6-3.

         *


 

 深夜二時過ぎ。

 アニエロは二階の事務所兼自宅のソファに座り、電話をしていた。平身低頭で、電話口に詫びを入れている。


 一階の店舗部分の損傷個所を確認し、明日も営業ができないと判断したアニエロは、その旨を本国のボス・ヴェントーラへ、連絡しているところだった。

 

 重苦しい空気で電話を切ると、ソファにスマートフォンを放り投げ、アニエロは天を仰ぐ。

 その向かい側のソファには、タオルケットに包まったアンゲリカが、じっとしている。

 

 インターフォンが鳴る。

 その音に、アンゲリカは即座にソファのテーブルの下へ隠れた。

 アニエロは拳銃ベレッタPx4を手に取り、ゆっくりとした足取りでドアスコープを覗く。

 

 そこにいたのは、黒い眼、黒髪、女。

 階段を上がってくる気配はなかった。だが、すでにこの女は、ここにいる。


 アニエロは肩を落として、深い溜め息を吐く。それから、慎重にドアを開けた。

「ねぇ、なんですんなり現れるの⁈ あんた、建前上、立てこもり犯でしょ⁈」

 建前上になっているとはいえ、人質をとって地下室に立てこもっているはずのみちるが、のんきにインターフォンを鳴らしてくる状況に、アニエロは違和感しかない。

 

「プロジェクター取ってきてって言われて」

 狼狽えるアニエロに対し、みちるはまったく気にした様子もなく、用件を伝える。

 

「梟に?」

 梟がプロジェクターを用意しろと言ったのかと思ったアニエロが尋ねるが、みちるは首を横に何度も振る。

 

「ジェシカに。大きい画面で、みんなとネトフリのドラマが見たいんだって」

 みちるが言った、「ジェシカ」というのは、アニエロの店の女たちの中でも、しっかり者の姐御肌だった。

 多少のことでは動じない肝の据わった人物なので、この状況でプロジェクターを使ってネットフリックスのコンテンツを見ようとしているのも、アニエロは納得できてしまう。

 

「あいつら、地下での生活、すごい楽しんでるじゃん……」

 今頃地下で、備蓄の食糧や飲み物を開けて、好き勝手に騒いでいるのだろう、とアニエロは想像する。そして、実際にアニエロの想像通りの絵面が、地下で繰り広げられているのだが、それはみちると梟しか知らない。

 

 みちるはアニエロの肩越しに、部屋の中にいるタオルケットの塊に声を掛けた。

「チョコ食べたー?」

 みちるの声に、アンゲリカは立ち上がった。そして一回、頷いた。

 

「今度また持ってくるからね」

 そう言ったみちるに、アンゲリカはもう一度頷く。

 

「ところで、アニエロ」

 みちるは囁くほどの小ささの声で、真剣な表情をする。

 

「ボス・ヴェントーラの荷物が届いたら、この街の中央にある、あの『殿下』の店のビル付近で私たちを見た、って情報を流して」

「その隙に?」

 みちると梟は、敢えて偽情報を流して、アニエロの店周辺の監視が緩くなったタイミングで、ここから離れるつもりらしい。

 

「まぁ、大した隙にはならないけどね」

 みちるは肩を竦めて、小声で笑う。

 街全体、行き交う人々みな、敵みたいな状態だ。ここで人目を避けられても、いずれ見つかるのは時間の問題だ。

 

わかったヴァ ベーネ

 アニエロはそう返事をして、部屋の中へ戻っていく。

 

 プロジェクターを探しているのか、何かをごそごそと探している音がする。最中、明らかに何かが割れた音がしたが、アニエロは気にせず探している。

 

 タオルケットに包まったアンゲリカが、アニエロの隣に寄り添い、プロジェクターを探すのを手伝い始めた。

 アンゲリカが手に取った箱が、探していたプロジェクターだったようで、アニエロはにっこりと笑いかけ、その箱を受け取る。

 そのやり取りを、ドアから見ていると、ただただ普通の日常が広がっているだけに思える。

 みちるはゆっくりと瞳を瞬かせた。

 

 プロジェクターの箱を手にしたアニエロが、みちるの前に戻ってくる。

「……あんたは、俺に怒ってないの?」

 プロジェクターを手渡す瞬間に、アニエロが聞いてくる。

 

「え、別に。そもそも大して信頼してなかったし」

 みちるは悪戯っぽく笑う。

 

「あんたはさぁ、さらっと傷つくことを言う……」

「アニエロだって私たちのこと、そんなに信用してないでしょ」

 わざとらしく顔をしょんぼりさせたアニエロへ、みちるは口元だけ笑って言い返す。眼は一切笑っていなかった。

 アニエロの青い眼が、みちるを睨むように見る。

 

「お互い様だよ」

 みちるはプロジェクターの箱をポンと叩いて、アニエロに背を向けて階段を下りようとする。

 その背中は余裕すら滲ませていた。

 

「その通り」

 みちるに聞こえるか、聞こえないかの声量で、アニエロは呟いた。そして、ドアを閉める。


 

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