10-4.
*
みちると梟が、この街を離れた後の夜。街が活気付く時間帯。
アニエロの部屋に入ってくる光の正体は、ネオンサイン、看板のライト。
窓を閉めていても、男たちの血気盛んな声や、女たちの嬌声がどこからともなく聞こえる。
街の喧騒に慣れすぎて、アニエロはもはや何とも思わない。
『殿下』がいなくなっても、日常は続いている。
梟とみちるが暴れ回った場所の修繕は、まだまだ終わっていない。
だが、それ以外の場所はいつも通りの夜を迎えている。
アンゲリカは、夜は店の女たちの家に泊まらせていた。
女たちの家に、ドーベルマンは連れていけないので、夜はアニエロがドーベルマンの世話をしている。
そして今、ドーベルマンは奥の部屋で、小さな寝息をかいている。
デスクの椅子に座っているアニエロは、スマートフォンを耳に当てている。
暗い部屋の中、その明かりだけが強烈な光を放っていた。
「ボスは趣味が悪いですよ」
アニエロは鼻で笑いながら言う。
「もう少し時間をかければ、私だけの力で『殿下』を潰せたんですけどね。『殿下』の勢力が弱るのは、もう間近だったんで」
スマートフォンを持っていない方の手は、デスクの表面を指で叩いている。規則的なリズムで。
「もう少し、私を信用してほしかった、というのが本音」
この言葉を言う時だけ、アニエロの指先のリズムは乱れて早くなる。
「……とはいえ、だいぶ手間が省けたのは事実ですから、感謝してます」
電話の相手先の言葉を聞き終わってから、アニエロは指先のリズムを元に戻す。
「あの二人は、ボスが仰っていたより有能でした」
金塊運び役として派遣された、あの二人。
武器商人の親の手伝いをしていたことから、裏社会の人間とコネクションがある、みちるという日本人。
ボス
人当たりの良さで誤魔化されてしまうが、常にこちらを観察しているから、油断ならない。
凄腕の狙撃手と言われているものの、実態が謎に包まれている、梟。リエハラシアの元特殊部隊の男。
今回、狙撃手としての側面を見られなかったのは残念だった。
だが、戦争時に大量殺人をこなした冷徹ぶりを裏付けるような一面は、見られた。
「最適の人選だったのは、間違いないです」
二人のことを思い浮かべたアニエロは、口元を笑う形に歪める。が、青い瞳は冷たく、笑っていない。
すると、電話の向こうの相手は、何かを話し始める。アニエロはそのタイミングで、部屋をぐるりと見渡した。
この行為に意味はない。
アニエロの電話の相手は、喋り始めると話が長い。
こうやって注意を逸らさないと、この長い時間を耐えられないのだ。
やっと電話の相手の話が終わった頃には、アニエロはソファに横になって、眠りかけていたタイミングだった。
慌てて相槌を打ち、眠そうな声にならないように起き上がり、咳払いをした。
「……あの、今回、ボスの観察眼が鋭いなと思った点があったんですけど」
ボスから、今までしていた話の感想を求められる前に、アニエロは強引に話を変えにいく。
「あの男が血相変えて、女を介抱しに行ったのを見た時に、思ったんですよね」
アニエロは少し焦点の怪しい眼で、その時のことを思い出していた。
『殿下』の屋敷の庭で、倒れたみちるを見つけた梟は、普段では考えられないほど雑に、気配を消すのも忘れて、駆けて行った。
らしくない、とその背中を見て思った。
「ボスが言う通り、あの男を動かしているのは女の方だ、って」
話し始めたものの、一度訪れた眠気はなかなか離れてくれず、どこか言葉足らずな表現になってしまう。
「クルネキシアの生き残りが、『リエハラシアの梟』について情報収集しているのもわかったんで。……まぁ、それが何を意味するか、俺にはわかりませんけど」
アニエロは、眠気で働かない頭のまま、知り得た話をボスに伝える。
「次会うことがあったら、間違いなく厄介ごとでしょうね」
あの二人にもう一度会う機会があれば、その時はきっと、厄介なトラブルを持ってくる。もしくは、起こしにくる。――そんな、確かな予感がある。
「次があるか、わかりませんけど」
それまで、あの二人が生きていれば、の話かもしれない。
電話の向こうのボスは、何か言い淀んでいるようだった。
だが、アニエロは眠気も相まって、ボスの言葉を待つ気分になれなかった。
「それでは、また」
電話を切ると、テーブルの上に置いた機関銃へ手を伸ばし、抱え込む。
――道化を演じるのは楽だが、本性を出すタイミングを逃すと、道化のままだ。
アニエロは心の中で、そう自嘲して瞳を閉じた。
ソファに横たわらせた体を、何度か身じろぎさせる。
意識が闇へ吸い込まれるように、アニエロは眠りに落ちた。
何かの気配で、アニエロは目を覚ます。
視界に入る世界は、まだ薄暗い。日の出がもうすぐ訪れそうな時間。
街の喧騒は、微かに誰かが大声を上げているのが聞こえるくらいで、静かと言って良かった。
少し荒い息遣いと、ペタペタという足音で、自分を起こしたのが誰なのか、アニエロは察する。
ドーベルマンがソファの周りをぐるぐると回っていた。
アニエロには、犬の感情など読み取れないが、今このドーベルマンは、どこか困っているように見えた。
「どうした?」
アニエロがドーベルマンに話しかけると、ドーベルマンは一瞬動きを止めた。耳がピクリと動く。
そしてゆっくりとアニエロへ近づいたと思えば、ソファの足元に伏せた。
頭をアニエロの顔の方へ向けるようにして。
もしかすると、このドーベルマンなりの、歩み寄りなのかもしれない、とアニエロは寝ぼけた頭で思う。
機関銃をテーブルに置き、アニエロはドーベルマンの頭を慎重に撫でた。
「これから、仲良くやろうな」
その言葉に、ドーベルマンは顔を上げ、じっとアニエロを見た。
<了>
朽ちた街のランナウェイ-They are both runaways and avengers- 卯月 朔々 @udukisakusaku
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