8-5.

          *



 

 『殿下』の屋敷の両開きの玄関のドアを押し開ける。

 だがそこには誰もいなかった。一階には誰もいないかのような、異様な静けさがあった。

 玄関に踏み入れた梟は、初めて訪れた時に通された応接間の方を見た。開け放たれたドアから見える室内に、人影がない。

 綺麗に磨き上げられた大理石の床は、玄関から各部屋に続いている。

 吹き抜けの天井を仰いだが、影一つなかった。

 

 屋敷の外には見張りがいた。

 門を守る者もいた。

 なのに、肝心の中にいるべき『殿下』の部下たちの姿がない。

 

「留守?」

 梟の隣にいたアニエロは、周囲を見回しながら、壁際に移動する。

 指がトリガーにかかったまま、視線だけを動かし、廊下、階段を慎重に確認していた。


「いや」

 梟は構えていたアサルトライフルAK-47を吹き抜けから見える二階部分へ向ける。


 刹那——。


 一階の各部屋から、一斉に人影が現れた。同時に、階上の手すりにも人影が現れる。

 そして吹き抜けの二階にも、人影が並んでいる。

 

 ドレスコードでも決まっているのか、全員が黒いスーツを着込み、表情を変えず、そこにいた。

 整然と。均等に。規則正しく。


 その場の空気が、さっきまでとは明らかに違うものに変わる。

 静寂の正体は、待ち伏せだ。

 静かに観客席が埋まるように、同じ格好の男たちがずらりと整列している。


「歓迎はされているようだな」

 梟は鼻で笑う。

 返答するかのように、一斉に銃がこちらへと向けられた。

 

「頼んだ」

「おう!」

 梟の号令と同時に、アニエロは答える。

 アニエロは一階に現れた部下たちへ向かって走り込みながら、機関銃HK23Eで応戦する。

 梟は吹き抜けに現れた部下たちをアサルトライフルで撃ち、すぐにアニエロの背後に着く。

 アニエロの背後から狙いを定め、梟は機関銃で倒しきれなかった部下を順番に仕留めていく。

 

 一階が、しん、と静まり返った。

 弾痕のめり込んだ壁の破片が、時々床へ落ちる、かすかな音しか聞こえない。

 

 アニエロは応接間の手前にある階段を見る。

「下から上に行く時が大変なんだよな」

 アニエロは顔や腕にかすり傷を負っていたが、それ以外の負傷は見えない。

 

 物量にはそれを上回る物量をぶつければいい、と言わんばかりのアニエロのやり方で、一階は屍と建物の残骸物の山だ。

 

「まるで過去にも経験したような言い方を」

 梟は、アニエロより先に階段のステップを踏む。上階から、何かが現れる気配がないか、確認していた。

 

「あるよ。マフィアのボスの屋敷、俺一人でぶっ壊してきた」

「まさに狂犬」

 アニエロが本国にいた頃、ヴェントーラ一味ファミリーの「狂犬」と呼ばれていたのは、そこからか、と梟は思う。


 階段を上り始めてすぐ、一番上の踏み板からこちらを撃とうとしてきた部下の姿が見えた。

 梟が引き金に力をかけるが、それより先に、部下はぐらりとバランスを崩して階段を頭から滑り落ちてくる。

 首を撃たれた部下の体は、アニエロがいる段で止まる。ぴくりとも動かない。

 

 ――みちるが外から撃ったのだろう、と思った。

 

 吹き抜けが見える、二階の廊下を差し掛かった時、梟は一瞬、視線を庭の方へ遣る。倉庫の一部分が窓の端に見えた。

 

 梟は迷いなく、廊下の突き当たりにある部屋を目指す。

 そこは他の部屋と違い、ドアにガラスも嵌め込まれておらず、中からも外からも様子が窺えない。

 簡素なドアに締め切られた部屋。

 

 梟はノブに手を掛けるが、施錠されていて動かない。


「まどろっこしいな、どいて」

 アニエロは梟を退かすと、ドアに向けて機関銃を撃ち放つ。

 

「血の気が多いな」

 梟は眉間に皺を寄せる。

 穴だらけのドアは、ノブの重みに耐えきれず、ノブが音を立てて外れていった。ノブは、こてん、と床へ転がる。


「これで、押せば開く」

 アニエロは一歩下がり、梟にドアを開けさせる。


 緊張感を持って、梟は穴だらけのドアを押す。

 開いた瞬間、サブマシンガンだの機関銃だので掃射される可能性だってある。

 梟の後ろにいるアニエロが、息を呑むのが聞こえる。


 

 ゆらりと動いたドアから見えたのは、窓辺のロッキングチェアに座り、煙草をふかしている『殿下』の姿だった。

 

 焦茶の瞳は、侵入者である梟とアニエロを鋭く睨みつける。

 東欧系の彫りの深い顔立ちは、険しい顔をしているせいか、皺が深い。

 身に着けているのはバスローブ。自室でゆっくりしていた、という風貌だ。

 

 ロッキングチェアの隣に置かれた、背の低いテーブルは同じ木材の色をしている。使い込んで艶が出た、奥ゆかしい茶色。

 そのテーブルの上には、高級ブランドのロゴが入った時計と、ワインボトルとグラスが並んでいる。


 手が届くところに、銃器の一つもない。


「……なんのつもりだ」

 梟はアサルトライフルを構えたまま、『殿下』に尋ねる。


「少し、話をしないか」

 にこりともせず、『殿下』は梟をじっと見つめた。


 

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