9-4.
午後の病院は、忙しなかった。
廊下から、小走りで移動するスタッフの足音と、遠くのモニター音が聞こえる。
部屋に訪れたナースは、バイタルチェックを済ますと、二、三会話して足早に去っていく。
病室の窓から射す陽射しは、明るい。
消毒液の匂いが、少し鼻につく。
昨夜、ついに『殿下』がいなくなった、という知らせは、そろそろ街に知れ渡っている頃だろうか。
この部屋からは、ビル群の隙間から廃墟団地が見える。
梟は窓際の椅子に座り、廃墟団地の窓辺に干された、カーテンだかシーツだかわからないものを見ていた。
それから、梟はベッドに顔を向ける。
「無茶しすぎるなと、俺は言った」
梟は、腕組みをして不満げだった。
「『殿下』を仕留めるには俺一人で十分、ってサバちゃんは言ってましたよ」
みちるは、はっきりした声音で、嫌味を言う。
ベッドから上半身を起こしているみちるの顔色は、梟が『殿下』の庭で見つけた時に比べると、見違えるように良かった。
「……クソが」
梟の頬や服には、弾丸が掠って切れた箇所がいくつもある。とはいえ、無傷だ。
「摘出した弾丸、持って帰れるらしいが」
「いりません」
医師かナースから言われた話を、そのまま伝えた梟だったが、みちるに食い気味に断られる。
「アニエロは無事で?」
みちるの問いに、梟はまず一回頷く。
「あいつが何で無傷なのか、わからない」
『殿下』の屋敷突入時、ずっと前に出ていたアニエロが無傷な理由がいまだに理解できない梟は、眉間に皺を寄せている。
「運が強くていい、ってことにしましょう」
そう言って、みちるは静かに微笑んだ。
「彼はこれから、『殿下』とやり合うよりも大変な目に遭うでしょうから」
アニエロが今後直面する問題は、山のようにある。
長年、『殿下』が仕切ってきた歓楽街をまとめること。
今後、仕事にあぶれてしまうだろう、『殿下』のもとで働いていた従業員たちを、引き入れるのか、引き入れないのか。
廃墟団地の住民へ支援するのか、しないのか。
一部を取り上げただけでも、解決するには途方もない時間と金がかかりそうなものばかりだ。
「アニエロには、まだ死なれちゃ困る」
みちるは目を伏せながら、腹の上に置いた自身の指先を眺める。
「随分と上から目線だな」
梟は半ば呆れて、みちるを睨むように見た。
「サバちゃんにだけは言われたくない」
みちるはにっこり笑って、受け流した。
「明日、退院させてもらいましょう」
思いつきを口にする口調で、みちるは気楽に言う。
「正気か?」
梟は虚を突かれた顔で、聞き返す。
「肩の怪我だけですよね。なら、すぐ治りますよ」
すぐ治る、と豪語したみちるは無謀にも右肩を回して、すぐにやめた。
そして顔を俯かせ、右肩に手をやると、呻き声を漏らしている。
「だからお前はどうして……」
梟は心底呆れていた。
みちるは顔を上げると、痛みに顔を顰めながら、笑顔を作る。
「この傷が塞がったら……この剛腕で、メジャーリーガーが白目剥くような豪速球を投げてやりま」
「うるせぇよ。野球やったこともないくせに」
みちるが言い切る前に、梟は容赦なくぶった斬った。
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