4-2.

          *

 


 歓楽街の片隅のビル。夕暮れとともに点灯した、一階の違法マッサージ店のネオンは道を照らしている。

 それを横目に、脇の階段から二階へ上がる人影が二つ。みちると梟だった。――このビルは、アニエロが住んでいるビルだ。

 みちるがインターフォンを押すと、すぐにドアが開いた。

 

「急に呼び出して悪かったな」

 アニエロは申し訳なさそうな顔で出迎える。

 

 みちると梟が、街の片隅のバーで『殿下』について調べたことを話していた時、アニエロから電話がきた。


 ――大事な話があるからきてくれ。


 少し張り詰めた声音のアニエロは、あまり詳細なことを言いたがらなかった。

 アニエロの店までそう遠くない場所にいたのもあって、二人は顔を出すことにしたのだ。

 そして今に至る。

 

「いや全然大丈夫なんだけど、どうしたの?」

 アニエロから、いつものような緩い空気ではなく、真剣なものを感じ取ったみちるは、あえて玄関先でそのまま話をする。

 

 するとアニエロは、部屋の中のソファを手で指した。その先にいるのは、タオルケットを頭から被った何かが、ソファの上で丸く縮こまっている姿だった。

 その物体が人だと気づいたのは、みちるやアニエロの会話に時折、体を揺らすのが見えたからだ。

 

「あの子。ドミニクの妹なんだと」

 アニエロが小さな声で囁く。

 

「……え? どういう経緯で?」

 みちるは目を見開いて、アニエロを見つめ返した。梟はドアから一歩下がり、人の気配を探るように、階段下を覗き込んでいる。

 

「どうやら今日、『殿下』の店に連れて行かれたみたいなんだよね。そこでまぁ……いろいろあったみたいで」

 アニエロは極力、詳細を濁しているが、伝えたいことは大体わかった。

 

「客のところから隙を見て逃げ出してきたのを、うちの店の女がたまたま見つけて、助けたんだって」

 アニエロの店にいる廃墟団地出身の女は、みな『殿下』の店から逃げ出してきた、と話していたのを思い出したみちるは、ただ頷くしかない。

 

「あの子ね、顔が綺麗で若くて未経験だから、いい値段で売られたらしくて」

「ホンットに胸糞が悪い」

 アニエロの説明に、みちるは顔を強張らせる。梟はただ黙って、階段の様子とソファの人影の様子を交互に見ている。

 

 ソファで小さく震えている塊は、話し声のたびに体を震わせている。タオルケットに包まれた全身は、小さく折り畳まれているかのようで、痛々しい。

 詳細はわからないにしても、とても良くないことが彼女の身に起こったのは、その様子から察することができた。

 

「あの子をうちの店に匿ってたら、『殿下』がブチ怒って電話してきたんだよね。『殿下』いわく、さんざん使い倒した女なら俺に寄越してやるけど、はダメなんだとさ」

 アニエロが『殿下』の名前を出す時は、表情が険しくなる。はたから聞けばひどい言葉の羅列だが、これは『殿下』が電話で言ってきた言葉をそっくりそのまま、言っているのだろう。


「えぐい。この気持ち悪さを表す語彙力がない」

 みちるはそう言って、溜め息をつく。眉間に寄る皺が、ぎゅっと深くなった。

 

「最初の客から随分怖い仕打ちされたみたいで、男見ると怯えちゃって話せなくなるんだよ。店の女に代わる代わるケアしてもらってたんだけど、みんなも仕事あるから、あんたに助けてもらいたくて」

 アニエロがみちるを呼び出した理由は、これだった。

 

「こいつと俺は、一階に降りておくからさ……その、くれぐれも」

 アニエロはドアから半身乗り出すと、梟の肩を掴み、みちるに囁いた。

 

「彼女を自暴自棄にさせないように、ってことね」

「そゆこと」

 アニエロはみちるに気楽な口調で言うが、眼は笑っていない。

 アニエロが恐れているのは、ドミニクの妹が一人になった瞬間、死に走ってしまうのではないか、という点だ。

 

わかったヴァ ベーネ

 みちるは念を入れるように、力強く頷く。

 それを見てから、アニエロは穏やかな口調で梟に世間話をして、一階へ連れて行く。ここまでの間、梟は一切口を開かず、ちらりとみちるを振り返る視線は鋭かった。

 みちるは梟の視線に軽く目を細め、手を振った。


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