10. You reap what you sow

10-1.


         *


 殿下がいなくなって、二日経った日の昼。


 歓楽街の片隅にあるビル、その一階はガラスが割れ、壁には所狭しと弾痕が残っている。場所によっては、柱が抉れてもいた。

 その一階を修繕するために呼ばれた業者や工事の人間が、何度も出入りしている。

 

 そのビルの、えた臭いのする階段を一階から二階へ登る人影があった。

 

 そのことを、物に溢れた部屋のソファで眠るアニエロは、まだ気づいていない。

 ここ二日、アニエロは寝る間を惜しんで事後処理に追われていた。一度横になって眠ると、三分もしないで眠ってしまう。

 

 アニエロのかすかな寝息が、部屋の静けさに溶け込んでいた。

 ソファに横たわったアニエロは、機関銃H&K HK23Eを抱き締めている。

 

 相変わらずアニエロの部屋の中は物に溢れ、動線以外の場所には荷物が乱雑に積まれている。

 そんな中でも、本棚は整然としている。そこは、アニエロが武器の隠し場所として使っているからだ。

 

 インターフォンが鳴った。


 アニエロはわずかに身じろぎしたが、重たいまぶたを持ち上げることもできない。


 代わりに、奥の部屋のドアが開く音がした。


 奥の部屋から出てきた人物と、それに寄り添うように四足歩行の影が応対へ向かう。


 アニエロは、その音を聞き取る。

 しかし、まどろみの中で、ただ薄っすらと目を開けるだけだった。




「……ミチル!」

 応対に出た人物は、来訪者の姿を見て、声が跳ね上がる。


 応対に出た人物の正体は、アンゲリカだった。

 そして来訪者は、みちる――と、梟だった。


「はい、チョコレート」

 ドアを開けたアンゲリカへ、みちるは紙の手提げ袋に山盛り詰められたチョコレートを渡す。


「……と、君は誰かな?」

 みちるはドアから顔を覗かせた、黒いドーベルマンの前に屈み、首の後ろを撫でてやる。

 ドーベルマンは大人しく、その手にされるがままだった。

 

「えっ? あんた、病院どした⁈」

 アンゲリカの背後から、寝癖のついたアニエロが現れ、ドアを全開にする。

 

「こいつ、強引に退院してきた」

 その質問に対して、みちるの背後にいた梟が無表情で返した。

 

「この子……、『殿下』の家の子で……」

 アンゲリカはドーベルマンの頭を撫でながら、みちるに説明しようとした。

 ドーベルマンはアンゲリカに撫でられ、うれしそうに尻尾を振る。

 

「こいつ、『殿下』の飼い犬だったんだけど、屋敷から先に避難させてたらしくて。こいつを預かったペットシッターが困って、俺に連絡してきたんだよ」

 アンゲリカの説明に被せるように、アニエロが口を挟んでくる。

 この犬は『殿下』が飼っていたが、飼い主がいなくなって、アニエロが引き取ることになったのだろうと、端的にわかる。

 

「こいつ、アンゲリカの言うことは聞くのに、俺の言うことはきかないんだよ」

 アニエロがドーベルマンの頭を撫でようとすると、低い唸り声を漏らした。

 

「あぁ、犬は人を見抜くって言うからね」

 みちるはアニエロを哀れそうに見た。

 

「賢い生き物だからな」

 梟もそれに追撃する。

 梟を見たドーベルマンは鼻をクンクンとさせたが、それ以上動かない。

 

「……ひどくない?」

 アニエロは、ドーベルマンから受ける、あまりの扱いの違いに眉を下げる。


「まぁ入れよ」

 アニエロは部屋に入るように促すが、

「アニエロは忙しいでしょ。私たち、お別れの挨拶にきただけだから」

 みちるは首を横に振る。

 

「え……」

 アンゲリカは、お別れという言葉に、顔を曇らせた。

 

「何時のフライト?」

 アンゲリカの表情が変わったのを見たアニエロは、梟へ尋ねる。 


「二時間後」

「なら、もうちょい時間あるだろ。座ってけ」

 アニエロは視線をアンゲリカへ遣りながら引き止める。

 

 肩を落としたアンゲリカへ、みちるは笑いかけ、こそこそと小声で話しかけた。

 少し表情が明るくなったアンゲリカは、みちると同じような声の小ささで返す。

 

「じゃあ、アンゲリカと、奥のお部屋でちょっと話してきていい?」

 みちるは部屋の中へ一歩踏み込み、そこから見える奥の部屋を指差し、アニエロへ尋ねる。

 

「いいよ」

 アニエロが答えるのが早いか、アンゲリカがドーベルマンとみちるを奥の部屋へ案内するのが早かったか。

 犬と女二人は奥の部屋へそそくさと入っていった。


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