第2話 木庭晴恵の娘

 蟹江登一が続けて言う。

 「でも、三年ぐらい前かな、『アニマート』とか、ベストセラーになりましたよね」

 「あれは」

内村うちむらおさむが言う。

 「談風だんぷう社の宣伝が巧かったのと、本庄ほんじょうあきらってイケメン二・二五枚目男優主演でドラマ化したからだろう?」

 「二・二五枚目」という表現に、蟹江かにえ登一とういちは、ふふふん、と笑う。

 「それは、二枚目半の手前で、二枚目寄り、ってことですか?」

 「本庄あきら、二枚目半って言ったら、怒る女の子とか、ましてオバサンとかがいっぱいいるんじゃないかな?」

と内村修が解説する。

 「でも、あきらかに、二枚目、っていうか、イケメンってだけじゃないんだよな。本庄あきら。コントとかやったら、けっこういい線行くと思う。で、原作って、あの主人公の容姿ってひとつも書いてないのね。チェロの女の子より背が高い、ってそれだけ。それを、かっこいい、でも百パーセントのイケメンにはなりきれない、って映像で出して、それで、内面はコンプレックスだらけ、しかもそのコンプレックスを爆発させるだけの意気地もない、ってキャラを、何倍にもふくらませてた。そりゃあ、本庄あきら本人と、キャスティングと、演出の功績だよね」

 「ま」

と、蟹江登一も含み笑いする。

 「おっしゃるとおりです」

 そのビジネス的な言いかたに、内村修は、ふふん、と、「含み笑い」よりもはっきり笑った。

 言う。

 「じっさい、ドラマはおもしろかったけど原作はつまらん、って評判がネットにあふれかえってた」

 「でも、ドラマの展開、原作どおりでしょ?」

と蟹江登一が聞く。

 やっぱり、ドラマが原作どおりかどうかわかるくらい、読んでいるらしい。

 内村修は、

「うん」

とうなずいて、言う。

 「でも、たとえば、予選の場面なんか、原作では、緊張して臨んだがなんとかなった、というだけで、一ページの半分くらいで終わるのに、ドラマでは一話の半分、かけてたからな。あれだけの描写で、主人公がもたなくていいコンプレックスを抱えてるんだ、って印象づけてしまって。そんなところが、原作には何もないわけだから。まあ、あの原作を、原作どおりに十二回のドラマにするためには、そういう引き延ばし工作が必要だったわけだけど、その引き延ばしの部分がすごくいい。だから、ドラマを見てから原作を読んだファンは、そりゃ、原作はつまらん、って思うよ」

 「それで、ネットで叩かれたから、あのひと、ネット嫌いなんですか?」

 蟹江登一の質問に、内村修は、ふん、と笑う。

 「何がネット嫌いなもんか。木庭こば晴恵はるえって、ネットのヘビーユーザーだよ」

と笑いを消さないまま言う。

 「身の回りの世話とか、自分の書きもののための調べものとかをぜんぶ娘にやらせて、自分は、自分の部屋で、シングルモルトのウイスキーをロックで傾けながら、ネットの動画を見たり、ネット配信のドラマを見たり。テレビは見ない、とかエッセイに書いてたけど、そういうことをやってるんだよ」

 蟹江登一も、含み笑いから笑いのレベルを上げた。

 「内村さん、見てきたように、って感じですけど、なんでそんなの知ってるんですか?」

 いたずらっぽく、内村修の顔を見上げて言う。

 「もしかして、木庭晴恵さんが、自分でばらしたんですか?」

 「自分でばらすぐらいなら、まだ救いがあるよ」

 内村修はその質問に答える。

 「まえに『荒野の子供たち』の原稿の催促に行ったとき、木庭晴恵が食事会か何かに行ってて。まあ、それも、ぼくが行くことがわかってて、会わないですむように、わざと食事会をその時間にセットしたらしいんだけど、ぼくが一時間とか二時間とか待っててさ。その待ってるあいだに旦那さんが言ってた」

 さっきの新年会のあいだ、家にいたにもかかわらず、お客が帰るときのあいさつにしか出て来なかった木庭晴恵の夫のことだ。

 「あのひと、テツジ堂書店の東関東地域統括部長って偉いひとなんだよ。ま、書店の仕事してるときに、講演会で来た木庭晴恵に一目れしてアタックを繰り返して結婚したんだけど」

 「はあ」

 テツジ堂というのは、全国に書店を展開している本屋の大手だ。

 「まあ、そうやって惚れた相手だから、のろけ的にそういうことも話してくれるし、統括部長としては、さ、データ見たら、売れてないっていうの、ごまかしが効かずに一発でわかるわけだから、それの愚痴も言いたいからさ。ま、そんなのだから、木庭晴恵は、一日じゅう、書斎にいても、書くのが少しも進まないんだ、って」

 内村修は、いちど持ち上げたアメリカンコーヒーのカップをソーサーに置いた。

 「ウイスキーはシングルモルトしか飲まない、っていうのは、エッセイに書いてたし。じっさい、小説が書けないときほど消費量が多い、っていうのは、その旦那さんが言ってたしな」

 ふう、と、息をつく。

 「それで、その、おれが担当した『荒野の子供たち』も、去年、いや、もうおととしか。やってた『ドキュン*どきゅんと撃ち抜いて!』ってドラマあったの、覚えてる?」

 「ええ、もちろん」

と蟹江登一が言う。

 「柳瀬やなせ立子りゅうこってアイドルがヒロインの次ぐらいの役で、初々しい、って、主役を食って評判になりましたよね」

 「初々しいっていうか、オーバーアクションでしろうとっぽいのが逆に……いやいや、それはどっちでもよくて」

 内村修は照れ笑いする。

 「そのドラマと、場面もせりふもそっくり、っていうのが、その『荒野の子供たち』で二十ページぶんぐらい延々と続く、っていうのが原稿にあったんだよ。わざとやった、というより、何回も見て頭に焼きついてたんだろうな、こういう場面はこう書く、って。さすがにこれはまずいですから、って指摘すると、いや、自分は独自に思いついたんですから変える必要はありません、って木庭晴恵が言って。いや、ドラマのほうが先に世に出てますから、法的にどうこういうよりも、あとから本を出した先生がまねしたって言われますよ、って、ドラマのせりふを起こして、それと木庭晴恵の原稿と横並びに並べて、あとドラマの原作のマンガもコピーしてそれもつけて、こんなに一致してますよ、って表を作って。何度も押し問答して書き換えてもらったんだけど。しかも、そういうのの交渉まで娘にやらせるんだぜ、木庭晴恵。「母はこう言ってます」みたいなメールがお嬢ちゃんから来て、「いやそれはこうだから、って、お母さんに言っておいてください」ってメール送って。もう、信じられないよ、いろんな意味で」

 「それが、あの」

と蟹江登一がきく。

 「さっき、料理とかワインとかを持って来てくれてた子ですか?」

 「いや、あの子は」

と内村修が答える。

 「あの料理をセットしてくれたお店の店員さんでしょ? そっちの子じゃなくて」

と内村修が言う。

 「あの、その地域統括部長の木庭晴恵の旦那さん、その子から言うとお父さんだけど、おれらが帰るときにその旦那さんを呼んできた、ちょっとぐろの子がいたでしょ?」

 「ああ、はい」

 蟹江登一は、うん、うんとうなずく。

 「その子が、木庭晴恵のお嬢さん」

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