3-5.
*
お昼時の廃墟団地。
団地の中に作られた公園の遊具は、朽ちかけて、今にも崩れそうだった。
公園には二台の大型キッチンカーが停まっており、そこからいい匂いが立ち上っている。匂いにつられて、住民たちがぞろぞろと集まってきていた。
この炊き出しのキッチンカーは、平日の朝から夜まで常駐している。
決まった時間に炊き出しを始め、決まった時間に終わる。次の炊き出しが始まるまでの時間は、携わるスタッフの休憩と次の炊き出し準備に宛てられていた。
炊き出しスタッフのほとんどは若くて、和気藹々としている。顔馴染みになっているスタッフは、廃墟団地の住民とも良好にコミュニケーションを取っているようだった。
その様子を、みちるは団地の脇にある物置の陰から、そっと覗いていた。
「あのスタッフたちも『殿下』の手下ですよね?」
質問した相手は、みちるの後ろで物置に凭れて、煙草をふかしてスマートフォンの画面を見ている。
「いや、炊き出しや食料配布しているのはボランティア。募集に集まった学生に任せているみたいだな」
「詳しいですね」
梟がすぐに答えたのに驚いたみちるが、思わず梟の方を振り返る。
「それくらいは簡単に調べがついた」
そう言って、梟は「ボランティア募集! 誰かを助けることが、あなたの経験になる」という謳い文句が並ぶ、『殿下』の会社のロゴが入ったホームページの画面を見せた。
「あ、本当だ。……つまり『殿下』から給料は出ていない」
画面をスクロールして、募集内容を読んでいたみちるは、口元に少し呆れた笑みを浮かべる。
「タダで人が集まるなら、その方がいいだろうからな」
みちるがスマートフォンの画面の内容を一通り見たのを確認してから、梟はスマートフォンを胸ポケットにしまう。
そして、煙草を挟んだ指先を、炊き出しをしているスタッフの一人に向ける。
「スタッフの中に一人、歳を取っていて目つきの鋭いのがいるだろう」
梟が指した先にいるのは、若いスタッフの中で一人だけ浮いている、中年の男だった。
整えられた茶髪に、がっしりとした体格、そして目つきの鋭い緑色の瞳。男はにこりともせず、黙々と器にスープを注ぎ続けている。
炊き出しに並ぶ住民たちを一人ひとりを確認する視線は、他のボランティアのそれとは違い、殺気すら漂っていた。明らかに、異彩を放っている。
「見るからに、って感じの、わかりやすい人を置いてますよね」
みちるは、ふっ、と声を漏らして笑う。
「あの男に見つけてもらうか」
梟がそう言うと、みちるは「了解」とだけ言って、炊き出しの列へ並びに行く。その足取りはまるで気軽で、深刻さがない。
みちるが炊き出しの列に並び、スープとパンを受け取って、団地の建物内へ入ろうとした瞬間、その男は現れた。
「見かけない顔だ。それに身なりもいいし、お前、住民じゃないだろ」
黙々とスープを注いでいた、目つきの鋭い中年の男が、みちるの肩を掴んで振り向かせた。その反動で、みちるが持っていたスープの器から、中身が零れて地面に散る。
「私は……」
みちるは声を震わせ、怯えた表情を見せる。
「よくあるんだ、ジャーナリストだかが、潜入取材だって言って絡んでくることが」
男は声を荒げて、みちるの胸倉を掴む。
「取材なら『殿下』にアポを取れ。ここで勝手は許されない。じゃないと」
唾がかかるのではないか、と思うほどの勢いで、男は
「じゃないと、どうなるんです?」
みちるはにこっと笑う。
その反応に虚を突かれた男は一瞬固まる。その次の瞬間、男は背後から羽交い絞めにされた。
男は抵抗を試みたが、羽交い絞めにした腕はまったく緩まない。
動きを封じられたまま、悔しげにみちるを睨みつけた。
「怒りを向ける相手は俺だろう」
梟が低く呟く。
その腕は、男の動きを完全に封じたまま離さない。男を羽交い絞めにしているのは、梟だった。
「騒ぎにしたくないので、少し話をしましょう」
みちるはスープの器を地面に置き、その上にパンを乗せる。ゆっくりと立ち上がると、腰に挿していた
「炊き出しに並ぶ住民を毎日確認しているのは、安否確認? それとも次に
みちるが「売る」と言った瞬間、男が明らかに息を呑んだ。
「……安否確認、だよ」
答える男の緑色の目は、宛てもなく泳いでいた。
「そう、わかりました」
みちるは小さく頷く。
「ところで、人身売買はいつからやってるの?」
「知らねぇよ!」
男は怒鳴りながら身を乗り出す。だが、その動きを察知していた梟は、一瞬の隙を逃さない。腕を男の首に回し、締め上げる。
ぐっと喉を押さえ込まれた男は、息ができずにもがいた。
「お前はいつも、炊き出しの列に並ぶ廃墟団地の住民を品定めしているのか」
男が一言ずつゆっくり話す。その間にも、男の顔色が赤く変わっていく。
「クソっ……たれが!」
息も絶え絶えに、男は声を上げた。
「認めるんだな?」
梟が冷たい声音で尋ねると、男は涙目になりながら、躊躇う表情を浮かべて頷いた。
梟はそこでやっと、男から腕を放す。
男は地面に崩れるように屈み込み、震えながら、真正面にいるみちるを見上げた。
感情のない真っ黒な瞳が、真っ直ぐに男を見つめていた。
みちると目が合うと、男は避けるように目を逸らす。
みちるがそっと屈み込み、男と目線を合わせる。男は、すでにここから逃げ出したい気分だったが、堪えた。
「話を聞かせてくれて、ありがとう。乱暴なことをしてごめんなさい」
男の予想とは違い、みちるは労るような言葉をかけてきた。それに拍子抜けした男は、眼を何度も瞬かせる。
「スープは散らかしたけど、このパンは綺麗だから、住民の人に配って」
そう言って、みちるはスープの器の上に置いていたパンを差し出し、男に渡す。
さっき自分に見せてきた、好戦的な態度とはあまりに違うその姿に、男は困惑を隠せなかった。
「え、怖……」
そして出てきた言葉が、これである。
男はみちるの手から引ったくるようにしてパンを受け取ると、逃げるようにこの場から走り去っていく。
みちると梟は、何事もなかった顔で、その背中を見送った。
「この後、あの男は、私たちが動いていることを『殿下』に報告します。これでばっちり、対立することになりますね」
みちるはキッチンカーと、その周辺で忙しなく動き回るスタッフたちを眺めながら、ぼそりと言う。
「まったく、余計なことに首突っ込みやがって」
梟は煙草に火を点けながら、呆れたように呟いた。
「ごめんね」
みちるは肩を竦め、小さく笑う。
「ここまで来たら、最後まで付き合ってやるのが筋だ」
梟は煙草の灰を静かに落とし、視線をその先に向けた。
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