1-2.

 


「ちょっと見てみようか」

 少年は、車に向かって歩いてくる。

 電話を掛けるのをやめた女は、その少年の姿に、一瞬だけ警戒の色を見せた。その隣で、男は少年に向かって、いきなり銃口を向けた。

 青ざめた少年はとっさにホールドアップのポーズを取り、首を小刻みに横に振る。

 

「こらこらこら、いきなり銃を向けるのはやめなさい」

 女は苦笑いで場を和ませようとしながら、左手で銃口を塞ぐ。だが、男は姿勢を変えなかった。

 

「このガキは、車ごと盗む気かもしれないからな」

 少年を射抜くような眼差しで見た男は、構えている拳銃P226安全装置セイフティを外した。

 

「ごめんね! この人、ちょっとどころか、めちゃくちゃ疑り深くて」

 女は冷や汗をかきながら、少年に笑いかける。少年は、男とは目を合わそうとしなかったが、女とは目を合わせている。不安そうな眼が、女に救いを求めている。


「この鞄の中に工具がある……だから、修理を手伝える」

 向けられた銃口に声を震わせている少年は、より話しかけやすいと判断した女へ、自分ができることを伝えた。

 その言葉に、女は虚を突かれた顔をしてから、眉を下げて困った表情を浮かべた。

 男は、もはや殺意に近い警戒を露わにしている。このままだと、女が左手で塞いだ銃口を、いつその手ごと吹き飛ばしてくるかわからない、と思うほどに。

 

「私たち、実はあんまりお金持ってないの。修理代をくれ、って言われても、出せるのはチョコレートのお菓子くらいで」

 女は、少年に言い聞かせるように言う。

 そして、右手をボトムスのポケットに入れた。その手に、カラフルな包装紙に包まれた四角いチョコレートを掴んで、少年へ向けて見せた。

 

「これでもいいなら、お願いするんだけど」

「お菓子なら、弟が喜ぶよ。チョコレートが大好きなんだ」

 少年は肩を竦めて、小さく笑った。その笑顔に嘘はなさそうに見える。

 女の隣で、男は舌打ちをした。一瞬、女に緊張が走るが、男は銃をゆっくり下ろした。

 左手で押さえていた銃口の感覚が離れていったことで、女はやっと深い息をつく。

 

 少年は男に軽く頭を下げてから、ボンネットの中身を確認した。その少年を、男は一挙手一投足を見逃さないようにじっと見つめている。

 

「うちの国の中古車って、基本的に、外側以外はみーんな、他の車の部品をくっつけて組み立ててることが多いんだよ」

 少年はまず、エンジンの上にある金属のパーツを軽く叩いて、音を確認した。

 その後、プラスチックのカバーを外し、そこから出てきたワイヤーやホースに手を伸ばす。

 

「部品は何回も使い回しされてるって思った方がいいんだ。こういうのはよくある話で」

 一つのホースを慎重に引っ張って、異常がないかを確かめた。

 何度も交換された形跡が見えるそのホースは、すでに少し擦り減っている。金属のクランプを緩め、ホースの取り外しを試みる。

 

「そもそも正規品じゃないから、手順通りの直し方しても直らないんだ」

 少年は軽くため息をつくと、別の工具を取り出してエンジン内部のパーツに手をかける。手元の工具が響く音と、少し焦げた匂いがエンジンルームから漂う。

 部品を外したり、調整したりする少年の動きは、まるで熟練の職人のようだった。

 

「じゃ一回、エンジンかけてみて?」

 少年は、自分をじっと見つめている男へ声を掛ける。

 車の修理をしている時の少年は、さっきとは打って変わって堂々としていた。男は燃え尽きかけた煙草を地面に落とし、靴で消してから運転席へ乗り込む。

 

「こればっかりは勘で直す、みたいなところがあって」

 そう言って少年は一度作業を止め、エンジンルームをじっと見つめていた。それから、運転席にいる男へ手を上げて、合図する。

 エンジンがかったのを確認すると、少年はボンネットを閉める。その時浮かべた笑顔は、心なしか満足そうだった。

 

「すごいね。整備の仕事してるの?」

 少年が修理するのを横で見ていた女は、手を叩いて褒める。

 

「整備もやるし、なんでもやる感じ」

 Tシャツの袖で雑に顔を拭った少年は、工具を掴むと、鞄にしまう。

 

「それじゃ! 急がないと遅刻する!」

「待って、これからどこへ行くの?」

 慌てて立ち去ろうとする少年の背に、女は尋ねた。

 

殿の屋敷!」

 少年は足を止めず、振り返るだけで、そう答えた。

 

「なら目的地一緒だから、乗っていかない?」

 女はエンジンがかかった車を指差し、少年に言う。少年の顔が、パッと明るくなった。車に乗せてもらえるとまでは期待していなかっただろうが、幸運が舞い込んだ、くらいには思っていそうだ。

 

「おい」

 それを咎めるように、男が運転席の窓から顔を出す。

 女は急いで、男のもとへ近寄った。


「あの子の隣に私が乗る。それならいいでしょう? は、助手席に置くし」

 窓から顔を出した男のそばで、囁くような音量で女は言った。


 警戒心の強い男が、少年を乗せることを渋るだろうとは思っていた。だから、少年の隣に自分が乗り、何が起きても対応できるようにする。そして、大事な荷物である「金塊」を男の隣に移動させる。

 そこまで言えば、男も納得するだろう、と判断したのだ。


 男は予想通り、あまり納得していない顔で舌打ちしたが、それ以上何も言わなかった。

 そんな男の様子を確認してから、女は笑顔で少年を手招きした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る