7-5.

          *


 

 二人が歩いているのは、雑木林の中の細い道だ。その道は徐々に開けて、草木も手入れされている様子が見て取れた。

 緑の濃い匂いは徐々に薄らいでいる。


 歩いてきた道には、点々と赤い痕が滲んでいる。見逃してしまいそうな、赤い点。

 振り返れば、歩いてきた道のりを描くように、それは続いていた。


「壁の隙間に隠れていた時にやってきた部下が、まぁまぁ有能そうなヤツだったんだが」

 梟は、煙草を咥えながら話す。

 この話は、みちるが、強奪した車で、梟をピックアップする前の出来事だ。

 

「絞めて、『殿下』の居場所を吐かせた。屋敷に戻っているはずだ、と」

 絞めて。

 要するに、素直に白状しないと、もっとひどい目に遭う、と聞き出したのだろう。


「相変わらず、やることが手荒いですね」

「暴走運転する人間に言われても」

 呆れて笑うみちるに対し、梟は少しムッとした顔で返す。


「噂をすれば、見えてきましたね」

 そう言ってみちるが足を止めると、その視線の先に、一際大きな屋敷が見えていた。

 

 周りの住宅がおもちゃに見えるほどの広さ。

 白く美しい屋敷の姿は、まるでこちらを見下ろしているようだ。


 立ち止まったみちるの様子を伺うように梟が振り返ったタイミングで、みちるのスマートフォンが鳴る。

 

「あ、電話だ」

 応答のキーを押しながら言い、みちるはスマートフォンを耳に当てる。

 

「誰から」

 電話の相手が話し出す前に、梟は即座に尋ねた。

 

「アニエロ」

 みちるが早口で答えた瞬間、電話の向こうのアニエロが話し出す。

 梟はみちるのスマートフォンに顔を寄せ、漏れ聞こえる会話に耳を傾ける。

 

『あんたら、今どこにいんの?』

 その声は、いつもの軽口よりも、ほんのわずかに緊張を孕んだ声だった。

 

「まーた裏切る気だ」

 みちるは鼻で笑う。

 目的地の『殿下』の屋敷を目前にして、ここでうっかり話して、居場所をリークされたら堪ったものではない。

 

『違うって。……信用してもらえなくても仕方ねぇけど』

 アニエロは、素直に信じてもらえないのがもどかしいのか、言葉の最後は少しだけ苛立っていた。


『あんたらが『殿下』の屋敷に乗り込みに行くつもりなら……手伝うよって話』

 気まずそうに、躊躇いも含んだ声音での言葉。

 アニエロは今になって、積極的に手を貸す、と言い始めている。

 

 裏の社会も、所詮は政治。

 これを決心したのはアニエロか、アニエロのボスかは、わからない。

 どちらかが、ここで『殿下』におもねるよりも、こちらについた方がいいと踏んだのだろう。

 

「ホントかなぁ? 『殿下』に懸賞金倍額とか言われたら、すーぐ寝返りそう。……信用ならないよ」

 笑っているような声音で返したみちるだが、表情は一切笑っていない。

 『殿下』の屋敷を、感情の読めない黒い瞳がまじまじと見つめている。

 

『まぁ、なんて言うか……アンゲリカが、またチョコ食べたいって言ってるから』

 そう言ったアニエロは、次の言葉を口にする前に、深く息を吸う。

『今回は……裏切らずに、手伝ってやる』

 アニエロは慎重に、単語を区切りながら口にする。普段とは違う、真剣な声音なのが伝わってきた。

 

 アニエロの理由はもっともらしいが、どこまで真実だろうか、とみちるは唇を指で撫でながら考える。

 

「……あれ? アンゲリカって誰?」

 考えるのに集中していたみちるは、うっかり流してしまいそうになった、聞き覚えのない名前を聞き返す。

 

『ドミニクの妹。あの、タオルケットの子』

 アニエロの返事に、あぁ、とみちるは納得した声を漏らす。


「……知ってた? そのチョコ、ネットで買えるよ」

 アニエロの、チョコレートを取っ掛かりにした話を、薄く笑ったみちるは笑い飛ばす。

 

『あんたさぁ……そうやって話の流れを台無しにするなよ』

 アニエロは始末が悪そうに、舌打ちをした。

 みちるはくすくすと笑い声を漏らす。


「そういうアニエロは今どこに?」

 みちるが電話口に尋ねる。そのみちるの顔の前を、煙が掠めていく。

 みちるとアニエロの通話の音を聞き取りながら、梟は煙草に火を点けていた。

 

『店にいる。あんたらがGOサイン出してくれるなら、いつでも行ける』

「じゃ、今すぐ」

 みちるはニヤッと笑う。

 

『いや、急。ちょっと待てって』

 アニエロが慌てている間に、梟はみちるの手からスマートフォンを取り上げ、自分の耳に当てた。

 

「……応急処置ファーストエイドキットを持ってこい」

 電話口に向かって、梟はそれだけ言って電話を切った。

 アニエロが何か騒いでいた気がするが、みちるも梟も、それは聞いていないことにした。


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