉ないんだ。

 唇の内側を噛んで、ため息をとどめる。かしげた首につられて揺れる髪は、何色でも塗りつぶしそうな白だった。




「え、皐月様が最推しなのにあのエイプリルフール企画派生の小説読んでないんですか?」

「いや皐月様が主人公の企画なのは嬉しいんだけどエイプリルフールだからといって他の登場人物が本編とかなり違って皐月様にめちゃくちゃすり寄ってくるのがまずちょっと違うっていうかそれを攻略する皐月様を見るのがつらすぎるというかそもそも主人公が皐月様だから皐月様視点なのはわかるんだけど読者として皐月様の脳内を覗くの控えめに言って不敬すぎて死罪だしまあこれで皐月様が幸せになるとかはほんと大歓迎なんだけど皐月様は気高いのがポイントなのであって攻略キャラクターたちにチヤホヤされたいとかそういうのとは違」

「オッケー、わかりました、解釈違いでチェックしてないってことですね、そこら辺で大丈夫です」


 青井は戻ってきた私の脈を確認した後、すぐにソファに座らせ、人払いをした。いい温度の紅茶まで出してくれて、優秀な付き人だ。一気飲みした。

 先ほどと同じようにしゃがみこんだ青井に、隣に座ることを提案する。けれど、笑顔で流されてしまった。仕方ないのでそのまま話を続けてもらう。


「じゃあ知らないですよね、ヒロインの設定」

「そうね、存じ上げないわ」

「そっかそれで……通りで原作履修済転生者なのにあのルート入っちゃってるわけだ……」


 青井は一人で何度も頷く。眉間にしわを寄せながら、不憫そうに眉をさげるおまけつきで。


「誰のルート入ってるの?」

「……誰のというか……正直二次元ならこういうの性癖の人たくさんいるけど現実だったら一番入らないほうがいいルート入ってますよ、倫理的に」

「マジ?」

「皐月様の顔で「マジ?」って言われるのおもしろいな……」


 歴代一人気と言われるゲーム発売三周年時のエイプリルフール企画は、常磐皐月様が主人公の、朱雀神無と攻略キャラクターたち、あわせて六人に迫られる新作が出るという内容だった。エイプリルフール当日に告知の一枚絵と、開発中と称して一分間の映像があげられた。

 正直、皐月様ファンの間ではこの時点で評価が真っ二つで、私のような解釈違い派閥は、関係する言葉はすべてミュートワードにぶちこみ、信頼するフォロワーだけのリストを作って避難していた。


 というのにこのエイプリルフール企画が歴代で一番人気だったのは、ヒロインや攻略キャラクターたちを推しとしている人たちに人気だったからだ。


 エイプリルフール企画とは言え、告知映像の新規絵が凝っていたし、それぞれこの世界でのキャラクタープロフィールも公開されていた。私は当時一度だけ目を通して記憶から消したので何も覚えていない。

 当時、公式の供給はそれだけだったけど、ファンの二次創作が四月を過ぎて、五月を過ぎて、夏も秋も冬も過ぎて、次のエイプリルフールになってまでも投稿サイトにアップされ続けていたので、伝説となった。

 それを公式がおもしろがって出したのが、派生の小説。私は読んでいない。……マジでこれ以外の公式にはすべて手を出したのに、なんで転生するとなったら唯一見てない世界になるんだ。


「それでこの世界の主人公……朱雀神無なんですけど、……えーと、私、フォロワーがこのエイプリルフール企画好きでオフ会のとき宗教勧誘としか思えない勢いでファミレスの端の席に座らせられて料理全部奢りで聞かされた話なんでどこまで原作でどこからフォロワーの妄言かわからないんですが……この世界の主人公はマジでヤバい人体実験の果てに生まれた魔力クソ高個体で、その過程で色素とか抜けてるんですよ」

「あ、だからアルビノ……」

「そうですそうです、もともとそこら辺の団地に住んでる普通の子供だった朱雀神無が、研究員に攫われたのが発端で。そのときは原作ゲーム通りの茶髪で、かわいいこと以外は普通の女の子だったらしいです。身体が頑丈だったようで自我をなくすほど繰り返される人体実験にも生き残り、その結果研究員たちの想定以上に強くなっちゃいまして、朱雀神無が手におえなくなったもんだから自分の命かわいさに媚びへつらうようになって……朱雀神無も最初は研究員たちに犬のマネさせたり自分がされた実験の真似事をして内臓ダメにさせたりして遊んでたんですけど、そのうち研究員で遊ぶのに飽きちゃったんで皆殺しにして研究所潰した後、一般人を演じてこの学園に潜り込んだんですよ」

「えぇ……怖……」

「あ、皆殺しにする前からときどき見せしめとか暇つぶしとかで研究員殺してたらしいですよ」

「いやなんでもっと怖い話するの?」


 なぜか青井が目を伏せて頷く。


 ──センセイたちの頭イジる。

 ──ここも壊しちゃおうか。

 ──研究員たちはみんな殺してしまった。


 確かに言ってたな、怖いこと。

 朱雀神無の発言と青井の話が繋がってくる。繋がらないでほしかった。


「まあそんなんなので、自分に並び立つほど高い魔力を持った皐月様に冷たくされると「この人だけは違うんだ!」って認識して一生つきまとってくるらしいです。気をつけたほうがいいですよ、なんかあの手この手で皐月様をこう……改造? して、皐月様の自我そのままに存在だけ歪めて自分側にしようとするらしいんで」

「それもっと早く言えなかった?」

「いや、皐月様、私が冷たくするのやめたほうがいいって意見しても聞かなかったじゃないですか」

「嘘、私が原作準拠なばっかりに……?」

「まあそうなりますね、たいへんお気の毒ですが……」


 ときどき青井が意見してくるの、攻略されてたからじゃなくて親切心だったんだ……

 でもヒロインに冷たくしてヒロインのルートに入るなら、本物の皐月様はこのルートにしか入らないだろう。あとはどれかしら、改造されるよりマシなエンドに向かうしかない。


「青井、私が何かされる前にこう……倒す……みたいなことできない? ヒロインを……」

「うーん、主人公強いですからね……そこから先に関してフォロワーさんからは皐月様籠絡の様がよすぎるみたいな話しか聞いてないんですよ」

「性癖のねじ曲がったフォロワーめ……」

「あ、でも、どうにかする方法、あったかも……」

「え、そうなの!?」


 思わず乗りだして青井に顔を近づける。

 青井は申し訳なさそうに目をそらして、肩をすくめた。


「トゥルーかなんかだと倒すってことは覚えてるんですけど……すみません、過程はそこまで詳しく覚えてなくて……」

「あっ……まあそうよね……受動喫煙なのにここまで覚えてくれているだけありがたいわ……ごめんなさい」

「いえ、いいんです。……うーん、そうだな……私、皐月様と一緒にいる間に前世のことけっこう思い出したんですよ」

「そうなの?」

「ええ。だから、私と一緒にいてくれませんか? 皐月様」

「ええもちろん、私だって改造とかされたくないわ」

「そうですよね、ではまず明日の自害を取りやめていただいてもよろしいですか?」


 青井と目があった。

 深い紺色の瞳に、中途半端な姿勢で止まった私が映っている。


「……知ってたの」

「知ってたというか……明日だとは知りませんでしたけど、自害ルートあるって知ってたら他の家に紹介って話で察しますよ。ああそうだ、そちらも撤回していただいてよろしいですかね?」

「ええ、まあ、そうね、事情も変わったことだし、正直青井がいてくれたほうが心強いわ」


 青井が立ちあがった。逆光で、表情は見えづらい。


「そうですよね。じゃあ約束しましょう」

「約束?」

「ええ、おまじないですよ、簡単な」


 小指をたてた右手を差しだされる。ああ、そういう。同じように右の小指を差しだすと、青井の長い指に絡まれて、指切りの歌が歌われた。


「あれ? 青井、今魔法……」

「おまじないですよ」


 小指が抜けていく。絡ませていた小指の根元がほんの少しだけ、でもしっかり、青井の魔力を帯びている。


「私たち、ずっと一緒ですね、皐月様」


 そういえば私、何ルートに入ったのか聞けてない。


 青井がソファに、私の隣に腰かけた。甘い甘い、紅茶の香りが漂っていた。

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