4. Hit the ceiling

4-1.


「『殿下』は、前は政府の役人さんだったのよ。経済政策をやってらしてね。

 それを辞めて、この団地の支援をしてくださるの。食料の配給もあるし、病気をしたら、お医者を紹介してくれるのよ。おかげで助かる人がどれだけいるか……! 素晴らしい人よ!」

 廃墟団地の端っこ、寂れて傷んだベンチに座っていた老婆は、明るい顔でそう言った。


 一方。

「『殿下』なんて呼びたくもねぇ。あいつは俺たちをタダ同然で働かせてる。隣に住んでた家族なんて、悲惨なものだったんだぜ。

 子だくさんの家族だったんだけど、一人ひとり子供が減っていくんだ。

 女の子は売春させるために連れてって、男の子は外国に売るんだ。しまいにゃ、親も連れて行かれたよ。その後の行方は、わからねぇ」

 廃墟団地の入り口で、酒瓶片手にそう話した初老の男性もいた。


 街で聞き込みしてみると。

「いい常連さん。お金はいっぱい使ってくれるし、綺麗な遊び方する人。

 頭のいい人だから、話してると、こっちの考えてることもお見通しなんじゃないかって気になるくらいね。さすが元官僚といった感じ」

 『殿下』が時々顔を出すというクラブに勤務する女は、上品な笑みを見せて、そう答えた。


 一方。

は、官僚やってた頃から汚い商売に手を出してた。俺くらいの年代の人間なら、そのことはだいたい知ってるよ。

 売春組織を作ったのは、まだ官僚やってた頃だ。その金で、新しい事業に手をつけて成り上がったんだよ。……あいつは官僚だけやってりゃ良かったんだ」

 声を潜めるように、そっと打ち明けてきた中年の男もいた。



 


 アニエロからの反応は鈍いとはいえ、共闘する話をつけた翌日。

 みちるとサヴァンセは、廃墟団地で聞き込みをした後、歓楽街へ移動して、また聞き込みをしていた。

 そしてわかったのは、『殿下』の評価が二つに分かれるということだった。


 

 

 ここは、歓楽街で聞き込みした後、座る場所を求めて、とりあえず入ったバー。

 青を基調とした薄暗い照明に、テーブル席が四席、カウンターのみのこじんまりした店だった。

 客はカウンターに三人、テーブル席は一番奥が埋まっているだけだった。

 

 店内にかかっているのは、ジャズナンバー。

 歓楽街という場所にしては、落ち着きすぎている佇まいだ。

 

 バーのドアを開けると、カウンターの中から出てきたスタッフが、二人を出迎える。

 二人は、テーブル席に案内された。

 

 席につくなり、二人ともノンアルコールのカクテルを頼む。

 スタッフが「え?」という顔をしたので、みちるは少し、申し訳なくなる。

 梟は酒が飲めないので、それに合わせて、みちるは飲めるのだが飲まなくなった。なんとなく頼みづらいのだ。


 オーダーしたノンアルコールカクテルが届くまで、梟は無言で煙草をふかす。

 その間、みちるはスマートフォンで何かを調べている様子だった。

 

 テーブルに届いたノンアルコールカクテルには手をつけず、梟は話を切り出す。

「『殿下』について調べると、極端な評価しか出てこないな」

 

 みちるは手元のスマートフォンを、梟へ渡す。

「改めて調べると、元は財務省の官僚だったみたいです。でも、政治体制が変わる前に辞めています」

 みちるのスマートフォンを受け取った梟は、その画面に表示されているネットニュースの記事を読む。

 

 廃墟団地に巣食う独裁者、という仰々しい見出しで、廃墟団地へ潜入取材した記者が、『殿下』について書いた記事だった。

 記事の分量に比べ、拡散された回数は思っていたより少ない。

 他国の人間には、この国への関心が薄いのだろう、と見せつけられた気がした。

 

「官僚を辞めた理由は?」

 煙草を咥えたまま、梟は喋る。視線は記事を追っている。

 

「『殿下』が辞めた当時の政権が、官僚の汚職を徹底的に潰す方針だったから、ですかね。……『殿下』が何かした、とは発表されていないようですが」

 みちるはグラスの縁に飾られたレモンを指で軽く弾く。

 

「揉み消してもらう代わりに辞めたのか、後ろ暗いところがあって追求される前に逃げたのか」

 梟はテーブルへ前のめりになり、小さな声で言う。

 周りには、あまり聞かれない方がいい話だろう、と思ったからだ。

 

「真相は、闇の中」

 みちるの黒い眼は梟を見つめている。

 

「官僚を辞めてからは、建設業を始めて、今や公共事業の入札は、ほとんど『殿下』の関連企業です。『殿下』は、この国の経済界の大物。……表向きは」

「官僚を辞めた頃か、もしくはその前から、裏社会と繋がりがあった」

 『殿下』は、政治が変わりゆく中で、より効率よく支配を広げるために、見事な立ち回りをしてみせた。

 

「商才があった、と言うと言い方が良くないけど、官僚をやるより、そっちの方が向いてた」

 梟の手から、みちるのスマートフォンが返される。それを受け取る時に、みちるは口調を崩して、そう言った。

 

 途端、受け取ったスマートフォンが鳴る。


 みちるが画面を覗き込むと、表示された名前は、アニエロだった。



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