1-8.


 


 翌日朝。

 この日は昨日と違い、雨が降っていた。空は暗く厚い雲が覆い、大粒の雨が車の窓を豪快に叩いた。

 

 昨日と同じくらいの時間帯に、廃墟となった団地エリア近くの道路に車を停め、ヤンが現れるのを待った。

 しかし、昨日ヤンが現れた時間を少し過ぎても、姿が見えなかった。

 

「……もう殿下の屋敷へ行ったのかもしれないですね」

 ワイパーの隙間から、辛うじて見える風景に視線を遣り、みちるは言う。

 隣で煙草をふかす男は、無言で車を発進させた。心なしか、表情が硬い。

 梟は『殿下』の屋敷の裏口に車をつけると、みちるは車から降りる。裏口の門からは、ガレージが覗ける。今日も、ガレージには数人が作業していた。雨音に混じって、工具の音がする。

 

「すみませーん」

 門の外から、みちるは声を張り上げ、手を大きく振る。声に気づいたガレージの作業員が、こちらを振り向いた。そして、足早にみちるがいる場所まで向かってくる。

 

「なんだ?」

 作業員は怪訝そうな顔で、門の外にいるみちるへ尋ねる。みちるは、相手に警戒されないように、ニコッと微笑んでみせる。

 

「ヤンって男の子、今日は出勤してます?」

 ヤンの所在を聞き出そうとすると、途端に作業員は目を背けた。明らかに、何か隠しているような素振りだった。

 

「……そんなヤツ、いないよ」

 そう答えた作業員の声は、かすかに震えていた。そわそわと視線を泳がせ、ガレージの方を一度振り返る。すると、ガレージで作業していた他の作業員たちは、さっと目を逸らす。

 

 作業員は、ヤンの不在を、休みという表現ではなく、「そんなヤツはいない」という言い回しで言う。その言葉に、みちるは引っ掛かりを覚える。

 

「あなた、ヤンくんと昨日一緒に仕事してましたよね? ヤンくんが昨日、何か言ってなかったですか?」

 みちるは、目を逸らしたままの作業員に詰め寄る。実際のところ、この作業員が昨日、ガレージいたかどうかなど、みちるは覚えていない。ここで作業員から話を聞き出すには、多少はったりでもいいと判断したのだ。


「知らない」

 作業員は首を横に振る。それから、また、ガレージからこちらを見ている、他の作業員たちを振り返る。すると、作業員たちは顔を俯かせてしまった。

 

「もう帰ってくれ。警備を呼ぶぞ!」

 みちるの応対に出た作業員はそう吐き捨てて、ガレージへ走って戻っていく。ガレージで作業している作業員たちの視線が、みちるを睨みつけていた。

 

「……なかなか隠し事が下手」

 みちるはガレージにいる作業員たちへ、愛想笑いを振り撒きながら、ぼそりと言う。

 


 車内に戻ってきたみちるは、髪についた雨粒を手で拭いながら、隣にいる梟へ話しかける。

「ヤンくんは、ここにも来ていません。でも、ガレージの作業員さんたちは、何か知っている風でした。……もしかすると、『殿下』が絡んでいるのかもしれないですね」

 梟はそれを聞き、煙草の煙を吐きながら、ハンドルを指で何度か叩く。考え事をしているような仕草だった。

 

「『殿下』に話を聞きに行く前に、入院中のヤンの弟とやらに聞きにいってみるか」

「え?」

 梟の提案に、みちるは少し困惑した声を上げる。

 

「ヤンは思春期の子供だ。単なる家出の可能性もある」

「うーん……先に『殿下』に聞いた方が早いと思いますけど……」

 みちるが困惑したのは、『殿下』の邸宅の前にいるのだから、ヤンの所在についてすぐに聞きに行こうと考えていたからだった。

 今からヤンの弟が入院している病院に行って、それからここへ戻るのは、いささか無駄な移動にも思えたのだ。

 

「いきなり聞きに行ったところで、仕事から逃げ出したんだろう、で流されて終わりだ。それなら、証拠を出して話をした方がいい」

 しかし、梟の意見は至極冷静で理路整然としていて、みちるはぐうの音も出ない。

 みちるが言い返してこないのを確認してから、梟は、車をゆっくり発進させる。

 フロントガラスを叩く雨粒が、ワイパーに流されるたび、視界にぼんやりとした街の景色が、現れては消えていった。



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