6-2.
*
火をつけたばかりの煙草を、梟は踏んで消す。
「換気システムが弱すぎる。クソが」
換気扇のそばで、ひっそりと煙草を吸おうとしていた梟は、さっそく出鼻を挫かれていた。
「吸わなければいいじゃないですか」
床に座って、それを眺めていたみちるは、さらっと言う。
梟はみちるに向かって、苛立った表情で舌打ちをして、睨みつける。とても機嫌が悪かった。
「ところで、なんでこいつらはずっと踊っているんだ」
梟が怒り気味に指差した方向では、下着姿に近い女たちが、誰かのスマートフォンから流した音楽に合わせて陽気に踊っている。ほぼ全員が。
「踊りたいからでしょ。一緒に踊る?」
みちるは、先に乗り込んだ時にダンスを教えてもらっていたらしく、リズムに合わせて軽く踊ってみせる。
「誰が踊るか!」
そういう小さなことが、梟の神経を逆撫でしていた。
梟にとって一番苦手なもの、それは集団行動と、集団行動によって生まれる連帯感。
みんなでダンスする、というものは、その最たる例だった。
「サバちゃん、全然楽しそうじゃなーい」
女の一人が、みちるに声を荒げた梟の肩を抱いて話しかける。
「楽しくない。お前らはその名前で呼ぶな、触るな」
梟は迷惑そうに、女の腕から逃げる。それを見たみちるは、楽しそうに笑った。
「サバちゃんは、ミシェルが相手じゃないと満足しないってぇ」
梟に腕を払われた女は、みちるの首に腕を回して抱きつく。
その距離の近さに、梟は思わず眉間に皺を寄せる。
「……冗談じゃない。お前も、この状況を平然と受け入れるな」
女といちゃつくように仲良く抱き合っているみちるへ、梟は半分呆れ、半分怒りながら言う。
女は、他の仲間に呼ばれて、みちるから離れていく。
女たちは、どこからかボールを持ってきて、ルールも曖昧なまま、バレーボールらしき遊びを始めようとしていた。
「おそらく、たった一日ですよ。周りの様子を気にせず、ゆっくり楽しく過ごせるのは」
みちるは、コートの広さを決め、どちらのコートを使うか相談している女たちの姿を見ながら、ぼそりと言う。
「アニエロの動向次第じゃ、ここが地獄絵図になるかもしれない」
みちるの視線の先には、女たちのバレーボールが始まっていた。
宙を浮くボールが、女の手に弾かれて、打ち込まれる。
「彼女たちには、今は気ままに過ごしてもらう。私たちができるのは、それくらい」
みちると梟がここに立てこもっていられるのは、女たちを人質にしたからだ。
ボールが床に跳ねる音。拍手と歓声。サーブを打つ時の真剣な表情。
「地上も厄介、地下も厄介、さんざんだ」
地上と地下では、まったく違う世界が広がっている。だが、梟にとっては「厄介」の一言で片付いてしまう。
「彼女たちの半分が、廃墟団地育ち」
コートを行き来するボールの軌跡を目で追いながら、みちるは話し始める。
「親に売られた子もいれば、『殿下』の手下に勝手に連れ去られた子もいる」
ボールを落とさぬように、伸びる手。細くて白い腕。
「廃墟団地の家族のもとに戻ると、家族は彼女たちを、『殿下』のところへ送り返してしまう」
その言葉を聞きながら、梟はみちるを見る。
バレーボールの試合に顔を向けたまま、無表情で話していた。
「そのまま家に戻してしまうと、『殿下』を裏切ることになるから。だから帰れないし、帰ろうとしない」
みちるが淡々とした声音なのは、感情を出さないようにしているからだ。
「……随分と、深い話を」
みちるを先に地下室に潜入させて、梟がアニエロに飛び蹴りをするまで、三十分あったかどうかだ。
そこでここまで聞き出したのなら、相当な引き出し力だと、脳の片隅で感心していた。
「お互いの事情を話すうちに、いろいろとね」
みちるは梟に顔を向け、薄く微笑んだ。
「……仲良くなれても、救いにはならないけど」
みちるは視線を床に落とす。
ボールが跳ね、女たちから歓声が上がる。
「家へ帰れないからこそ、彼女たちの、アニエロへの信頼は篤い。……信頼というか、普段は頼りないお兄さん、みたいに見守っている感じですね」
視線を梟に向けたみちるは、ボトムスのポケットを漁り出す。
「アニエロが普段じゃない時は?」
梟はみちるに聞き返す。
みちるが次に何をしてくるか、大体察していた。
「ヴェントーラの
みちるはそう言って、チョコレートを一つ、梟へ差し出した。
「さっき対面した時、そんな感じはしなかったが」
「それはあなたが、出会い頭に飛び蹴りして、叩きのめしたからでしょ?」
「……隙を見せた方が悪い」
みちるが咎めるような口調で言うので、梟はあからさまに顔を険しくさせる。
「ボス・ヴェントーラの荷物が届いたら、どこへ向かいますか」
女たちのバレーボールは、だいぶ白熱してきていた。
その盛り上がりを見ながら、みちるは言った。
「『殿下』のところ一択だろうが。それに、どこへ向かおうと、目先の金に釣られた連中が現れる」
梟も、バレーボールの試合へ視線を向けた。
女の手に弾かれたボールが、勢いよく飛ぶ。
すかさず相手チームが拾う。歓声が上がる。
「問題はその道中ですよね」
みちるは髪を掻き上げ、少し悩んだ様子を見せる。
「別に、気にするほどのことでもない」
梟は深い溜め息をついた。
「いや、気にするでしょ」
少し引いた表情のみちるは、掌で隣にいる梟の腕を叩く。
「前線で敵陣の中へ突っ込んで行くのと比べたら、気楽なものだ」
梟はそう言うと、鼻で笑った。
「それはそう……。一言一言が重いなぁ」
みちるは反応に困って、目を閉じる。
ちょうどそのタイミングで、バレーボールの試合が決着したらしく、歓声が地下に響いた。
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