1.Here’s one law for the rich and another for the poor
1-1.
――バルカン半島にある、某国。
今でこそ観光客が訪れるようになったが、ほんの数年前までは政変が続き、国交は限られた国としか結んでおらず、閉鎖的な国だった。
こうして眼に映る街並みは、どこかひっそりとしている。
その国の道路を走る、一台の車。
運転席にいるのは、少し癖のある黒髪と灰色の眼をした、白人の男。咥え煙草でハンドルを握っている。
助手席にいるのは、長い黒髪の、アジア人の若い女。手にした四角い、一口サイズのチョコレートの包装を剥いている。
二人が乗る、空港の近くで借りたレンタカーは、外見こそ見覚えのある車体だったが、内装や機器は全く別物だった。
挙句に、走行を始めて数分で、カタカタと音がするようになっていた。ブレーキペダルを踏むと、キィーと高い音がする。
「整備不良にも程がある」
咥え煙草の男は、舌打ちをした。不機嫌そうに、眉間に皺を寄せている。
「このまま、この幹線道路を行けば、一直線で目的地ですけど、激混みらしいです」
助手席に座る女は、スマートフォンのマップを確認している。マップには、目的地への最短経路である幹線道路に、渋滞を示す真っ赤なラインが塗られていた。
「迂回路は?」
男の視線の先には、既に渋滞の末尾が見えてきていた。
「治安最悪の廃墟エリアの脇を通ります。スラム街みたいな場所だから、通りかかった車ごと盗まれるなんて噂も」
「それは楽しそうだ」
少しも楽しくなさそうだったが、男はそう言った。そしてハンドルを左に切る。
幹線道路から外れるつもりだ。下道へ入った途端に、さっきまでの整備された道とは違い、凸凹した道路になる。
「迂回するんだ?」
女は少しだけ意外そうにする。
「渋滞で、このポンコツ車が故障してみろ。さらに渋滞を起こして
二人は、目的地までなるべくトラブルがないように移動したかった。なぜなら、それが「依頼」だったからだ。
二億円相当の金塊を、この国に住んでいる実業家の顔をした、裏社会の人間へ渡すこと。それが、二人に依頼された内容だった。
届け先の相手には、この国の都市部にある屋敷へ今日届けに行く、と連絡している。
運んでいるのが二億円相当の金塊であることから、トラブルに巻き込まれないように細心の注意を払いながら、ここまで来たのだ。渋滞と車の故障ごときで、そのプランを崩されては堪らない。
そう思って、ハンドルを握る男は、迂回路を選んだのだ。
そして今――路肩に停めた車のボンネットを開け、男はエンジンルームの中をじっと見つめていた。
手が真っ黒になり、ギアをチェックする手つきは慣れているものの、何も見つからない。咥えた煙草の煙と共に、エンジンの焼けた匂いが漂う。
パワステのホースを握ってみたり、クランクプーリーを回してみたりするが、問題は見つからない。
その様子を覗き込みながら、女は時折、スマートフォンの画面を見る。約束の時間に遅れないように、と時刻の確認をしているのだ。
「これで直ると思うんだが」
男はそう言って、ボンネットを開けたまま、運転席へ戻る。
キーをひねると、エンジンは一度、カチリと音を立てて動き出す。しかし、すぐに止まってしまい、無音の中でエンジンが震えるだけだった。どこか油っぽい臭いが車内に漂う。
「……ダメですね」
女はボンネットの中身を見つめ、ぼそりと呟いた。運転席から戻ってきた男は、溜め息混じりに、エンジン周りを手探りで確認し始める。
「もういっそ届けるのを諦めて、この金塊、持ち逃げしません?」
工具も持たず、車の整備知識もない女は、手持ち無沙汰になってしまい、男の背中に話しかけた。
女は冗談のつもりで言ってみたが、男は一瞬もためらわずに答える。
「諦めろ。換金したところで足がつく」
「それはそう」
女はクスクスと笑ったが、その合間に時間を確認するのを忘れていない。
「先方に、到着が遅れそうだって連絡してくれ」
「了解」
男にそう言われるだろうと察していた女は、既に連絡先から相手先の名前を表示していた。あとは、発信をタップするだけだったのだが。
「動かないの?」
電話を掛けようとしていた女の視線の先にいた少年が、そう声を掛けてきた。
眼が隠れるくらいの少し長めの黒髪に、くたびれたT シャツと膝が擦り切れたボトムス。だが足元はしっかりとした安全靴というミスマッチなコーディネートだった。
肩から提げた黒い鞄は、中身が重いのか、取っ手が下に引っ張られている。
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