10-3.


          *



 傾きかけた陽の光が、昼の終わりを匂わせる、空港のロビー。

 離陸準備に入った飛行機の機体が、滑らかに視界を横切っていくのが見える。

 

 搭乗手続きを促すアナウンス、スーツケースが地面を転がる音、行き交う人々の会話の声。

 開けた空間に、さまざまな音が響いては消える。


 

「一旦、ボス・ヴェントーラへ報告しにいくのは仕方ないとして、次こそオーロラを見に行きません?」

 みちるは空港ロビーのベンチで、肩掛けにしたトートバッグの中身をスーツケースに入れ替えながら、隣の席に座る梟へ言う。

 

「鯛茶漬けと出汁巻き玉子が食べたい」

 梟はみちるの提案をあっさり断る。

 梟は、脂っこい味付けが苦手で、故郷の料理よりも和食を好んでいる。

 

「あと半年ぐらいで、また日本行くじゃないですか」

 みちるの育て親の墓参りのために、年一度は日本へ行く。

 みちるは、その一度で十分だと思っている節があるのだが、

「それまでが長い」

 梟はそうではない。


「オーロラが見られる場所には、一度も行ったことないですよ」

 スーツケースを閉じ、ロックを掛けたみちるは、なおも食い下がる。

 

「旅費だの外食代だの、こちらの財布から出しているんだが」

 じろり、と梟の苛立ちの混ざった眼が、みちるへ向く。

 

「……"クソが"」

 梟の母国語で、みちるは聞こえるか聞こえないかの声量で言う。

 

「お前、少しは口のきき方をわきまええろ」

 眉を寄せた梟は、芝居がかった溜め息を漏らす。


「さっき、アニエロとどんな話を?」

 アニエロと何か大事な話をしたのだろう、とみちるは勘づいていた。

 梟は一瞬、息を呑んだが、すぐに平静を取り戻す。

 

「つまらない話だ」

「そうですか」

 みちるは、はぐらかした梟の回答に突っ込んで聞いてこなかった。

 余計な詮索をしないのは、みちるの長所だ。梟は内心でそう評価している。

 

「これを渡しておく」

 だからこそ、渡す気になった。

 梟は胸ポケットから、USBメモリを取り出し、みちるへ差し出す。

 

「……大事なものですか?」

 みちるは、手にしたUSBメモリをじっくり観察している。

 

「大事だ」

 梟はそうとしか、答えられない。

 

「見たければ見ればいい」

 このUSBメモリを渡した以上、みちるは、どこかのタイミングで、そのデータを見るだろう。

 中身を見ることに対して、妙な罪悪感を持たれる前に、見ていいものだと、梟は伝えておく。

 

「……機会があれば」

 みちるは、見ないとも見るとも断言しない。少し狡い返答だった。

 梟は「やっぱりな」とでも言いたげに、口元をわずかに緩める。


 搭乗手続き開始のアナウンスが、聞こえてくる。

 それを合図に、梟は手前に置いた自身のスーツケースを手にして、腰を上げる。

 

「しかし、今回はボス・ヴェントーラの掌で踊らされたな」

 同じくスーツケース片手に隣を歩くみちるへ、梟は呟くように言う。

 

「ただの金塊運びにしては、報酬が良すぎるとは思いましたけど、まさかこうなるとは」

 みちるは苦笑いを浮かべ、空港の床を足早にあるく。


「そもそも、ボス・ヴェントーラからの依頼は、金塊運びのついでにアニエロの様子を見てきてほしい、でしたよね」

 様子を見る、というのは言葉通りとは限らず、アニエロがあの歓楽街でどれだけの勢力を持っているのか、といった部分の調査も言外に含んでいた。

 

「下準備はそれなりに済んでいるのに、いまだにアニエロが事を起こさないから、業を煮やしたんだろうな」

 アニエロは、『殿下』の支配をひっくり返すために種まきをしている、と言っていた。

 そのは、ボス・ヴェントーラからすれば、十分に思えていたのだ。

 

「『殿下』が弱り切ってから反旗を翻そうとしていたのは、ある意味、正解なんですけどね」

 みちるは、アニエロのやり方を理解していた。

 

「だがボス・ヴェントーラは、トラブルのたびに解決金を払い続けるのがしゃくだった」

 梟の言う通り、アニエロが『殿下』と衝突するたび、金を払うのは費用対効果が悪すぎたのだ。


「……私たちにアニエロの様子を調べさせたら、何か起こるんじゃないか、と思われていた?」

 みちるは少し首を傾げている。突拍子もない意見だと感じているのはたしかだ。

 

「さぁ? だが、俺たちがアニエロの前に現れた時点で、ボス・ヴェントーラは何か指示を出していたのかもしれない」

 梟はロビーの端で立ち止まる。みちるも、それにならって梟の隣に寄る。

 

「もしくは、最小限の人数で、ある程度の戦力になる人間をアニエロへ寄越したつもりだったのかもしれない」

 梟が話している間、みちるはボトムスのポケットに手を入れ、何かを取り出そうとしている。

 

「……それは、聞いてみないとわからないですけどね」

 みちるは、掌にチョコレートを乗せて、梟へ差し出す。

 梟は黙って、そのチョコレートを取った。


「少なくとも、私たちがここまで徹底的にやるとは、思ってなかったでしょうね」

 みちるは、悪巧みを思いついた子供のように笑う。


「思えば『殿下』は、喧嘩を売る相手を間違えたのが、運の尽きだったな」

 煙草が吸えない口寂しさを紛らわせるように、梟は、渡されたチョコレートの包装を剥き始める。

 

「じゃあ、この件がどこまで仕組まれていたのか、ボス・ヴェントーラにこれから聞きに行きましょう」

 みちるはそう言って、勝気な笑みを見せて、スーツケースを転がして進む。

 梟は、チョコレートを口に放り込み、スーツケースを手に取ると、搭乗手続きへ向かった。



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