2-3.


          *



 都市部のホテルからは、廃墟団地が見えない。まるで、そうなるように立地を選んで建てたかのように。


 窓から見えるのは、きっちりと区画整理された街並みに並ぶビル群や幹線道路。

 平日の昼間なので、職場であるオフィスビルから、ランチのために外へ出てきた人間が、道を足早に行き交っているのが見える。


 窓際に置かれた小さなテーブルに、みちるは四角いチョコレートを何個も積んで、ピラミッドのようにしている。

「アニエロが持っていた情報は、ヤンくんが昨日、言っていた通りの内容でしたね」

 ピラミッドの頂点に、慎重な手つきでチョコレートを乗せながら、みちるは言う。

 

「それとも、ヤンが話していた以上の情報は、アニエロも把握していないのか」

 梟はベッドに仰向けで、天井を睨んでいる。喋ると、その振動で咥えている煙草から、灰が落ちていく。

 

 ――『殿下』は廃墟団地の人間を使った麻薬の密売や売春組織で儲けている、とヤンは昨日、車の中でぽつりと漏らしていた。

 似たような話をアニエロからも聞いた。それ以上の話は、出ていない。

 

「そこまでやっているなら、臓器売買に手を出していてもおかしくない」

 梟は溜め息と一緒に煙を吐く。

 

「えぐい話」

 窓の外を覗き込んだみちるは、同僚たちと笑いながら歩くランチタイムの人々の姿を、ぼんやりと眺めながら呟く。

 

「貧困層が売れるものなんて、それしかないからな」

 梟の言葉は、本当のことだからこそ、神経をヤスリで撫でてくるような時がある。

 ざらざらと感情を荒立てられる感覚がして、みちるは、通行人が歩く姿に視線を遣って気を逸らす。


「……じゃあなぜ、急にヤンくんが臓器売買、しかも弟に心臓を移植することになったのか」

 みちるは黒い瞳をゆっくり、何度も瞬かせる。

「昨日の話しぶりだと、自分がこれから臓器売買してきます、弟に心臓を移植します、なんて雰囲気は一切なかった」

 みちるの瞳に映るのは、弟が入院している病院を指差して、少し切なそうにしていた、ヤンの横顔だった。

 

「……一つ言っていいか」

 その声は、みちるの背後から聞こえる。

 みちるは勢いよく後ろを振り返ると、梟がそこにいた。

 ベッドから音もなく起き上がり、みちるが窓を見ている間に移動していたのだ。

 

 みちるは一瞬、息を呑む。後ろに立たれていたのに気づかなかったから、というのもあるが、

「この件は、調べたところで胸糞悪くなるだけだと思う。それでもまだ、調べる気か?」

 梟の灰色の眼は、とても冷たく、みちるを見下ろしていたからだ。


 みちるは、梟と視線を合わせる。黒い瞳はわずかに揺れて、唇が何か言おうと動くが、すぐに引き結ばれる。

 みちるは目を伏せ、息を吸う。それから再び、梟の眼を見る。

 直前とは打って変わって、しっかりとした光を宿した瞳は、しっかりと梟を見る。

 

「……アニエロに、少し感化されたのかもしれないです」

 みちるが口を開く。

 

「それはどういう?」

 アニエロの名前が出てきたのが意外だったらしく、梟は聞き返してくる。

 

「クソみたいな世界だけど、同じクソでもマシな方を選べるなら、その方がいい」

「曖昧な表現はやめてもらっていいか」

 みちるの言葉の真意を測りかねた梟は、少し語気を強めた。

 

「私の主観での話ですけど、『殿下』とアニエロだったら、まだアニエロの方が信用に値すると思えた」

 昨日今日会ったばかりの人間を信用できるかどうかなど、決められるわけがない。これは、みちる個人の感覚での話だ。

 

「今は腐ってなくても、人間は権力を握れば、いずれ腐敗する」

 梟はみちるの向かい側の席に座る。そして流れるような仕草で、煙草に火を点けた。

 

「……でしょうね。でも、そうなるまで私たちはここにいないし、ここを離れて以降のことは、面倒見る気もない」

 梟の指摘はもっともで、みちるに反論する術はない。『殿下』がいなくなれば、他の誰かがその後釜に座る。その誰かが今よりマシかどうかは、わからない。

 そして、みちると梟は、そこまで見届ける気がない。


「引っ掻き回すだけ引っ掻き回すのか。お前も悪趣味だな」

 頬杖をついて、不満そうにみちるを見る灰色の眼は冷たい。

 みちるはその視線に居心地の悪さを覚えながら、テーブルの上のチョコレートのピラミッドから、器用に一つだけ取る。

 

「……でも、アニエロやヤンみたいな人間が、無駄に潰されていくのを見ているのは、もっと悪趣味だと思う」

 そして、手にしたチョコレートを梟へ差し出す。

 

「おそらくは、ボス・ヴェントーラも同じように考えて、アニエロの多少のやらかしを大目に見ているんでしょうから」

「わざわざ厄介事に首を突っ込んでいくから、しょうもないな」

 みちるの手から差し出されたチョコレートを受け取った梟は、そう言って眉間に皺を寄せた。

 みちるは気まずい笑みを浮かべ、目を伏せる。

 梟が、この件の調査に気乗りしていないのは重々わかっている。


 梟は煙草を咥え、渡されたチョコレートをシャツのポケットにしまう。

 刺すような視線を感じて、みちるは視線を上げる。何か言いたげな灰色の眼が、そこにある。

 

「本気でこの件を調べるつもりなら、昨日言わなかった話をする」

 梟はぽつりと、切り出してきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る