1-5.
*
大理石の床は綺麗に磨き上げられている。
質のいいソファの座面は沈み込んでしまいそうなほど、柔らかい。
天井のシャンデリアは、電気ではなく朝陽を浴びて輝いている。
目の前のテーブルは、ヴィンテージ物のようで、使い込まれた様子があったが、そのおかげで表面に独特の艶が出ている。
部屋には、独特の匂いのするお香が焚かれていた。
その香りを、みちるは気にならなかったが、サヴァンセは気になるようで、時々鼻と口を袖で覆ったりしていた。
ここは、『殿下』の邸宅の一階にある応接間だった。二人はここに通され、『殿下』が部屋から降りてくるのを待たされている。五分ほど待った時点で、サヴァンセが舌打ちするのが聞こえて、みちるはそれを目で制した。
応接間の扉が開いた。と同時に入ってきたのは、黒いドーベルマンだった。
それからゆっくりとした足取りで、体格のいい東欧系の顔立ちの中年男性が現れた。グレーのスーツが良く似合っている。
ドーベルマンは男のそばを離れず、男が二人の向かいの席に座るなり、主人の足元に寝そべった。
男は二人を順番に見て、それから顎をクイッと動かす。挨拶も何もない。
サヴァンセは舌打ちを堪えて、自分の足元にあるアタッシュケースをテーブルの上に置き、差し出した。
男はアタッシュケースの鍵を、何も見ずに開け、中身を確認する。そしてもう一度、アタッシュケースの蓋を閉める。
そして男は、二人に視線を遣る。男の瞳は冷たく、まるでこちらを値踏みするような視線だ。
「何をしている? もう帰れ」
男が二人に向かって言った、初めてにして最後の一言が、これだった。
足元のドーベルマンが起き上がり、低く喉を鳴らしながら近づいてくる。「帰れ」はこのドーベルマンをけしかける合図なのかもしれない。
「それでは」
唸るドーベルマンを一瞥もせず、サヴァンセは席を立つ。みちるは会釈をして席を立った。
「なかなか嫌な感じの金持ち」
応接間を出るなり、鋭い視線を応接間のドアへ向けたみちるは、ぼそりと言う。
「俺はむしろ、あれくらい無愛想な方が付き合いやすい」
「嘘でしょ」
サヴァンセは気にしていないようだったが、みちるはあの男の対応にだいぶ苛立っていた。
『殿下』の邸宅を出て、駐車場に辿り着いた時、『殿下』の車の整備をしているヤンや、その仲間たちの姿を見かけた。
邸宅同様、ガレージも巨大で、高級車が何台も並んでいる。
整備される高級車のボディは光を反射し、まるで鏡のようだ。工具の金属音がガレージ内に響いていた。
ヤンは、二人の姿に気がつくと、笑顔で何度も手を振った。屈託のない笑顔は、元気で明るい。
みちるもそれに応えて、何度も手を振る。隣のサヴァンセは何もしなかった。
「ヤンくんは健気だね」
乗ってきた車に乗り込みながら、みちるは溜め息をつく。
この豪邸に住む、愛想のない主人。スラム街みたいな場所で生きるヤン。
こうして同じ場所にいても、はっきりと階層が分かれている。
「哀れみは、人を救わない」
感傷的なみちるに対し、釘を刺すようなことを言うサヴァンセはエンジンをかけ、煙草を咥える。
「……それは、そう」
助手席からもう一度だけ、みちるはヤンに手を振る。その時、もうヤンはこちらを見ていなかったが。
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