4-3.
ソファに縮こまる、タオルケットの塊の向かい側に、みちるは座る。人の気配にビクッと肩を揺らした塊は、タオルケットの隙間から虚ろな眼を覗かせた。
淡い茶色の髪に、
「少し、顔を見せてもらっても?」
みちるはそう声を掛けるだけで、決して手を伸ばしたりはしなかった。
微笑んだまま、タオルケットの塊から、頭が出てくるのを気長に待っていた。
ゆっくりとタオルケットから頭を出した、眼の大きな少女の睫毛は、びっしょりと涙で濡れている。
そして、目尻や目頭は青く変色し、左眼の瞼は誰かに殴られたせいか、赤く腫れ上がっていた。
「ここに来てから、怪我の手当てはしてもらった?」
顔の怪我がこれだけあるのなら、体の怪我も相当なのではないか、と思ったみちるは尋ねる。
少女は震えながら、弱々しく首を縦に振る。
「チョコレート、食べる? このテーブルに散らばってるの、私が持ってきたやつだから、食べて」
ソファの前のテーブルには、朝、アニエロがばら撒いたチョコレートが、まだ転がっている。
朝と違うのは、この少女のために水やジュース、ドーナツと言った差し入れが並んでいることだ。
少女はチョコレートに視線を向けたが、何も言わず、首を横に振るだけだった。
「あなたは……誰」
少女はか細い、掠れた声でみちるに尋ねる。喋ると微かに動く少女の首には、細い紐で絞められた痕があった。
それを見て、みちるは一瞬、瞳を震わせる。重い溜め息が出そうになるのを、拳を握りしめて耐えた。
「私の名前は、みちる。仕事でこっちに来た日本人」
目の前にいる少女を安心させるために、みちるは作り笑いを見せた。
だが少女は、タオルケットを、また頭から被り、顔を俯かせる。
そのまま暫し、無言の時間が、ただ過ぎる。この部屋の壁掛け時計の秒針が動く音が、階下の街の喧騒に紛れて、薄っすらと聞こえる。
みちるはテーブルの上のチョコレートを一つ取り、包装を剥く。その音は、やけに甲高く響いた。
「これね、パッケージの柄ごとに味が違うから、食べ比べするのも楽しいよ」
そう言って、チョコレートを口に入れる。少女の視線が、チョコレートを見た。黄色や青、ピンクといったカラフルな包装は、テーブルの上では周りの物とは明らかに異質で、やたらと目を引く。
少女は恐る恐る、チョコレートへ手を伸ばす。タオルケットから見えた腕は、痣や擦り傷だらけで、手首は縛られた痕が鮮明に残っている。
みちるはそっと目を伏せ、少女の指先がチョコレートを取るのを視界の端で見る。
手の中のチョコレートをじっと眺めて、少女はゆっくりと包装を剥がす。包装紙がタオルケットに落ち、それから床へ零れ落ちていく。
そして少女は、チョコレートを頬張った。
「あなたが何をされたか、今、聞くつもりはない」
そう言った黒い瞳は、目の前の少女へ労るような視線を向ける。一方で、少女はタオルケットを体に巻き付け、また小さく震えだす。
「だけど、ヤンのことは、教えてくれる?」
ヤンの名前が出た瞬間、タオルケットの中から喉がひゅっと鳴る音が漏れ聞こえた。
みちるの眼が、少女を力強く見つめている。射抜くような強さ、と言ってもいいかもしれない。
「あなたが抱え込んだつらいことは、私にはどうしようもない。けど、ヤンがあなたを助けようとしたから、私もあなたを助けたいと思う」
みちるの言葉に対し、少女は何も答えなかった。すすり泣く声が聞こえてくるだけだ。
「私は、いくらでも待つから」
裏を返せば、何か言わない限りはここから動かない、と言っているようなものだ。
それをわかっているのか、いないのか、少女は顔の周りのタオルケットの隙間を広げて、みちるを見る。
怯えて震えている眼差し、唇はわずかに動こうとしている。みちるは少女を真顔でじっと見つめている。
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