4-8.


「さあな。雑用係のガキどもの名前なんて覚えていない。覚える価値がある働きをしたなら別だが」

 そう言い放つと、『殿下』は、面倒くさそうに、はぁ、と溜め息をつく。

 

 立っている位置の関係上、みちるは『殿下』を薄っすら見下ろすようになる。

 軽蔑の色すら見える眼差しに、『殿下』は眉間に皺を寄せた。

 

「臓器を売ったのは、価値がある働きにはならない?」

 みちるの声音に、苛立ちが混ざる。

 『殿下』は何か思案するように、口元に手を遣った。

 数秒そうしてから、思い当たることがあったのか、『殿下』はパン、と音を立てて手を一回叩く。

 静まり返る個室の中、手を叩いた音はわずかに反響した。

 梟は、煙草を口から少し離し、じっと『殿下』を見た。

 

「弟の心臓に入れ替えろ、と言ったガキのことか?」

 

 それは、ヤンで間違いない。

 

 みちるの眼が、少し見開かれる。それから腰に手を当て、上半身を軽く俯かせた。

「そう」

 みちるが腰に当てた左手は、拳銃を服越しに触っている。

 それを横目で見た梟は、小さく舌打ちをする。ゆっくりと煙草を床に投げ捨て、ミリタリーブーツの底で踏み躙った。

 

「あれは、わがままで馬鹿なガキだった」

 みちるの表情が強張るのを見て、『殿下』は敢えて、その少年を悪し様に言っている。

 みちるの感情が振り切れるのを、今か今かと楽しんでいるのだ。

 

「あのガキは、弟の移植手術を工面するために、残りの臓器を売った」

 梟は、組んでいた足を解く。『殿下』はそれをちらりと見て、梟も臨戦体勢だと見抜いた。

 

「人間の臓器は、移植して終わりではない。治療費は一生ついて回るというのに」

 澱みなく滔々と、『殿下』は語る。みちるは腰に挿した拳銃に手を伸ばす。

 

「誰が、残った弟の面倒を見る?」

 みちるが拳銃を抜く前に、『殿下』が銃口を向けるのが先だった。

 みちるの手が拳銃から離れる。みちるは唇を噛み、睨みつけるしかできない。

 

「あのガキはそんなことも考えずに、臓器を差し出した」

 『殿下』の言葉に、みちるは何も持たない拳を握り締めた。

 

 みちると『殿下』の睨み合いを見ている梟は、持っている自身の拳銃P226に手を掛けるでもなく、腕組みをしている。

 

「生き残った弟は、もう売った後だ。傷物のガキなんて、大した価値もなかった」

 それを聞いたみちるの眼に、力が入る。唇はニヤリと笑う形に歪む。

 

「私、あなたのこと、すごく嫌いです」

 みちるは『殿下』に笑顔で吐き捨てる。

 

「どうだっていい。お前は早く国へ帰れ」

 怒りを露わにするみちるへ、銃口を向けたまま『殿下』は半笑いで返す。


 すると、殺伐とした空気の中、低くくぐもった笑い声が、少しずつボリュームを上げながら聞こえてくる。


 笑っているのは、『殿下』ではない。そして、みちるでもない。

 

「なるほど、よくできた商売だ」

 梟の笑い声は低く、乾いている。

 その眼差しは決して和らぐことなく、しっかりと『殿下』を見据えていた。

 

「あの兄弟の弟は、そのまま入院しているだけなら、病院のベッドを埋めるだけで、金の卵を産まない。それどころか、治療費と入院費がかかる。兄をタダ同然で働かせたところで、お前には利益が残らない」

 今まで黙っていた分を取り戻すように、梟は息つく間もない勢いで、言葉を続けた。

 

「お前は、兄の心臓を移植してから、弟を売った。売った後の弟の身の保障など、関係ないからな。責任を手放せて、まとまった金も手に入る」

 さすがの『殿下』も、突然多弁になった梟に虚を突かれた様子を見せたが、すぐに元に戻り、手にした拳銃を梟へ向けた。

 

「とても素晴らしい稼ぎ方だ。その発想は尊敬に値する」

 梟の言葉を聞きながら、『殿下』が梟へ銃口を向けたそばで、みちるは即座に拳銃を抜く。そして、その拳銃を『殿下』へ向ける。

 

「だがそれは、俺が死ぬほど嫌いな稼ぎ方だ」

 不気味に微笑みながら、梟はゆらりと立ち上がる。

 灰色の眼は、相手を押し潰す圧をかけている。

 

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