1-9.



 雨はずっと降り続いている。

 病院から少し離れた位置にある駐車場。そこに二人が乗ってきた車は停まっていた。外がどれだけ土砂降りだろうと、車の中は関係ない。雨音だけが聞こえる世界は、自分だけ取り残されているような気分になる。

 

 みちるは、グローブボックスに入れてあったタオルで、濡れた髪や服を拭きながら、ヤンの弟を見舞いに行った梟を待っていた。かれこれ数十分は経っているだろうか。

 

 ガレージの作業員と話したのはみちるだから、と言って梟は、病院でヤンの弟を探すのを買って出た。


 ヤンの弟、たしか名前は「オレク」だと言っていたはずだった。その記憶を頼りに、梟に病院へ行ってもらったが、自分が行くべきだったかもしれない、とみちるは思い始めていた。

 初対面の人とのコミュニケーションなら、梟よりも自分の方が得意なのだ。


 ぼんやりと不安を感じながら、フロントガラスから見える風景を見ていると、こちらに向かって歩いてくる梟の姿が確認できた。


 梟は無言で、運転席に座る。

 戻ってきた梟が少し不機嫌そうなのが、眉間の皺と視線の鋭さで見て取れた。


「はい、タオルどうぞ」

 傘もささずに外を歩いてきたので、梟の髪や体は濡れていた。

 そんな彼に、みちるは手にしていたタオルを渡す。梟は、頭にタオルを乗せ、服で指先を拭ってから煙草に手を伸ばす。

 火を点けた煙草を咥え、梟はハンドルに手を置く。その横顔が、みちるには少し疲れて見えた。

 

 梟は右手の指先に煙草を挟むと、窓の外へ視線を遣る。それから、口を開く。

「ヤンの弟、オレクは、たしかにこの病院に入院している。だが、移植手術の直後だから、面会謝絶で会えなかった」

「……移植手術? お金がない、って言ってたのに?」

 移植手術、と聞いたみちるは、少し眼を見開いた。驚いている。

 昨日、この車の中でヤンとした会話が脳裏に浮かんでいる。


 ヤンは入院費のために『殿下』のもとで働いている、と言っていた。

 それなのに、急転直下で移植手術が終わっている。そして肝心のヤンは、行方がわからなくなった。

 

「いきなりドナーが見つかって、手術が始まったのは昨日の夜。明け方に手術が終わったところだそうだ」

 梟の煙草の穂先から、灰がちらりと落ちていく。

「ヤンの弟は、もともと重い心臓病で、移植以外の治療法がない状態だったらしい」

 やたらとヤンの弟の病状に詳しいのは、おそらくだが病院内でヤンの弟の情報を不正にアクセスして得た情報なのではないか、とみちるは脳の片隅で思う。そこまでやっていたから、時間がかかったのだろう、と。

 

「……移植されたのは、心臓、ですか」

 みちるは、髪を掻き上げて、視線を宙にさまよわせる。

 重い心臓病。移植しか助かる方法がない。ならば、結論は簡単だ。

 

「嫌な予感が当たらないことを、祈りたいところだな」

 二人とも、ヤンの弟に移植されたのは、だったのではないか、と口にはしないが思っている。

 雨の音が相変わらず聞こえるが、車内は防音効果の高い密室のようなもので、お互いの声や溜め息がよく聞き取れる。

 

「……すごい嫌な顔されるのはわかってるんですけど、言っていいですか」

 みちるは、自分の鞄の中から、ヤンの工具を取り出して、それを握り締める。

 

「この件……少し、調べたいです」

 強い意志を持った黒い眼が、虚ろな灰色の眼を見る。

 

「少しだけならな」

 そう答えた梟は、煙草の火を、ドリンクホルダーに置いた空き缶へ押し付けて消す。その指先に力が入って、爪の色が白く変わっていた。




 

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