第3話 蟹江登一の番
「さっき、
「じゃあ」
と
「いっそのこと、その子が書いてしまえばいいのに」
「そう思うだろ?」
と内村修はにーっと笑った。
「そう思ったのは蟹江君だけじゃなくてさ。その、お嬢ちゃんに調べさせてるって話は、だいたいどこの出版社にも伝わってるから。本気かどうか、っていうと、本気じゃないだろうけど、
「って」
と蟹江登一がことばをはさむ。
「でも、編集者とメールのやり取りは、その子にやらせてるんですよね?」
「まあ、会って、顔見知りになっちゃうとほんとに瑠音ちゃんに頼んじゃうと思ってるんでしょ? まあ、あんなことを言ってるひとだから、編集者がメールで瑠音ちゃんにオファー出しちゃう、とかは思ってない」
「はあ」
と、蟹江登一はそれだけ反応する。
「だからさ」
と編集者の内村修が続ける。
「この前、『荒野の子供たち』の出版記念講演会とパーティーって、
「はあ!」
蟹江登一が感嘆する。
「
「いや、まあ」
と内村修が目を細める。
「「長」かどうかは知らないけど、たぶんもっと上に「長」はいると思うし、少なくとも「老」じゃないよね。まだ六十二歳かな? もちろんおれからすると倍とは言わないけど一・八倍とかは生きてるけど、この高齢化社会だからね。まあ、六十五が定年だから六十二で社長は当然だけど」
「ああ、すみません」
と蟹江登一が謝るが。
そもそも謝ることなのかどうか。
「まあ、うちとしても」
と内村修が「長」・「老」問題には触れずに、言う。
「売れてくれないと困るからな、木庭晴恵の新作。だからわざわざ社長が出て来た」
で、つけ加える。
「ま、売れてないけど」
内村修が笑うと、蟹江登一も、ふふん、と、いっしょに苦笑した。
「それって、あ、つまり、瑠音さんを編集者とかに会わせないのは、その、木庭晴恵さん、瑠音さんの才能に嫉妬してるから?」
「いや」
と、内村修が言う。
「まあ、瑠音ちゃんの文学的才能なんて、本人以外、だれも知らない。編集者だってメールの文しか見てないし。メール見るかぎりでは、論理的に、ちゃんとした、しかも読みやすい文は書けると思うけどね。それに、木庭晴恵だって、たとえば、瑠音ちゃんが学校で書いてきた作文をていねいに見る、とかは、したことないだろうな」
とことばを切る。
「まあ、木庭晴恵デビュー当時の体育会系のノリだよ。しごきに耐えて、理不尽に耐えて、それで才能を開花させたやつだけが成功を許される、っていう」
ふう、と、内村修は大きく息をつく。
「ダメなんだよね、あの世代。いくら民主主義だとか、タテの関係じゃなくて横の関係だとか言ってみても、自分の中に食い込んでる上下関係とか先輩後輩関係とかいう感覚にはぜんぜん批判的になれない。自分が「上」だと思ったら、平気で人を見下す」
内村修はカップを持ち上げる。
飲まないまま、目の前に持っている。
「ともかく、今回の『荒野の子供たち』は、三年待たせて、記念講演会までやって、あの出来だ。編集の現場は、木庭晴恵には次の本のオファーなんてもうあり得ない、って思ってる」
言って、内村修はアメリカンコーヒーの水面へと目を落とした。
とくにそこに何が映っているというわけでもないのだが。
「
蟹江登一がゆっくりとぼんやりと顔を上げた。
その蟹江登一の視線を、内村修が鋭くとらえた。
「そこで、蟹江君の番、というわけだよ」
「はい」
と、蟹江登一は、同じように自分のカフェオレの表面に目を落とす。
が。
「はいっ?」
と再び顔を上げたときは、もうぼんやりと見ている、というわけではなかった。
「それ、どういう意味です?」
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